Thursday, May 31, 2012

聖戦の後味

『ふしキリ』擁護なんかしません。ただ、「ポップ」だと評しただけですし、その評価の意図は前に記したとおりです(誇張はあるが、トンデモというほどではない)。ポップなもの、アクチュアルなものへの私の距離感はいつも同じです。

授業に使えるものは何でも使います。学生の興味を引き、より正確な理解への糸口になると思ったら、映画でもアニメでも落語でも、何でも。

プラトンのイデア論と彼の二世界論を説明するために、毎年『マトリックス』の抜粋を見せます。たとえ、それが雑駁すぎる絵解きだとしても、『マトリックス』を映画として評価していなくても、です。

基礎学力のない学生たちの無関心という分厚い砦は、厳密な知識と緻密な論理構成という重装甲車では突破できないのです。彼らは少しでも難しそうな気配のフォントでつくられた本は手に取ろうとすらしません。

あなたがたはあなたがたの戦いを続けるのでしょう。私には「もっと有意義なことに時間をお使いになれば…」と映りますが、もちろんそれは余計なお節介というものです。

私はと言えば、別の場所で日夜、戦い続けています。基礎学力のない学生たちに教えるということはどういうことか。文字通りの「戦い」です。教員たちの苦闘というものがあるのです。

教会でも同じことではありませんか。私には厳格な神学論議を聴くために教会に足を運んでいる人はほとんどいないように思えます。他の信者たちとの(もちろん彼らなりに神やキリストを介した)小さな共同体感覚、ふれあい、交流、レクリエーション、そして若干の儀式の「ムード」、そういったものを楽しみに来ているという人がかなりの数を占めるのではないですか。

有力大学以外のほとんどの大学はそういう状態にあると思います。少なからぬ学生たちにとって、大学生活における最大の関心の的は勉強ではないし、ましてや厳密な学問理解ではないのです。

そういった人たちに真のキリスト教への道を歩んでもらいたい。その気持ちは分かります。あとは、その目的を達成するために、どういう道を取るか、です。

私にとっては、中世哲学の背景としての大雑把なキリスト教理解、学生にとってのそのための格好の入り口として見つけたのが『ふしキリ』だったということです。あなたがたに教えていただいた幾つかの入門書で、それを超える分かりやすさと面白さと廉価性を兼ね備えたものがあったら、喜んでそちらに乗り換えるでしょう。

ただ、「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が…」(ヨハネ8:7)を思います。若き聖戦の戦士たちにもいずれ分かる時が来るのではないでしょうか。聖戦の後味は、いつの時代にもほろ苦いものだと。

しかし、今はお互いに信じる道を進みましょう。

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