Sunday, December 31, 2000

フェチへの道(1) SMにおける「命令」(k00635)

 昨日から降り始めた雪が、今日になって、その勢いを急激に増している。雪は音を吸い込んで静寂をもたらしてくれるので好きだが、それは暖房が完備された部屋にいる場合である(花田清輝がデカルトだったかスピノザだったかの「foyer」を皮肉っていたのを思い出す)。リール人たちは口をそろえて、私に「ここ最近は温暖化現象が進んでほとんど雪も降らない」なんて言っていたのに。

 ところでmgさん、オランダ人Antonius Van Daleは、日本語ではどう表記されるのでしょうか?また、何の脈絡もないのですが、柄谷ゼミでお会いしたsさんはお元気でしょうか? また、nyさん、フォントネルのHistoire des oracles(1686)には定訳があるのでしょうか?

 研究とはつまるところ、狭義の翻訳・その要約(翻訳の圧縮)・その配置編成(翻訳のコラージュ・場所移動)、すなわち広義の翻訳にすぎないのだとすれば(これらの中に研究において一番重要と思われる「解釈」という要素が入っていないのは、当然これらすべてにそれが関わっているからである)、日常の我々の「手仕事」においては(公刊する場合には無論別種の論理に従うのであるが)、それらは区別なく、倦むことなく、自在になされねばならない。

 バリバールは、『マルクスの哲学』

[ちなみに、①邦訳は言葉の取り扱いが若干雑ではあるが、充分読める訳である(一つだけ訳し落としを指摘しておけば、邦訳40頁「矛盾を破裂させることであり、」と「実践的な活動というカテゴリーをそれ自体として立ち現わせること」の間には、「表象と主体性を分離することであり」が抜け落ちている)。

②バリバールの文章は、「おいしい」フレーズに満ちていて、引用の誘惑に抗しがたいことがしばしばある。この点はマシュレとは異なる。彼は文章家ではない。

③デリダのマルボウは、私の感じでは、その本質的テーゼ(ヘーゲル、そして何よりシュティルナーとのマルクスの格闘の重視(それによる、亡霊に代表される神秘的なもののマルクスへの密輸的継承)、『唯一者とその所有』の再読・再評価の必要性(それによる、デリダ自身の「固有なるもの」の主題の展開)など)の大部分において(シェイクスピアとの関連がデリダ自身の主題展開を容易にするのは分かるが、マルクスの理論展開のどのような側面をどう明らかにしているのかは(少なくとも今のところ私には)明らかではない)、この小さな本に多分に(彼が明示的に参照しているよりはるか以上に)依拠しているように思われる。

一例を挙げよう。マルクスには「何か遂行的performativeなものがある」として、少なくとも2度マルクスの”injonction”という語(マルボウ第1章のタイトルの一部ともなっている語)を用いているのはバリバールである(95年に出版されたという事情を勘案すれば致し方のないことではあるが、訳者は「指令」「厳命」と文脈で訳し分け特別の注意を払っていない)。 これらの解釈が興味深いものであるがゆえに、権利関係・優先権の問題は、一定程度こだわるべき価値をもつ。競馬ならば間違いなく写真判定に持ち込まれる微妙なこの問題に決定的な判断を下すためには、デリダが行なった講演の全貌とSMとを比較対照せねばならないが、そこまでこだわる価値はないので、事実を提示するに止める。刊行年はどちらも1993年、PM(バリバールのほう)の印刷完了月は6月、SMのBNへの法定納本が10月、印刷完了が11月である、というところまでは、私の仮説を支持する事実である。だが、そもそもSMは、マルクス主義に関する国際コロックの一環として「アメリカのカリフォルニア大学(リバーサイド)で、1993年4月22、23の両日に、2回に分けて行なわれた一つの講演」(p.10.)が元になっており、「増補し、より正確を期したが、にもかかわらずこのテクストは、講演の論述構造・リズム・口述的形態を保持している」(idem)のだという事実、そして何よりデリダ自身がPMについて、「多くの点で注目すべき、そして不幸にも、本書を書き上げた後で、その存在を知ってしまったところの著作」(p.116.)と述べて、この影響関係をあらかじめ否認しているという事実は、事態を加速度的に錯綜させる。デリダの言葉を信じるには、「SMに見られるテーゼのことごとくはPMにその萌芽を見出し、その逆は皆無である」という認識に人を到らしめる諸事実が充分すぎるほど多すぎ、それらのテーゼの重要性は大きすぎ、そして私はあまりにデリダ信奉者ではなさすぎるのである。]

の第3章「イデオロギーあるいは物神性―権力と服従」において、『ドイツ・イデオロギー』のイデオロギー分析に対応するものが、『資本論』の物神性分析であるとして、この「純然たる術語上の変更ではなく、理論的な別の代案」への移行(何故なら前者は少なくとも1852年以降はもはや決して用いられないのだから)過程を分析している(この点については、今や主著と呼んでよいであろう『群集の怖れ―マルクス以前と以降の政治と哲学』の「全編を通しての時間的かつ概念的な中心」(水嶋一憲)である「マルクス主義におけるイデオロギーの揺れ動き」の第1章「観念論の揚棄」でより詳細に展開されているようである)。

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