Thursday, December 29, 2005

自己点検(仏語添削について)

以前、自分のblog(もちろんblog一般ではまったくない)に対するとるべき態度と、とるべきでない態度して、こういうことを書いたことがある。

しかし、誰のためのblogなのか、何のためのblogなのか、ということをさらに考えた場合、結局のところ、上に挙げた二つの態度は必ずしも両立しえないものではないのかもしれない、という思いを強めている。自分の活動状況についてより詳しく書くことは、私が思っていた以上に、他人の役にも立つものなのかもしれない。したがって日々の活動報告のようなものを少し増やしていこうと思う。



昨日、身体論文の仏訳およびレジュメを終えた(いずれ正式に公刊されることになったら、要約も公開しよう)。とりかかったのが21日だったから、6日で終えたことになる。この間、二度フランス人の友人にチェックしてもらい、議論している。こういう慌しい時期に快くチェックを引き受けてくれたlpに感謝したい。昨日は、論文抜きで、ご飯(pissaladière, tarte à l'oignon du Sud de la France)をご馳走になったので、そのことにも感謝したい(笑)。

今日からリズム論文の仏訳に取り掛かる。こちらはすでに以前始めていたので、できれば年末までに終えたい。そして別の友人edに送る。

仏文の添削というのは――断るまでもないと思うが、以下は私の体験に基づく主観的な体験談ないし内省の結果であって、必ずしも一般性・普遍性をもつものではない――、よほどの仏語の達人でもない限り、ほぼ誰しもやってもらっていることと思うが、複数の依頼相手がいたほうがいい。もちろん渡仏しても最初のうちはそれほど多くの友人がいるわけでもなく、また相手のレベルを選べるわけでもないが、いずれそうなることが望ましい。添削相手によって、出来上がりは一変する。しかし、そのためには自分のフランス語の質を常時brush upしていくことが大切である。逆の状況を考えてみればいいので、日本語初心者が書いた、間違いだらけの論文を直すときと、日本語上級者が書いた論文を直すときとで、同じ原則をもって接しているわけはない。

ちなみに、私はお金を払って添削してもらったことは一度もない。友人に頼んで、あとで一杯おごったり、ご飯をおごったりする程度である。だからプロフェッショナルな添削の良し悪しについてコメントすることはできない。私の場合、直す側は基本的に親切心ないし友情でやってくれているので、添削のやる気は1)こちらの書くものの質と2)相手の忙しさによって決まる。

1)彼らは哲学者であり、面白いものを読まされれば、基本的に知的興奮を覚える人々である。したがってこちらが一定水準に達しているものを書けば、添削にも自然と身が入る。そのためには基本的なところでミスを繰り返してはいけない。サッカーと同じである。名コーチに指導してもらいたければ、あるいは能力ある同僚と共同自主トレをやりたければ、「自分はこの人のトレーニングのために時間を割いてあげてもいい」と思ってもらえるレベルに達していることが必要である。

2)しかし、いくらこちらが努力していい物を書き、相手が興味を持ってくれようとしても、相手が忙しければ駄目である。そして当たり前のことだが、能力のある人ほど忙しい。自分の言いたいことに自分が思いもつかなかった言い回しや面白いコメントをくれることがあるのも、そういう人々である。しかし、彼らには時間の制限がある。こちらも相手のことをリスペクトしているので、もともと長々と意味なく引き止めたりはしないが、そうはいっても相手も忙しく、必ずしもこちらの意図に沿ってくれるとは限らない。そういう場合、友情に満ちていながらも、知的緊張感をもった関係を複数保持しておくことが肝要である。でないと、緊急にヘルプが必要な場合に、お手上げということになる。

添削を頼める友人を複数持っておくことはまた、自分の書く物の分野によって、添削を頼む適任者を選べるという利点を生む。経済的な内容ならslだなとか、少しエピステモ系ならplだなとか、リズムなどの変わった主題ならedだなとか、フランス語を重視したいのでkgだなとか。

そのためには普段の自然な会話がすでに一定程度のレベルを備えていなければならない。フランス語がひどかったり、哲学の知識がなかったりすれば、能力のある誰が助けてくれようか。人が親切心で動いてくれる場合には限りがある。プラスアルファを引き出すのは自分の責任である。つまり結局のところ、普段の努力、不断の努力でほとんどのところは決まっている。「365歩のマーチ」とはそういうことである。

以上のことは自分に自戒をこめて言う。

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