Saturday, April 29, 2023

いただきもの(2023年4月①)

2023年4月1日

武蔵大学の土屋武久先生より、ご高訳ニール・アーチャー『ロードムービーの想像力:旅と映画、魂の再生』(晃洋書房、2022年12月)をご恵投いただきました。

まったく縁もゆかりもない私にどうしていただけたのか分かりませんが、ともかく不思議なご縁を感じました。

実は数日前までひと月近くパリに研究滞在していたのですが、往路の飛行機で遅ればせながらようやく『ドライブ・マイ・カー』を観たこと。到着したパリで、仕事を終えた後、夜に映画を観る習慣を徐々に取り戻し、いろいろ観た中にヴェンダースの『パリ、テキサス』があったこと

また、先生の仕事を検索するうちに、『映画で実践!アカデミック・ライティング』(小鳥遊書房、2019年)の訳者でもあるということを発見して驚きました。映画で卒論を書きたいと言う学生によく薦めている一冊だったからです。

そして最後に、私自身はフランス哲学研究を主にしているのですがいずれ手掛けたいと願っていたのが「旅の哲学」だったのでした。

まだパラパラとめくったばかりですが、本の造りもとても手に取りやすく、旅の供にぴったりですね。これからじっくり拝読させていただきます。

2023年4月5日
中京大学の山崎敦さんより、待望のご高著 Bouvard et Pécuchet, roman philosophique. Une archéologie comique des idées au XIXe siècle, Presses universitaires de Vincennes, coll. "Manuscrits Modernes", 2022.をご恵投いただきました。

苦節二十年とのこと、私の博論も2007年提出だったので、ご苦労はよく分かります。まずはお疲れさまでしたと心から申し上げたいです。

まだ序論に目を通したにすぎませんが、やはり「哲学的小説」の「哲学」が興味深いです。その「哲学的射程」はもちろん何らかの哲学的教説やテーゼを標榜することから来るのではない。そうではなく、「知的言説とその記憶が、奇妙に歪曲されながらも、物語の展開に沿って、登場人物の語りや身振りのうちに、細かなディテールのうちに巧みに統合されている」ということからこの哲学的小説の「力」は来ている。

そこでは概念が小説の登場人物と同じ役割を果たしている。人物と同じように動き、ぶつかり、戦い、破壊し合う。その概念的人物たちが演じるエピステモロジックなシナリオ、
ドラマ化、その演出がcomiqueなのであって、登場人物たちがcomiquesなのではない。フローベールにtournant comiqueがあったとしてーーそもそもcomiqueはどう訳すのが正解なのでしょうーーその場合のcomiqueはcomique singulierであって、そこで問題となるのは、idées comiquesではなくcomique d'idéesである、というのはそういうことですね。

ドゥルーズ=ガタリのそれとはかなり異なる概念的人物たちはむしろ、至極真面目な、時に滑稽なほど真面目で、皮相なほど悲壮だというのが、『ブヴァールとペキュシェ』の中で作動している観念の喜劇のメカニズムだ、と。パスカルの「哲学を嗤う反哲学的哲学」、自らをソクラテスと素朴な百姓の間の「中間者」の位置に置くモンテーニュを彷彿とさせるポジショニングですが、そこにフローベール独自のcomiqueが差し挟まれる。といった読みが正しいのかどうか、これから楽しみに読ませていただきます。

2023年4月8日
北海道教育大学の古川雄嗣さんより『近現代日本思想史 「知」の巨人100人の200冊』(平凡社新書、2023年2月15日)をご恵投いただきました。

ひとまず古川さんの手になる五篇ーー「阿部次郎」「鈴木大拙」「西田幾多郎」「柳宗悦」「九鬼周造」だけ拝読しました。面白いもので、そういう読み方をすると、やはり書き手の個性が浮かび上がってくる気がします。

