Tuesday, November 21, 2000

マルクスのもとへの滞留(k00590)

***「まだ始まってもいない」。とても厭な、でもまとわりついて離れない言葉。考えているつもりで「考えさせられている」ないし「考えたつもりになっている」ことがなんと多いことか。

***「政治的なもの」について語ることが花盛りである。しかし、もはや飽和状態なのだろう。新マルクス主義者宣言の流行は、「政治的なもの」と「経済的なもの」との間での滞留の徴候である。 「政治的なもの」について語るだけでは現状に対して充分に有効な批判的言説を支えきれないことは自覚しているが、かといって一足飛びに再び「経済的なものの最終審級」へと舞い戻るわけにも行かず、さりとて新たな「経済的なもの」への移行ないし両者(政治的なものについての思考と経済的なものについての思考)の融合が容易に成し遂げられるわけでもないという滞留状況の徴候として、ドゥルーズ以後、デリダや柄谷をはじめとする一連の「宣言」は捉えられる。

 80年代にはリオタールによるカントの政治哲学の強引きわまりない奪取のそばで「政治の美学化」を批判しつつ、独自の「政治的なもの」についての思考を展開していたナンシーとラクー=ラバルトも、一見するとより露骨に「政治的」に語るようになってきているように見える(前者については後述、後者は現在マルクス論を準備中とのこと。藤原書店の「環」1号参照のこと)が、見落としてならないのは、それらの言説の背後に「経済的なものの影」とでも言うべきものが潜んでいるということ、マルクスは、現在のところ、実現するまでには至っていない模索の消極的な一時的帰結、着地点を見極めるまでのひとまずは強力な避難所としての役割を果たしているにすぎないということである。

***「滞留」は「停滞」ではない。「停滞」は別の場所にある目標へ向けての前進を前提とするが、「滞留」は必ずしもそうではない。

***Actuel Marx no.28(PUF, sep. 2000.)は、「政治哲学に独自の思考は存在するか」という徴候的な(末期症状的なとは言わないまでも)テーマを掲げている。ジャン=リュック・ナンシーは、そこに「すべては政治的である、のか?」と題するノートを寄稿しているが、我々の興味を引くのは、その中の「経済的なもの」の模索に対する彼の批判(我々の目にはある種の回避と映るもの)である。少し長いがその部分を引用してみよう。

≪今日、「政治は経済によって阻止され支配されている」などと時折言われることがあるが、それは性急な混同の結果によるものである。ここで「経済」(economie)と呼ばれているものは実際、かつては「政治経済」(economie politique)と名付けられていたもの、すなわち相対的に自足的な家族(oikos)のではなく、市邦(polis)の規模での生計・繁栄の維持・管理機能以外の何物でもない。「政治経済」は、polisをある種のoikosと(一つの自然的秩序(世代、血縁関係、土地・財・奴隷などの世襲財産)に属すると想定されたある集団的ないし共同体的実在と)見なすことに他ならなかったのである。

 したがって必然的に、oiko-nomiaがpolisの規模に移し変えられるということは、単に規模の水準において移動がなされるのみならず、politeia(市邦の諸問題に関する知)自身がある種のoiko-nomiaとして再解釈されるということを含意する、ということになった。だが、このoiko-nomiaは同時にそれ自身、もはや単に生計・繁栄(「良き生」)といった観点だけからではなく、富の生産と再生産(「より多く持つこと」)という観点から再解釈されることになったのである。

 結局のところ常に問題となっているのは、人間集団をどう解釈するかである。「政治的なもの」自体が全体として、全体化する、包括するものとして規定される限り、人間集団もまた「全き政治的なもの」として解釈されるほかはないが、人間集団があるoikosの包括性として、より正確に言えばoiko-logiqueな(その成員による天然資源の(語の原義的な意味での)concours[競合]ないしconcurrence[競争]の)包括性として自己規定することで、事態はまさに大方そのように推移してきたのである。それははじめ「重農主義」(「自然による統治」)と名付けられた。[訳注:concoursの原義は、「同一の場所に大勢の人が集うこと」であり、concurrenceの原義は「出会うこと」である。]

 同じ頃、政治的なoikosの成員の「自然の」本性[nature "naturelle"]を規定することが必要になっていたが、もはやoikoi に対して自律的かつ超越的な(それら以外の本質的存在に属しつつ、それらの基盤となり、それらを連合させる)秩序からではなく、原初に想定される「oikologie」から、すなわちoikoi間の人間同士の親交や人と自然との親交から市邦自体を構成することによって、この必要は満たされたのであった。こうして、ある「社会体」ないしある「市民社会」(市民の社会あるいは政治的社会、という語の厳密な原義における)の制度が、傾向としては、理想的には、原初的には人類自体の制度と同一のものとして与えられた。

 無論、人類は、第二の自然として、あるいは徹底して人間化した自然[nature entierement humanise](このような概念が矛盾したものでないとすればの話であるが。このことはおそらくはまさに問題の一つの核心であろう・・・)として、自分自身を自己産出する以外のいかなる最終目的をも取り立てて持たないのではあるが。

 この論理に従えば、「すべては政治的である」は原理的な所与であるということになり、そこから「政治」自体が、ある制度ないし知(ないし術)から切り離された領域として、何よりまず表明し指し示してきた自然的な全体性を実現するために己れの分離の廃棄を目指すことしかできない、ということになる。そうだとすれば、最終審級にあっては「すべては政治的である」と「すべては経済的である」との間に相違はないことになる。こういうわけで、民主主義と市場は、互いに手を携えて、今日「世界化」と呼ばれているプロセスへの道を自分たちのために切り開いているのである。≫

 長くなってしまったので、以下次回。自分のeuphoriqueな健忘症に抗することができますように。

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