Thursday, February 04, 2010

夢の続き

若手研究者たちに競争させるというなら、早いうちである。三十代も半ばを過ぎた大量のオーバードクターに対して、不安定と背中合わせの「特別研究員」を少数用意することが決定的な解決策になるはずはない。若手研究者が安心して博士課程に残れるように、ただし「安心して残って当然」という実力を見極める制度を構築していくのは、今の中堅以上の学者の責任だと思う。「私たちも不安と闘ってやってきた」などというのは詭弁にすぎない。他方で、院生たちに当事者意識が薄いのも問題だ。文句ばかり言っていても何も始まらない。デモをせよとは言うまい。研究者なのだから、出来る範囲で、つまり理論的な取り組みにおいて、何かを始めたらどうか(大学問題に関する読書会だって、ささやかな理論的営為だ)。大学院の〈再〉改革のためには、まず制度への意識を研ぎ澄ますことから始めねばならない。私たち若手教員も、忙しいということを口実にしてはならないだろう。


高校指導者が1番人気=プロ野球引退後の仕事調査
1月22日5時5分配信 時事通信

 日本野球機構(NPB)が現役プロ野球選手に実施した引退後に関するアンケート結果がこのほど公表され、引退後に「最もやってみたい仕事」は高校野球指導者が24%で1位だった。「やってみたい」と「興味あり」を合わせると73%が関心を示した。
 対象は昨秋の教育リーグに参加した18~36歳の271人(平均年齢23.4歳)。引退後に不安がある選手は74%で、不安要素では「進路」が45%、「収入」が39%を占めた。
 NPBの調査によると、日本人の「引退選手」のうち、戦力外を告げられても他球団と契約できたのは07、08年は各10人。このほか、育成選手、コーチ契約、職員などでNPB内に残る割合は半分に上った。
 NPBキャリアサポート担当の手塚康二氏は「50%が残れるのは(NPBも)懐が深い」と感心しつつも、一般会社などに「なかなか選手を供給できない」 と語る。引退後の相談に来るのは2軍クラスの選手が大半だが、同氏は「一番の問題は給料。高校からプロに入るなど、社会の(給料の)相場を知らない」と話 す。
 「へこたれない力」を持つ人材が多いプロ野球経験者を「欲しい」と言う企業は多いが、引退後、一般会社への就職や自営業などの世界で再出発する元選手は、07、08年の調査では全体の約4分の1にとどまっている。


門奈が示したプロ野球選手の“引退後”

スポニチ九州[ 2007年06月27日 17:49]

 門奈哲寛(37)は現状に満足している。ソフトバンクの通訳兼打撃投手。それが彼の仕事だ。ヤンキー ス・松井秀喜(33)が1位だった93年の巨人ドラフト2位。戦力外通告後、00年の米大リーグ挑戦は不合格だったが、夢は弟分がかなえてくれた。打撃投手の時に左手にはめるのは巨人時代にかわいがったレッドソックス・岡島秀樹(31)のグラブだ。アメリカで成功する夢は後輩に託し、オランダなど6年間の 海外リーグ生活で語学力も身に付いた。珍しい“一人二役”は今や、欠かせない人材だ。

 やっぱり、野球が好きだった。門奈はそのことをかみしめながら、1球1球、ていねいに打者の打ちやすい球を投げ込んでいる。見た目以上に地味な仕事だ。だが、誇りを持ってやる。右手には海外で成功した後輩・岡島からもらった真新しいグラブが光っている。

 「みんな大変だって言うんだけど、こっちとしては一緒に行けばうまいものも食わせてもらえる。楽しんでいるよ」。

 遠征先で夕食のほとんどは“案内役”として外国人選手と一緒。メニューは決まって焼き肉。さらに彼らの気晴らしであるカラオケやダーツに深夜まで付き合うこともざらだ。だが、その環境を門奈は楽しんでいる。