1)安易な日本主義への警戒感(私の言葉で言えば、「反時代的」姿勢)と単なるコスモポリタニズムでもグローバリズムでもない「世界」への開かれ
 阿部「多くの知識人が日本回帰になだれ込んでいったこの時代にあって、阿部があくまでも人格主義という理想を手放さなかったことの意味」(86頁)
 鈴木「禅とキリスト教、東洋と西洋といった分別を越えた無分別こそが、まさに禅の第一義なのである。大拙にとって禅とは、その深みにおいて人が真に「世界」と出会う道行だったのである」(107頁)。
 西田「行為によって世界を知り歴史を作るのであるとする行為的直観」(113頁)
 柳「日本の同化主義政策を批判」(126頁)。「民藝とは「民衆的工藝」であると同時に「民族的工藝」であり、柳にとってそれは単なる美の問題ではなく、人間と国家と世界のあり方の根本に関わる問題であった」(127頁)。「柳にとって「日本」とは、それぞれに固有な自然風土と歴史をもつ「地方」の総合である。(…)確かに我々は日本を誇るべきであるが、それは「具体的な形のあるものを通して」であり、それによって我々は「世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学ぶ」のだと、柳は言うのである」(128頁)。
 九鬼「敢然と「外国文化に対して或る度の度量を示すことを怠ったならば日本的性格は単なる固陋の犠牲となって退嬰と委縮との運命を見るであろう」と言い放ったところに、彼の「いき(意気)」を見ることができる」(163頁)。

2)手触りのある、経験に根差した哲学
 鈴木「いわば霊性に貫かれた感性的世界を生きる」ことで「より深い意味が立ち現れる」(106頁)。
 西田「哲学の動機は深い人生の悲哀でなければならない」(111頁)。
 九鬼「苦界に生きるすべての人々の生を、美的・倫理的に肯定しようとした」「胸に暗黒なものを有って、暗黒のために悩まなければ哲学らしい哲学は生まれてこない」(162頁)。

とても共感するフレーズがたくさんあって、つい引用しすぎてしまいました(笑)。

Saturday, April 08, 2023

いただきもの(2023年1月-3月)

2023年1月25日
愛知医科大学の兼本浩祐先生からご高著『普通という異常 健常発達という病』(講談社現代新書、2023年1月20日)をご恵投いただきました。

《「人間とは一つの症状なのだ」という世紀末に流行ったプロパガンダをもう一度声高に喧伝しようという意図はないのですが、健常発達的特性が極端になれば、それはそれでやはり耐え難くしんどいことはあるのであって、健常発達という病を考えることは、そのまま人間とは何かを考えることにつながるのではないかという方向性には、今も何がしかの有効性があるのではないかとは考えています。》という先生の方向性には共感するところが大きいです。

同じ方向性をもつ「人間であることは疲れること」に関するベルクソンの指摘(240頁)には精神科臨床と響き合うものがあると私も感じており、以前兼本先生からもメールでうれしいお言葉をいただいていたのですが、私のリズムの議論を平井さんの「生の未完了的感覚クォリア」の議論と接続して論じておられる(88‐89頁)のを見て、はっとさせられました。まだ明確に論じられるわけではありませんが、今後ぜひとも深めていきたい論点です。大切に読ませていただきます。

2023年2月5日
専修大学の宮﨑裕助さんより、ご高訳ジャック・デリダ『メモワールーーポール・ド・マンのために』(水声社、2023年1月10日)をご恵投いただきました。

私がベルクソンを読むに際してデリダから学んだことは数多いのですが、とりわけ「読解と分析と解釈の省略(エコノミー)」(305頁)「これで最後だ、ケリがついた」と短絡的に考える「最悪の健忘症」(337頁)に抗し、粘り強く読解を展開することでした。

この点は特に「歴史家デリダの眼」を通してミクロとマクロの両次元で実践された「読むことのレッスン」である第Ⅱ部で再確認されますが、理論的には何といっても第Ⅰ部が興味を惹きます。ハイデガー的言語論・記憶論(言語の自己呈示作用=起源へのノスタルジー)のド・マンによる書き換え(自己撤回作用=起源との乖離)という対比は、ベルクソンとハイデガーの対決について考えている私にとっては示唆するところの大きいものです。

2023年2月5日
鹿児島大学の太田純貴さんより、ご高訳ユッシ・パリッカ『メディア地質学——ごみ・鉱物・テクノロジーから人新世のメディア環境を考える』(フィルムアート社、2023年2月5日)をご恵投いただきました。

