エーリッヒ・ケストナーの『サンタクロースにインタビュー――大人のための子どもの話』(泉千穂子訳、ランダムハウス講談社、2007年)を読んだ。
ケストナーは、主に戦前に活躍したドイツの短編小説の名手で、とりわけ児童文学的な作品が有名だ。『飛ぶ教室』や『二人のロッテ』など、名前くらいは耳にしたことのある方も多いだろう。
この本は短編集だが、特に気に入ったのは、
・不運な億万長者
・カウンターの向こうのマジシャン
・イースターうさぎの正体
・そこが彼のつらいところ。
・ペーター
・模範生
《子どもというのは、より熱いことを愛するくせに、より熱烈なことを憎む。我々大人より明るい喜びと厳粛な痛みを感じる。そして軽蔑する。他の誰よりも軽蔑することができる。ただその残酷な仕打ちの対象になると彼らが考えるものはめったにない。ありうるとしたらまず、あの少年時代からの逃亡兵、すなわち模範生だろう。未成年ながら完成された存在。急いで成長したために魂がひ弱になってしまった、あの大人子ども。
そして、私たちもそういう少年を軽蔑的に扱うことに慣れている。彼らが長じて大したことのない哀れな人生を歩むことになるのを正当なことだと思う。しかし、こうした断罪こそ、結局私たち自身が負うことになる最低の罪だ。なぜなら私たちはここで愚かな悲劇をきちんと知るべきなのに、ただあくびをして知ろうとせず、運命の優しさへの最後の望みを失わずにいるべきなのに、ただ無視してしまうのだ!》(「模範生」)
・書物の知恵
《みなそうなのではないだろうか? 自分の人生をまるで風景のように眺められるほど、そこから距離を置いて立っていられる人がいるだろうか。自分自身を形作っている一連の意味のなさそうな偶然たちの、本当の意味を言い当てることが、誰にできるだろう。誰もが何百何千という経験の通過駅にいる。そうした経験の楽屋裏で、人生はひっそりと続いていく。
ごくわずかな人――めったにいないが、かつては作家と呼ばれていた――だけが、他の人に起きることをも理解することができる。彼らの書く小説の中では、普通なら関係のないものが、突然結びつく。無意味に見えたものが意味を持つ。偶然が運命に姿を変える。混乱の中から法則が生まれる。特異なものが象徴と化す。
そうした書物を読むと、自分の眼隠しが落ちたことが分かる。目が見えるようになる。(…)
幸福でありながら慎み深いこと。痛みを抱えながら明るいこと。冒険でありながら明晰なこと。そして僕たちにも教えてくれたのだ。僕たちは信じようとしなかったが。人生は書物の中にある。自分たちに起きることを、誰かが示してくれている。…今僕たちもそれを信じている。》(「書物の知恵」)
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