Thursday, November 23, 2000

デバ・ガメ(k00591)

 今日、偶然市立図書館で、YannickBeaubatie(dir.), Tombeau de Gilles Deleuze, Mille Sources, Tulle, 2000. という本を見かけた。もしかしたらどこか気の早い出版社や雑誌がすでに訳しているかもしれないが、ちょっと毛色が変わっているので紹介してみようと思う。

 まず出版地のチュール(フランスの中央少し下、へその辺りにあるコレーズ県の県庁所在地。同名の織物はここから来ている)をわざわざ特記したのは別にペダンからではなく、この本の特色と直接に関係するからである。この本の特色、それは何と言っても地方性である。

 この本の編者の言いたいこと、それは「ドゥルーズはリムーザンだったんよ(パリ生まれだけど)。そしてこのリムーザン気質こそが彼の哲学の発展に大きく寄与したんよ」(信州訛りを再現してみたつもり。ぜんぜん違うか)ということに尽きる。

 ちなみに(これは純粋にフランス地理ペダンだが)、ドゥルーズが夏の数ヶ月を過ごしに来ていたのは、コレーズの北西の隣接県、リモージュを県庁所在地とするオート・ヴィエンヌ県のサン=レオナール=ド=ノブラであるが、車のリムジンで有名な「リムーザン」とは中央山塊(マシフ・セントラル)の北西部のコレーズ・クルーズ・オート=ヴィエンヌの3県辺りの地域を指す。

 そういうわけで、わざわざタイトルもそのまま出したのである。Tombeau とは、もちろんクープラン辺りが源泉とされ、とりわけマラルメの一連のシリーズが仏文では有名な(「墓」という第一義からの)転用で、「偉大な個人に捧げられた詩・音楽作品」のことであるが、ここではそこからさらに反転して、「リムーザン地方に深い愛着を抱いていたジル・ドゥルーズは、当地に埋葬されることを強く望んでいたのである」という場所(空間)性・地方性を含んだ意味になっている、と解したほうが良いだろう(穿ち過ぎだが)。

 地方性を前面に押し出すことから(そうでもしないと、まず第一にドゥルーズ本人が哲学者における個人史の重要性をほとんど認めず、また哲学者としての側面以外の自らの個人史を彼自身がほとんど語っていないということがあり、第二に単なる「ドゥルーズと私」にはすでに新味が乏しいということがある以上)、個人としてのドゥルーズについて語ることがかろうじて許されるという構図である。

 確かに、ドゥルーズが地方のびっくりニュースに興味しんしんで毎日隣町までどっさり新聞・雑誌を買い込みに行っていたなどという全く瑣末な情報は、デリダがテレビ中毒で、特に毎週日曜日必ずと言っていいほどユダヤ・イスラムの宗教番組を見ているなどという情報同様、彼らの哲学の理解に何の関係もない。単なる好奇心、卑しいデバガメ根性である。

 「リムーザン地方でドゥルーズについて書かれた記事一覧」には笑い、「フランス語以外のドゥルーズ関係著書」のいいかげんさには呆れるとしても(タケシ・タムラがいつ「ドゥルーズの思想」を「書いた」というのだ!)、エリック・アリエズやジャン=クレ・マルタンの論文も読めるなどと口実をつける必要もないような、ともかく毛色の変わった本なのである(モーリス・ド・ガンディヤックがまだ生きていて、少なくとも回想録を書ける(というか、2年前の本から見て、最近彼はそれしかしていないのではないか)くらいにはまだ健在であるということも判明した)。

 さらなるデバガメ根性をお持ちの方は一読されたし。

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