ところで、どなたか、東さんの近刊「動物化するポストモダン」読んだ人はいらっしゃいますか?ちょっと必要があって、動物性の問題を調べているのですが、デリダの動物論とか使ってるんでしょうか?ご存知の方ぜひお知らせください。
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柄谷の「日本精神分析」への私の興味のありかを明確にしておきたいと思います。(まだ読んでないということです)
私が最も興味を抱いていること、それは、彼の「(精神)分析
というのは、治癒に貢献しなければ何の意味もないはずだ」という観点がNAMの理論・実践との関わりで、また大正期の文学テクストの分析などによってどう具体化されているのか、ということです。
私は、この「治療=効果」という観点はきわめて重要だと思っています。周囲に文学や芸術領域への精神分析の単純な「応用」が蔓延しやすい人文系にいるだけにいっそうそう思います。
(学部生時代、「精神分析 学自主ゼミナール」という怪しげな団体を主宰していた頃、私が一貫して言っていたのは、私たちがフロイトたちの本を読んで学べるのは所詮、理論としての精 神分析「学」にすぎないので、決してそれを具体的な他者の治癒を目指す理論=実践としての精神分析と勘違いすべきではない、ということでした(例えば、ラ カンについての簡単な参照先は、webcritique、アルチュセールとラカンの差異に触れた浅田さんの「デリダを巡るメモランダム」)。)
文学や芸術領域への精神 分析の単純な「応用」に私が違和感を覚えるのは何故か。それは、そのような応用が何らの治癒=効果、「処方箋」ももたらさないことが圧倒的に多いからで す。応用することがまずいと言うのではない、精神分析にとって行為遂行的解釈が本質的なものであるなら、そのような解釈を与えない単純な応用はすべて本質 的に(仮に精神分析「学」から借りた概念装置を用いていたとしても)精神分析とは何の関係もないはずだ、と言いたいのです。(続く)
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