Monday, December 24, 2001

ストラスブール大学神学部(ISへのメール)

こんにちは。

 お話ししていたナンシー・インタヴューのほうは、インターネットでの質問ということになりそうです。まあ私にとってもそのほうが良かったのかなとも思います。



 ISさん、

 ナンシーが西洋哲学の正統な後継者たろうとしているというのは、浅田さんも対談の中で指摘されてましたが、そのとおりだと思います。(ちなみに、ISさんで印象に残っていることと言えば、と私の連れあいが常々言っておりましたが、浅田・ナンシー対談の後の立食会で話していたISさんがナンシーを見つけて、「僕ちょっとナンシーと話してきます」と躊躇なく勇敢に向かっていったことだそうであります。もう今から何年前になるでしょうか?)

 で、話が中途になっておりましたが(仕事の合間を縫ってNetscapeと何日も乱闘しているうちに嫌になってしまったのです)、

3)おそらくは近世的・近代的・現代的な三つの理由から、ストラスブールにはフランス唯一の国立の神学部があります。

 アルザスには、国から(あれほど「非宗教性」を謳っている共和国から)「公的な」地位を認められた三つの教会があるからです(近代的理由)。

a. 1801年の政教条約で認められたカトリック教会、
b. 1802年に定められ、1852年に修正された国家組織に関する条文で認められたECAAL(アルザス・ロレーヌのアウグスブルク信仰告白教会。「アウグスブルクの信仰告白」とは1530年にアウグスブルクの神聖ローマ帝国議会で表明された、メランヒトンの手になる28条の信条表明(信仰告白)で、彼らは要するにルター派)、
c. bと同様にして認められたERAL(アルザス・ロレーヌの改革派教会。要するにカルヴァン派)

 これらの教会の聖職者は内務大臣によって任命され、今では国の後見は甚だ軽いものになっているにしても、未だに国から給与を支給されているのです。

 そもそもなぜカトリック国家であるフランスがbcを認めるのか?(それをいうなら、1801年の政教条約は1905年に廃止されたはずなのに、なぜカトリック教会が国の庇護を受けられるのか?)それはアルザスがまさに宗教改革の中心都市の
一つであったからです(近世的理由)。

 グーテンベルクが印刷技術を着想したのは改革が始まる少し前、1439-1444年にかけてのストラスブール滞在中のことでした。聖書を普及することに貢献しつつあった印刷術は同時に、当時ドイツ第三の印刷都市であったこのストラスブールにおいて、聖書を実際に「読む」ことの重要性を説くパンフレットの普及にも貢献したのです。

 このような伝統をもつ国境地帯において、中央の意向を押し付けることは反感をもたらしかねない、という不安が国には当然あったでしょう。二つの大戦を経て(経たがゆえになおいっそう)今なお複雑なこの地域でのみ「寛大な」宗教政策を続行していることにイデオロギー性ないし政治性を感じるというのは勘ぐり過ぎでしょうか?欧州議会が置かれていること、仏独共同のTV”ARTE”の本拠地が置かれていることはもちろん神学部とは何の関係もありませんが、ストラスブールという土地の戦略的な重要性を思い起こさせてはくれます(現代的理由)。



 というようなことをナンシー(ラクー=ラバルト)のキャリア、文体、思想と考えあわせるにつけ、否定神学的であれ、政治神学的であれ、「神学的」という言葉を思わずにはいられない、と言いたかったのです。このMLでは参加し始めた頃から(それ以外ではずっと前から)言っておりますが、どこに身を置いて考えるかはどうでもいいことではない、ということも。


 では一週間ほど失礼します。ストラスブールに行くのです(笑)。くれぐれも火事にはお気をつけて。どうぞ良いお年を。

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