  失意というより、あきらめに近い。99年オフに巨人から戦力外通告を受けた。93年ドラフト2位で日大から入団し、スクリューボールを操り1年目にはヤク ルト・伊藤智仁(現投手コーチ)と9回途中まで白熱した投手戦を演じるなど、登板33試合と活躍したが、その後は長い2軍暮らし。野球を続けることもため らったが、周囲の後押しもあり00年春、米大リーグ・パイレーツのテストを受けた。「英語が話せるようになれば仕事も困らない」。そう切り替えて前向きに なったが、結果は「不合格」だった。

 そして人生が一変する転機が訪れる。知人の紹介でオランダのプロ・リーグ入りの話が、持ち込まれ た。「英語が話せるようになるなら…」(門奈)と気軽に飛び込んだが、待っていたのはプロとは名ばかりの草野球レベルの世界だった。2年目には2ケタ勝 利、本塁打王まで獲得してしまった。その後、クロアチア・リーグも含めた6年間の海外生活で得たものは語学力だけではない。

 「家賃と食事が別で収入は15万円くらいだったけど、野球をやる楽しさはあった」。帰国後、一度は一般企業に内定ももらったが、再びわき上がる野球への情熱は抑えき れるものではない。知人からソフトバンクで打撃投手を探していると連絡が来たのは、ちょうどそんな時だった。「会社員をやるしかないかな、と思っていたけ ど、ここは1年契約でもやりたい仕事だね」。門奈は心の底からそう思っている。

 勇気をもらっている男がいる。レ軍の不動のセットアッ パーとなった岡島だ。巨人時代は94年入団だった岡島の“教育係”だった。先輩にいじめられる岡島をなぐさめたこともあった。今でもメールのやり取りをする間柄。裏方には道具の支給がないと言うと、ぽんとグラブをくれた。「正直、メジャーに行くとは思わなかった。活躍するとうれしいし、励みになるね。若い 時に飯をおごっておいて良かったよ(笑い)」。自らは果たせなかったメジャー・リーガーの夢。それを体現する後輩に自分を重ねる。

 日本 プロ野球OBクラブの調べによると、引退や自由契約になった選手が、最も身につけたい技能の1位は「語学力」で28・5%だった。太平洋を渡るだけのはずが、思いもよらず大西洋までも越えた。だが、得たものは大きい。栄光の影につきまとう“引退後”の問題。門奈の姿は一つの試金石と言えるだろう。

  ◆門奈 哲寛(もんな・てつひろ) 1970年(昭45)5月30日、浜松市生まれの37歳。天竜中―常葉菊川高―日大。93年ドラフト2位で巨人に指名 される。1年目の94年33試合に登板するが、2年目以降はふるわず99年に戦力外通告。00年春に米大リーグ・パイレーツの入団テストは不合格に終わ り、00年からはAODトルネーズ(オランダ)、ナダ・スプリット(クロアチア)に在籍した。06年からソフトバンク打撃投手、07年から通訳兼任。1 メートル78、80キロ。左投げ左打ち。プロ通算は44試合1勝3敗、防御率3・38。

 ≪母校はセンバツV≫門奈の母校・常葉菊川(静 岡)は今春のセンバツで見事、優勝を果たした。通訳兼打撃投手といっても、2倍の給料をもらえるわけではないが、ポケットマネーから20ダース(240 球)のボールを贈った。「OBは僕だけだからね。なにかしないといけないでしょう」。野球部は特待生問題など、頓挫はあったものの、先輩から贈られた白球を追い掛け、春夏連覇を目指している。

 ▼レッドソックス岡島秀樹投手 門奈さんには今年に入ってかな、道具の支給がないということで、 何かくれないかと言われたので、グラブを渡しました。使ってくれているんですか、うれしいですね。時々メールが来ているんで、やりとりはしています。同じ 左腕で、巨人時代は特に寮で一緒だったということもあり、特に気を遣っていただきました。僕が悩んだ時にもいろいろ相談に乗ってくれましたし、自分が今、 大リーグでやれている今でも感謝しています。打撃投手という仕事は大変ですし、私も裏方さんへの感謝の気持ちは忘れたくない。門奈さんの分まで頑張りま す。

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