今週末から、「北ヨーロッパ最大の」(リールで何にでも冠せられる名称)braderie が始まります。要するに大蚤の市で、名物はmoule friteというどうしようもない代物です。私の家の目の前がメイン会場になるので、とんでもない乱痴気騒ぎが繰り広げられるものと予想されます。
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ssさん、本当にお久しぶりですね、お元気ですか?私、来年の2~3月あたりにミュンヘンのmg家を襲撃しようかと密かに計画してるんですけど(笑)、ご一緒にどうですか?
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批評空間社の解散と、hfさんが 01129 で言及していたNAMのことについても、ちょっと書くつもりでいたのですが、また今度気が向いたらということで。
キツーいお叱りを覚悟いたしております、とは言いませんが、気が向いたら本当にぜひお願いします。私が何かを書くのは、他人に目を覚ましてもらうためなのですから。
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(ssさんのメール01136が入っているのを見たんですけど、修正なしで出したほうが、すれ違いがあって面白いかもしれないので、すでに書いたモノをそのまま出します。)
さて、「動物性」です。引用ありがとうございました。これやっていただけると非常に助かります。おかげで買わずに済みました(こっちで買おうとすると高いんですよね)。
というわけで、東さんのはちょっと期待はずれ、というかコジェーヴを予想すべきでした。要するにコジェーヴの「動物」は比喩ですよね。「『動物的』ってじゃあどういう意味?」と問い返されると詰まってしまうという類いの。
私の言う「動物性」は実際の動物のそれで、この問いはすでに10年以上フランスで問われ続け、昨今ようやく本格的に「国際的」になり始めている問いといっていいかと思います。
(「国際的」と括弧をつけたのは、アガンベンが今年、『開かれたもの-人間と動物』という著作を出し、ほぼ同時に仏訳も出たという事実を指しているにすぎないからです。アメリカやイギリスの文脈はmtさんが報告してくださるまで待たねばなりませんし、ドイツの文脈はmgさんや、何よりssさんが教えてくださらなければなりません。
ちなみのこのL'ouvert. De l'homme et de l'animal(この仏訳題のほうがちょっといいですね)はネタ帳としては、Elisabeth de FontenayのLe silence des betes(1998)の小型簡略版(パースペクティヴのとり方が完璧に現代思想に偏ってるけど)とも言うべき重宝な本で、13世紀のユダヤ聖書の挿絵から始まってティツィアーノの『ニンフと羊飼い』まで絵画を読み解いて見せたかと思えば、哲学的に言えばアリストテレスからドゥルーズまで、神学的に言えばアクィナス、パリのギヨームからベンヤミン、バタイユまで、生物学的に言えばリンネ、ビシャからユクスキュルまで、お約束の「レフェランス」を多少超え出る予想外の参照先の、しかも一番おいしいところだけをコンパクトにまとめて見せてくれます。
がしかし、アイデア・ボックスの域を越えるものではなく、Homo sacerほどの理論的インパクトを備えた話題作ではない。例えば、アガンベンもこの本でコジェーヴについて一章を割いて(「スノッブ」)いますが、話の本筋と何の関係もない。というかこの本は、見所はあるが本筋のない本なんです。
では見所は何か?隠れハイデゲリアンであるアガンベンによる本書の見所は、なんといっても彼の5章にわたるハイデガー読解です。というわけで括弧を終わって、本文と合流します。)(続く)
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