「自然とテクノロジーの連続体をいかに考えるべきか」をめぐるメディアエコロジー三部作を締めくくるデジタル唯物論的な作品として、特に「非有機的なもの」に焦点を合わせ(308頁)、「傍若無人新世」(素晴らしい訳語ですね)、つまり人類が電子廃棄物やそれが引き起こす影響(ダーティで危険な物質性)によってゆるやかな時間スケール(地質学的な持続時間)で地球を改変しつつ、それによって人類自身を改変し条件づけている時代を描き出す(315頁)。

ただし、太田さん自身は、パリッカの「生真面目さ」に「若干の息苦しさ」を感じる読者には、アクティヴィスト的な問題意識はいったん傍らに置き、むしろ「ときに蛮勇に見えても、さまざまな領域を横断して議論をすることに対して、強く背中を押してくれる」側面に目を向け、「新たな論点や視角を構築するための推進剤」として利用することを勧めていらっしゃいますね。ベルクソンの四大著作のさまざまな議論との関連を喚起させる刺激的な議論で、楽しみに読ませていただきます。

2023年3月1日
檜垣立哉先生より、ご高著『生命と身体 フランス哲学論考』(勁草書房、2023年1月26日)をご恵投いただきました。

「フランス現代思想は、実は現時点において、ようやくその本領を発揮する「とば口」にたったのではないか」(iii頁)、「すべてが「これからだ」、という段階である」(iv頁)、「書かれたものは、見知らぬ者、場合によってこの世で生を共にしない他者に、「これからだ」という声を引き継ぐことでもある」(同)

これは実は三十年来、檜垣先生の「哲学的眼差し」の根幹にあるものかもしれませんね。このひと月の間に、第Ⅱ部・第Ⅲ部を中心としてすでに複数の論考を再読させていただいております。地力としか言いようがありませんが、このレベルのものを毎月のように書き続けていらっしゃるのは、本当に尊敬と畏怖を覚えております。

2023年3月1日
東京大学の王寺賢太さんより、ご高著『消え去る立法者――フランス啓蒙にける政治と歴史』(名古屋大学出版会、2023年2月28日)をご恵投いただきました。

昨年拙著を送りする際に話されていた待望の単著刊行めでとうございます。二段組でこの分厚さは凄いですね!ディドロが中心と想像してりましたので、ルソーが圧倒的な部分を占めていてびっくりしました。この夏から一年間フランスに研究滞在しますので、じっくり読ませていただきます。

2023年3月1日
専修大学の佐藤岳詩さんより、勢力尚雅・古田徹也編『英米哲学の挑戦―文学と懐疑―』(放送大学教育振興会、2023年3月20日)をご恵投いただきました。

ご担当された第9章から第11章を早速拝読しました。第9章では道徳判断に関してヘアとウィンチの間で「単純にどちらかが間違っていると断ずるのを避ける一つの途」(153頁)を探し、第10章ではその道徳判断の(主観性と)客観性に関してフットとマードックの間で「両社は相補的なものであると考えることもできる」(173頁)とし、第11章では判断の確実性(真理)を目指す意義に関してローティとウィリアムズの間で「両者は完全に対立するものというわけではない」(187頁)と見て、読者に「考えてみてほしい」と問いかける。佐藤節ですね。

特に興味深かったのは、「道徳を時間的に幅を持った仕方で捉える可能性」「時間の流れの中で自己を捉える」といった視点です。ベルクソンの道徳哲学(著作で言えば『道徳と宗教の二源泉』)とどのような関係を持ちうるのか、今後考えていきたいと思います。

いただきもの(2022年7月-12月)

2022年7月12日

小林康夫先生より、ご高著『クリスチャンにささやく 現代アート論集』(水声社、2022年5月30日)をご恵投いただきました。

「現代アート論集というよりは、アートへと接近するわたしなりのクリティークの方法を、
ある種のゆるやかな物語(レシ)の構成として編集したもの」(191-192頁)、
つまり先生なりの「哲学」ないし「思考」の実践と受け止めました。

84年に訳されたデュラスの『死の病』に始まり、90年代初期から2020年代まで、
「一貫した「スタイル」(…)一言で言えば、三人称的に論じるのではなくて、
二人称的に語りかける「態度」、「二人称のクリティーク」(…)あくまでも一‐二人称の語りのエクリチュールを、わたしはずっと実践してきた」(176-177頁)。以前伺った「自分なりの哲学を」を今一度、身をもって示していただいた気がしています。私も私なりの思考の舞踊に精進してまいります。

