Sunday, December 30, 2001

怒りの後で(1)

Gérard Miller, Après la colère, Stock, 2001.

 citéphilo 2001にジャック=アラン・ミレール(以下、JAMと略す)がやってきた。(JAMについてはYSさんがML00780、00781で紹介されています。)

 この小文の眼目はしかし、「哲学とは何か、ラカンの答え」と題されたJAMの対談の内容を紹介することではなく、私がこの一年胸に抱いていた何とも俗な疑念が氷解したということなのである。壇上にあがったJAMの顔を見た瞬間、私は確信した。やっぱりジェラール・ミレール(以下GMと略す)は彼の弟だったか、と。

 というわけで今回は、ML00591「デバ・ガメ」(ドゥルーズの一風変わった追悼文集を紹介したもの)以来約一年ぶりに、再びフランスの現代思想系梨本になりきって、最新のラカン派精神分析関連ゴシップをご紹介しようと思う――理論的にはJAMとGMの活動のある種の並行性を示すことで「精神分析と政治」というテーマに改めて探りを入れようという底意(そこい)があるのだが、まあon verra――のであるが、そのためにはまず、フランスにいない方々のために、ジェラール・ミレールとは何者かについて説明せねばなるまい。



 GMは、この一年で急速に「茶の間の人気者」として定着した。最初こそ、気軽に冗談を飛ばすsympaな大学教授として地味に芸能活動を始めたものの、ある時期から急に、大政治家を向こうに回してもずけずけ言いたいことを言う、時に激しく相手を罵倒するという「大島渚」[2005年の註:今なら細木数子か?]的キャラでフランス人の心をつかむことに成功し、さらには視覚障害者の感覚を体験すると称して、著名人たちを招いて暗闇の中で晩餐を共にし歓談するという実験的な番組(5チャンネルで放映された”Le gout du noir")で司会者を務めたことで、人気を決定的なものにした。

 この「黒の味」は、テレビ番組なのに画面は薄暗いまま、ほとんど声だけが媒体なのだが、招かれたゲストたちが「著名人」であって「芸能人」でない(TV的予定調和に完全に毒されきっていない)ことが功を奏し、彼らがパニックに陥って思わず洩らす本音や意想外の「ハプニング」は、たしかに時として
刺激的であり、面白い実験であるかもしれない。

 このような実験が厳密な意味で「精神分析的」であるか否かはさておき、(スタジオの/意識の)「暗闇」の中から(TV的な約束事の/著名人たちの個人的)「真実」を引き出すGMの手腕は確かに、彼もまた実際、パリ第8大学教授にしてラカン派精神分析家なのだという事実を思い出させずにおかない。

 彼の数冊の分析系研究書や研究論文の紹介は専門家にお任せして、ここでは、彼がTVで売れ始めてから出したエッセイ集『怒りの後で』を紹介しておくことにしよう。爆笑問題やタケシのようにいろんな時事問題を一刀両断、かと思いきや、さにあらず。そもそも彼が「怒りを爆発させてしまった」のもTV的な要請に基づくものではなく、それなりの理由があったのである。(続く)

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