Monday, November 17, 2008

タイトル未定(パリフォーラムでの発表)

大学論に関する発表では、おおよそこんな話をしようかと思っています。

偉大な哲学者たちは、折にふれて、必要に応じて、大学や教育制度の問題を論じてきた。カントをはじめとして、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの大学論。ショーペンハウアーやニーチェの苛烈な大学批判を加えてもよい。二十世紀に入っても、ハイデガーやヤスパース、ガダマーやハーバマス、あるいはデリダに至るまで、例には事欠かない。しかしここで素朴な疑問が生じる。何かと対比されることの多いドイツ哲学とフランス哲学であるが、一方における大学論の連綿と続く系譜と、他方におけるその驚くべき不在、これはいったいどうしたことであろうか。この問題は単にトリヴィアルな歴史的問題にとどまらない。大学が激変を蒙りつつある大転換期にあって、哲学者たちは、大学論・高等教育研究・知識社会学に(義務感からにもせよ)関心をもつ知識人としてではなく、哲学者として何を発言しうるのか、そのことを考えるにあたってこの問題は重要な示唆を与えてくれるように思われるからである。

考えてみれば、フランス哲学は実に長きにわたって「大学」とはまったく相いれない運命にあった。既得権益に固執して新しい人文知を頑迷に受け入れようとしない当時の大学に業を煮やしたフランソワ一世によって創設されたコレージュ・ド・フランス。ソルボンヌに睨まれ、アンリ二世の計らいでそのコレージュで哲学を講じたペトルス・ラムスの偶像破壊的な言説はやがてその死後、若きデカルトに『精神指導の規則』を書かせるだろう。18世紀に入ると、百科全書派が大学の外で縦横無尽の活動を繰り広げる。19世紀?コント、テーヌ、ルナンを思い出そう。アズーヴィがきわめて挑発的な仕方で断定しているように、結局のところ「フランス哲学の歴史は《ソルボンヌ》という語抜きで書かれうるのである。この語が、最も著名な哲学者たちが教壇に立たなかった場所を指し示すというのでなければ」。ドイツでは政治的・経済的な後進性から知識人が官僚化=大学人化したのに対し、フランスでは大学の後進性(カトリックの強い影響)が知識人をしてアカデミーやジャーナリズムの世界に押し出したのであった。ドイツ人哲学者にとって大学が常にそこに回帰し=反省すべき場所であったのに対し、フランス人哲学者にとって大学は改革してまで維持されるべき存在ではなかったのである。

20世紀のフランス哲学も、ある二つの根本的な変化を除いては、この不文律をきわめて忠実に守ったと言えるだろう。ベルクソンはソルボンヌに落選し、コレージュで教えた。サルトルはごく早いうちに教職を辞したし、メルロ=ポンティもフーコーもごくわずかな期間大学で教えた後、コレージュで教えた。アルチュセールは生涯ENS、デリダはENSの後、社会科学高等研究院、など。では根本的な二つの変化とは何か。…続きはパリで。

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