私の檄文は決して個人攻撃ではない。そんなことに興味はない。それは読む人が読めばわかるはずである。ただそこで論じられている「問題」だけが重要なのだ。自分が攻撃されていると感じる人があるとすれば、それはその人が無意識裡に抱えている問題意識に私の文章が不意に触れてしまったというだけのことである。その人がそのことを自覚するに至るかどうか、それは私には残念ながらどうすることもできない。私に出来るのは呟き続けることだけだ。
あるいは、もっと穏便に書け、と言われるかもしれない。それはできるかぎり努力したい。けれど、ここに書いていることは事柄そのものが檄文調を要請する類のものであることもまた確かである。学問自体ではなく、自明視されている学問の枠組み(制度)そのものに関する自覚を高めるよう促すこと。そうでなければ、このようなブログをやる意味は、私にとってはということだが、ほとんどない。
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ちょっと今すぐには読めないのであるが、読みたい論文をメモしておこう。PDFで公開されているので、関心のある方はどうぞ。ただ、ページ数のシステムが今一つよく分からない。
・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(1)」、『哲学・思想論集』第27号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2002年3月。
・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(2)」、『哲学・思想論集』第28号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2003年3月。
・永野拓也、「ベルクソンにおける「図式」と根源的統一性(3)」、『哲学・思想論集』第29号(筑波大学『哲学・思想論集』編集委員会)、2004年3月。
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