Friday, May 25, 2007

信頼関係と完ぺき主義

海外の研究者と「交流」という名の表層的で儀式的、結局のところ非生産的なつきあいをしたくなければ、どうすればいいのか。「信頼関係構築に必要なのは?」(奥田秀樹、「野茂とは違う松坂の目指す道」、2007年5月21日)

≪バリテック自身は、捕手としての豊富な経験から、信頼関係は一朝一夕ではできないと分かっていて、キャンプ終了時点でこう言っていた。「大輔との信頼関係はできたのか?」 と質問したのだが、

「信頼関係は意味のある試合(公式戦)で初めてつくられるもの。キャンプの期間は一緒にいる時間が長いから、互いのことを知り合うチャンスだし、投手について学ぶ貴重な機会だ。でも、キャンプで信頼関係を構築することはできない」

 関係構築のプロセスについてはこう説明した。 「大切なのはAGREE TO DISAGREE(互いに意見が違うことを認め合うこと)なんだ。重要な試合で、どうやって打ち取るかで意見が食い違ったとき、互いの考えを説明し合うことで、より相手を理解できる」

 その上で、メジャーではバッテリーの主導権を握るのは投手だという。 「投手と捕手は違う角度から野球を見ている。意見が食い違うのは当然。私の役割は投手が打者を打ち取る手助けをすること。最終的に何を投げるか決めるのは投手なんだ」≫

「公式戦」とは何に当たるのか、なぜ私は執拗に英・独・仏語でpublicationすることを薦めるのか。

レセプションなどで有名な学者の周りでとにかく気の利いたことを喋ろうとする人がいる。有名人のHPやブログやら何やらに気の利いたことを書き込もうとする人がいる。感激にのぼせてしまった若手ならまだしも。そういったものは「オープン戦」「練習試合」ですらない。キャンプで信頼関係を構築することは出来ない。ましてや、見ず知らずのプロとうまいキャッチボール(会話とは言葉のキャッチボール)をしたからといって、何がどうなるというものでもない。

逆に、いたずらに有名人に噛み付く人がいる。自分の信じるところを述べるのはもちろん構わない。けれど、噛み付くために「信じるところ」を急造・乱造してしまう本末転倒の人も見かける。大切なのは、「重要な試合」で「勝負」に勝つことだ。この場合、勝敗が論戦相手に議論で「勝つ」ことを意味しないのは明らかである。勝つというのは、論戦相手と「AGREE TO DISAGREE」しつつ、議論の本質において共に前進することにほかならない。



完璧主義とは、完璧なものが書けるようになるまで発表をしないということではない。その都度、自分の置かれた状況の中で、前回よりもさらに高いパフォーマンスを発揮できるように絶えず工夫する姿勢のことを言うのである。教授や助教授になっても、同じことである。

≪松坂大輔が突如制球を乱し3連続四球などで自滅を繰り返していたとき、レッドソックスの監督、コーチ、捕手などは、「大輔は完ぺき主義過ぎるところがある、ボールに力があるんだから、自信を持ってストライクゾーンに投げ込めばいい」 と言っていた。正直、筆者もそう感じた。

 松坂はちょっと困ったように「別に自分のボールに自信を持てなくなっているわけではないんですけど」と話したものだった。

 そんな中で一人だけ違うことを言う人がいた、エースのカート・シリングである。完ぺき主義者であることがピッチングの妨げになっていないかと尋ねると、こう言い切ったのだ。

「徹底的に完ぺきを求めていくことで、偉大な選手と、普通の選手の違いが出てくる。偉大な選手は完ぺきにできないことにいら立つが、そういう考え方だからこそ、偉大な選手になれる。(松坂は)きょうは悔しくて眠れないだろうけど、次の登板にきっちり合わせてくると思う」≫

No comments: