Sunday, March 14, 2010

最近の読書

ゴーシェ書評会、学生との勉強会のためにいろいろ読んだ。

その他に、
ベルクソン研究:
Florence Caeymaex, Sartre, Merleau-Ponty, Bergson. Les phénoménologies existentialistes et leur héritage bergsonien, Olms, coll. "Europaea Memoria", 2005.
Gilbert Simondon, Imagination et Invention.
アガンベン「記憶の及ばない像」、『思考の潜勢力――論文と講演』、月曜社、2009年12月、406―418頁。

結婚論:

ゲーテ『親和力』、ワーグナー『タンホイザー』、モーツァルト『フィガロの結婚』

大学論:
自戒を込めて言うのだが、「大学」というものの在り方について、これまでなされてきた研究の蓄積を踏まえることなく、独断的な主観や幼稚な印象批評で議論はできない。私は私なりに、自分の知識・考えの欠落を補う努力をささやかながらしているつもりだし、これからも続けていこうと思っている。

猪木武徳『大学の反省』、NTT出版、2009年。特に、4章「産業社会における人文学」と5章「産業と学問」。

竹内洋『大学という病』(初版2001年)、中公文庫、2007年。


どちらもとても読みやすい。例えば、後者は、戦前の東大経済学部の「慢性派閥病」を「大学版・忠臣蔵」に見立てた社会学的ノンフィクションだが、「昔の大学に私語がなかったわけ」など、なるほどと思わされる説明も多い。

一つ違いを挙げるとすれば、後者が最終的には個人レベルでの自省を促すという視点に収束するのに対し、前者には労働経済学者ならではの政策提言的な指摘が目につくところだろうか。ただし、後者は、言ってみれば「直球勝負の教養必要論、これで打たれたら仕方ない」的なさわやか高校球児的提言。1)教養の必要性、2)私学への公費投入の必要性、3)先生という職業の再確立、とどれも「ご説ごもっとも」だが、果たしてどれくらいの政府関係者・財界人、そして何より世論が実現に向けて動いてくれるだろうか。

金子元久『大学の教育力』、ちくま新書。
天野郁夫『大学の誕生』(上)(下)、中公新書。
前者は無難にまとまっている(アメリカの大学を見倣いましょう的提言)。ただ、誤字・脱字・誤植散見される。
後者は明治初期から大正8年までの大学誕生の歴史のうねりを繊細かつダイナミックに描き出している。

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