現在、「《大いなる息吹…》 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』における呼びかけ・熱狂・情動」(仮)という論文を執筆中である。
『二源泉』に現れる《声》《火》《道》のイメージを丹念に追いかけることで、「開かれたもの」(開かれた道徳・動的宗教)のダイナミズム、創造的行動の論理の構成要素、すなわち《呼びかけ》《熱狂》《情動》の諸特徴を明らかにするとともに、哲学研究において隠喩をたどること、テクストの声に耳を傾けることの重要性を強調する――といった趣旨である。
先々週、h大学aゼミで、先週t大学sゼミで、それぞれ予行演習として発表させてもらった。自分の考えをまとめるのにこういった形で親しい先生方のゼミを使わせてもらうのが好きだ。勝手知ったるアットホームな雰囲気で、けれど真剣勝負で発表する。
まあ、往々にして最初はアイデアをたくさん詰め込んだまとまりのない発表で、聞いていただく方々に申し訳ないくらいなのだが、それでも徐々に形になっていくのだから、やはり発表はしてみるものだと思う。人それぞれ自分なりの仕事のスタイルがあるから、別にお勧めするわけじゃないけれど。
発表はたいてい同じ反応。最初に哲学科で聞いてもらうと、たいてい構成がクリアでないと言われるので、ここで大枠を明確にするよう努める。次に仏文科で聞いてもらうと、専門ではないので難しいと言いながら、けっこう細かい点をいろいろと突っ込んでくれるので、ここで微調整する。
先週の発表では読み上げ原稿を完成できず、三分の二程度はアドリブで喋ったのだが、そのほうが圧倒的に分かりやすくて面白かったとほとんど全員言っていた。喜んでいいのか悲しむべきなのか。
水曜が締め切りなのに、まだ最終形が見えない。『二源泉』を読んだことのない人にも分かるように丁寧な序論を書いたら、それだけでかなりの分量になってしまったので、ひとまず《声》《火》《道》で三分割することに決めた。というわけで、今回は「(上)《声》-呼びかけにおける人格性の問題」を扱う。査読側がなんと言うか分からないけれど…。
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