2022年7月16日
平井靖史さんより、ご高著『世界は時間でできている――ベルクソン時間哲学入門』(青土社、2022年)をご恵投いただきました。

圧倒的な本ですね。「「その先」について100号の絵を描いて見せてくれたものはどこにもなかった。だから書いた」(363頁)。時間の哲学者として知られる人物の時間哲学入門が今までなかったとは、、今まで折に触れて平井さんのご発表を聴き、ご論文を読んできましたが、このサイズ感は圧倒的です。ようやく全貌が見えた感じです。とはいえ、私の手にはまったく余るものであり、「全貌が見えた」などとは到底言えませんが。

この本を英語に翻訳するのは、世界のベルクソン研究にとってのみならず、「心理学、生物学、物理学、脳科学や人工知能学の分野に身を置きながら意識や心の理論化に関心を抱くすべての人」(362頁)にとっても、本当に大切なことだと思います。お忙しいのは重々承知していますが、この数年で何を措いてもなされるべき仕事だと考えます。

2022年8月27日
川瀬雅也先生、越門勝彦さんより『ミシェル・アンリ読本』をご恵投いただきました。

現象学者としてのみならず、レジスタンス活動に身を投じ、野蛮やマルクスを論じた政治的・社会的側面や、小説家としての側面などから、実に多面的にアンリを描き出しておられますね。しかも松永先生のような大家から若手まで老壮青が絶妙に協働されており、日本ミシェル・アンリ哲学会を切り盛りされてこられた川瀬先生のご尽力によるところが大きいと拝察いたします。

2022年9月28日
馬場智一さんより『レヴィナス読本』(法政大学出版局、2022年9月30日)をご恵投いただきました。

本当に恥ずかしいことながら、2018年にレヴィナス協会が設立されていたとは存じ上げませんでした。峰尾公也さんなど最近お仕事をご一緒させていただいた方もいらっしゃるのにと猛省しております。ネット検索もあまりやらないので、どんどん取り残されていきますね、、、

馬場さんの執筆部分だけとりあえず大急ぎで拝読しました。「全体性」の部分では、百科事典の項目として執筆された「全体性と全体化」(1970年)における全体性の扱いには存在論批判に収まらないより精緻な議論が見られるという点、『貨幣の哲学』では、血で血を洗う復讐を超える貨幣による補償としての「損害賠償」にも貨幣の肯定的機能を見出していたという点など、勉強させていただきました。

『諸国民の時に』や「レヴィナスと哲学史①古代~中世」では、実に繊細な手つきで解説されており、とりわけヘブライ語とギリシア語の関係やプラトンの正当な嫡子としてのレヴィナスといった側面にあらためて気づかされました。私もいつだったか書いたレヴィナスとベルクソン論のバージョンアップが特に共同体問題について必要だと痛感した次第です、、他の方々の御論考も追って拝読させていただきます。

2022年9月29日
澤田直先生より、ご高訳エドガール・モラン『百歳の哲学者が語る人生のこと』(河出書房新社、2022年6月20日)をご恵投いただきました。

モランはクラカウアーに似た存在なのかと何となく思っておりましたが、哲学者・社会学者という枠組みに収まらず、自然科学まで自在に横断する存在という澤田先生の解説を拝読して、そう言えば、フランスにはミシェル・セールやコスタス・アクセロスなど、最良の意味での「知識人」、18世紀的な意味での「フィロゾーフ」が未だに現れてくるなと思いました。

2022年11月30日
檜垣立哉先生より、『日本近代思想論――技術・科学・生命』(青土社、2022年11月30日)をご恵投いただきました。

大学の内外であまりにお忙しく、また重責を担われているなかで、これほどの圧倒的な質・量を誇る著書を次々と送り出すのは、本当に人間業とは思えません。「自分も道半ばでありつづけ、可能なかぎり、本書で提示した課題をさらに追いつづけ、自分の生をまっとうしたいと考えるのみである」(379頁)。檜垣先生の背中を遠く仰ぎ見つつ、私も(規模は全く違いますが)同じ道を歩むことができればと願っております。

