Tuesday, April 25, 2006

怠け三題

アレルギーに悩まされている。動物の毛というか皮膚成分+ハウスダスト+花粉症のトリプルパンチである。フランス北地方の花粉の飛ぶ時期は2~4月らしいのでそろそろ終わってほしいのだが、ひどいときはまったく何もできない。する気さえ起こらないのである。

アレルギー患者でない人の目には「単に怠けているだけ」と映るようで、そのような無理解はもちろん十分理解できることなのだが、実際は怠けているのではない。偏頭痛や生理などの身体的理由、欝などの心理的理由から仕事が手につかない、という人にはお分かりであろう。



私自身はさほど怠け者だとは思っていないが――昨年度だけで論文4本、ドイツ語からフランス語への翻訳ひとつ、発表を5つ(仏語2、英語1、日語2)やっているのだ。怠け者などと言われる筋合いはないと思うが――、しかし、たしかに学者の仕事につきものの「怠け」というものもある。

教育者・大学教員としての話をしているのではない。学者・研究者には、芸術家に近い、創造的な部分があり、この部分を単にお役所仕事的に、半ば機械的・事務的にこなしていくのは、予算をとるためといった外的な理由を除けば、あまり意味がない。

短期的・個人的には利益もあり、「生産性」もあるかもしれないが、真の意味で生産的・創造的であるとは言えない。創造的であるためには余暇や怠けが必要であるという点で、少なからぬ思想家・芸術家の意見は一致している。



フランス人は怠け者でバカンス好き、日本人は働き者で有給もとらない、といった紋切り型が通り相場かと思うが、別の見方もあり、それはそれで筋が通っている。日本人の働き方は効率が悪い、朝から晩までずっとオフィスにいるが、常に集中して仕事に取り組んでいるわけではない、というものである。だからといって、フランス人の勤労意欲を弁護しようという気にもなれないのだが(笑)。

しかし、哲学者に限って言えば、フランス人のバカンスの取り方はやはり堂に入っている。何度も言うように、日本では哲学というのは教授の子息でなければ変人のやるものであるが、ヨーロッパでは教授の子息でなければブルジョワや貴族崩れのやるものなのである。この社会階層の違いは、よきにつけ悪しきにつけ、哲学をする「スタイル」にまで影響を及ぼしている。



近況としては、四月末までに共訳書の2稿をひとまず終え、それと同時に身体論文の校正を終える予定。同時並行で、5月中旬の発表の準備も進めている。これだけ働いても文句が出るのだから、やはり社会人というのはおそろしく働いているらしい。…日本人だけという気もするが。バカンスなのに、こんなに狂ったように朝から晩まで働いているのは。

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