*(ML01133の続きです)
もちろん、文学・芸術的なテクストへの応用は駄目で、社会・経済・政治的な運動への応用はいい、といった単純な話でもないだろう、と。この点(治癒=効果をもたらす理論=実践)を明らかにしてくれるのではないかと柄谷の「日本精神分析」に期待しているのですが。
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デリダは初期から現在に至るまで、実にさまざまな仕方で精神分析を扱っていますが、『Psyche 他者の発明』(初版1988年、増補2版1997年)という論文集に収められたテクスト「地精神分析 ≪と世界の残りの部分≫」(初出1981年)は、彼が精神分析を具体的な地政学的文脈で取り上げ始めた最初のテクストではないかと思います。
しかし、内容はがっかりするようなもので(むろんデリダ本人に言われるまでもなく、癒し系人文諸科学に喜ばれそうなバシュラール風の「大地の精神分析」「大地と憩いの夢想」の焼き直しにならないのは当然として)、後年例えば、『マルクスの亡霊たち』(1993年)にちらりと出てくるような「喪の作業」の地政学的応用といったものとは何の関係もありません。
それでも興味のある方のために(以下、興味のある方向けです)、一応要約・再構成しておくと――
「地精神分析 ≪と世界の残りの部分≫」は、ルネ・マジョールが提案して1981年2月にパリで行なわれたフランス=ラテン・アメリカ会議の開会講演です。デリダの他のすべての講演と同様に、いつ・どこで・誰を対象に行われたかということは、講演の内容と密接に関わっています。
どこで・誰に。ルネ・マ ジョールが発案者であること(著書『ラカンとデリダ』はご存知かと思います)、「今日の精神分析の諸制度・政治」を主題とする会議であること、フランスと ラテン・アメリカの分析家たちが主な参加者であること(南米ではクライン派やラカン派が絶大な勢力を誇っているらしい)は、この講演が必然的に反主流的、 すなわち流派的に言えば反アメリカ的、制度的に言えば反IPA(国際精神分析協会)的なものになるであろうこと、しかし同時に講演者がデリダである以上、むろんフランスとラテン・アメリカの精神分析の現状を無批判に称揚することはないであろうことを示唆しています。
いつ。1981年2月は、1977年のIPA第30回エルサレム大会、1979年の第31回NY大会を経て、数ヵ月後にIPAの総会である第32回ヘルシンキ大会を控えた時期であり、デリダはこの講演によって、「ささやかな、無責任な、きわめて非合法的な」形ではあれ、大会で票決されるはずのある議題(新たなIPA規約の採択)に介入しようとしています。
ま、あとは大雑把にまとめてしまいますが、IPAの前二大会で、「アルゼンチンをはじめとしてラテンアメリカ諸国で、精神療法を流用した新たな拷問がかなりの規模で行なわれているらしい」という噂が駆け巡ったので、IPAは報告書を出さねばならなくなったが、予想通り「こういう問題は他でも起こっているから」ということで名指しを止め、「こういうことは起こってはならない」という穏健な、といえば聞こえはいいけれど、毒にも薬にもならないものになった、と。
こうしてIPAは、 「人権」を擁護する、世界的に認められた精神衛生機関になろうとしているわけだけれど、はたしてそれでいいのか、精神分析とはそもそも直面したくないもの を表面に曝け出すことを使命とした、その意味で他の微温的な精神衛生機関とは根本的に断絶したところに成り立つきわめて現代的な、ラディカルな機関である べきではないのか、と。これはIPAの問題。
(続く)
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