2022年11月30日
日本大学の久保田裕之さんより、『結婚の自由――「最小結婚」から考える』(白澤社、2022年11月22日)をご恵投いただきました。まさに「私の関心そのものズバリ」の論点ですので、興味深く拝読させていただきます。

2022年12月28日
東北大学の森一郎先生より、ご高著『アーレントとの革命の哲学——『革命論』を読む』(みすず書房、2022年12月16日)をご恵投いただきました。

『革命論』のご高訳をいただいたのが4月、あれからほとんど時を経ずして、その副読本とも言うべきテクスト読解が出るとは。しかも、現代日本の状況に照らし合わせるための目配せがふんだんに散りばめられ、最後には「革命やれたらきっともっと愉しいだろうなあ」(307頁)という本音まで(笑)。

ちょうど刊行日である12月16日には安保3文書が閣議決定され、まったく逆方向への「歴史的転換」がなされつつありますが、私もまた、私の道程の上で「革命」へのささやかな
(あまりにもささやかな)寄与をできればと願っています。まずはアーレントとベルクソンについての或る種の政治哲学的考察から、、


いただきもの(2022年2月‐6月)

2022年2月20日

独立研究者の逆巻しとねさんより 『メディウム』(

https://mediensysteme2019.wordpress.com/

)のダナ・ハラウェイ特集をご恵投いただきました。

https://medium-schrift.booth.pm/

今のベルクソン論が終わったら、いずれ愛・性・家族本を仕上げるべく、ハラウェイも読みなおさねばと思っています。特集以外もユク・ホイの書評など、面白そうですね。

2022年3月2日
名古屋文理大学の青山太郎さんより、ご高著『中動態の映像学――東日本大震災を記録する作家たちの生成変化』(堀之内出版、2022年1月31日)をご恵投いただきました。

後半でベルクソンが登場し、デイントンが出てきて「おおっ!」となり、そこから中動態の議論、さらにはご自身のオリジナルの「複眼的中動態」――「肉眼で見るという関係性」における「一般的な芸術学的中動態」に対して、「自分の目で見るという関係」と「レンズ越しに見るという関係」の相互的異質性において「主体と対象が同時に複数の関係性を取り結ぶこと」(324-325頁)――というところまでぐいぐい引き込まれて、それこそ本書と中動態的な関係を結んでしまいました。とても面白かったですし、取り上げられている記録作家
たちの映像を見てみたくなりました。

2022年3月6日
立教大学の平賀裕貴さんよりご高著『アンリ・ベルクソンの神秘主義』(論創社、2022年2月20日)
をご恵投いただきました。

日本では特に現在MMが人気で、今まで本格的な研究が少なかったことを考えれば、それはそれで必要なことですが、DSもさらなる研究の深化が必要ですよね。平賀さんのご著書のどの章も『二源泉』のさらに深めるべきポイントを魅力的に提示されていますね。

2022年5月4日
明治大学の岩野卓司先生よりお誘いいただいた講義に関する報告が掲載された明治大学大学院教養デザイン研究科紀要『いすみあ』を研究科のほうからお送りいただきました。拙い発表にもかかわらず、過分なご報告を岩野先生自らいただいたことにも深く感謝申し上げます。

おっしゃるとおりで、ヘーゲルに関しては今回発表の機会を与えていただいたおかげで或る程度輪郭が見えたのですが、キルケゴール、マルクスに関してはまったく時間もなく、要点すら述べられませんでした。申し訳ない限りです。ただ手がかりは掴みました。単著がようやく完成しましたので、次は結婚の脱構築の完成に向けて気長にやっていきたいと思います。

2022年5月19日
大阪大学の檜垣立哉先生より『ベルクソンの哲学 生成する実在の肯定』新版をご恵投いただきました。もちろんすでに旧版を拝読しており、今回の私の単著でも引用させていただいておりますが、あらためて勉強させていただきます。

2022年6月5日
大阪大学の米田翼さんより、ご高著『生ける物質 アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想』(青土社、2022年6月1日)をご恵投いただきました。すごい密度の著作ですね。34歳?でこれを出せるというのもすごい。ブックイベントでご一緒できるのを楽しみにしています。

2022年6月11日
帝京大学の福島知己さんより、フーリエのご高訳『産業の新世界』をご恵投いただきました。お礼を申し上げるために読もうとして、カバンに入れた日にそのカバンごと紛失してしまい、お礼が大変遅くなってしまいました(現在購入して配送待ちです)。申し訳ありません。

2022年6月12日
東北大学の森一郎先生より、ご高訳ハンナ・アーレント『革命論』(みすず書房、2022年5月)をご恵投いただきました。

『活動的生』の時もドイツ語版から出す重要性(アーレントのより生き生きとした声を聴く)を思いましたが、今回は、森先生も書いておられる現代日本の改憲論議(の低調さ)とも相まって、よりアクチュアルですね。来年、サバティカルでベルクソンとフランクフルト学派周辺の人々(アーレント、ベンヤミン)の関係について考えてみたいと考えているので、ぜひ拝読させていただきます。「同じ場所に大勢集まって自由に議論を交わすー-とともに酒を酌み交わす--」ことを普通に再開できる日がもうそこまで来ているようにも感じられます。また近々対面でお会いできることを願いつつ。

2022年6月14日
岡本裕一朗先生より、拙著への返礼として『ヘーゲルと現代思想の臨界 ポストモダンのフクロウたち』(ナカニシヤ出版、2009年)をご恵投いただきました。実は・・・所持し(岡本先生の既刊のものは、おおよそ所持しております)、もちろんすでに拝読しておりました。お手数を取らせてしまい、誠に申し訳ありませんでした。ヘーゲルの本と伺い、てっきり新著だと思い込んでしまい、「お願いします!」と申し上げてしまった次第です。しかしこの機会にふたたび読み直すことに致します。

2022年6月19日
西山雄二さんからベルクソンのブックイベントに素敵な花を送りいただき、
またイベント終盤には場を盛り上げるさすがの質問もいただき、本当にありがとうございました!イベントに花を贈るという発想がなかったので、心底びっくりしました。いつも送っていただいてばかりですみません。

2022年6月27日
檜垣立哉先生より、ご高著『バロックの哲学』(岩波書店、2022年)をご恵投いただきました。先日のZOOM会議でうっかりまだ購入していないことに気づき、実はあの後、慌ててアマゾンで購入してしまっていたのでした、、お手数をお掛けしてしまい、すみませんでした。ともあれ熟読してイベントに向かいたいと思います。

いただきもの(2021年9月-12月)

2021年9月4日
佐藤岳詩さんより『心とからだの倫理学――エンハンスメントから考える』 (ちくまプリマ―新書、2021年8月10日)をご恵投いただきました。

 4月に『倫問』が出たと思ったら、もう二冊目、、、 そんなに急いで偉くならないでください(笑)。 まだパラパラ拝見しただけですが、今回もまた、 丁寧に議論を積み重ねられており、 ゼミで学生たちと読んでいくのにぴったりの本だと思い、 早速教科書に指定致しました。 

2021年9月4日
江川隆男先生より、ご高著『残酷と無能力』(月曜社、2021年8月30日)をご恵投いただきました。

先生とは、一昨年のスピノザ研究会の合評会後の懇親会(と二次会)で、ほぼ初対面ながら、実に気さくに接していただきました。今でも温かく愉快な思い出として心に残っております。

ご著書はいつもながら圧倒的な強度に満ちており、(間違いなく日本人哲学者のなかで「強度」という形容が最もぴったりくる方のお一人です)読むたびに「哲学するとはどういうことか」と迫ってきて、刺激をいただいております。

テーマ的には、昨年とある学会シンポで「分身論」について発表いたしましたので、
先生がすでに十五年以上も前に考えておられたことを遅まきながら知り、驚きました。

2021年9月4日
京都国立近代美術館学芸課の主任研究員の牧口千夏さんより、展覧会「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island」のカタログをご恵投いただきました。最近なかなか美術館に足を運べていないので、今回いただいたカタログを眺めて、久々にアートに触れた気がして、うれしい気持ちになりました。カラフルでポップ、挑発的だけれどユーモアを忘れない、今の時代にとてもあっているのかもしれませんね。

皮膚感覚科研との関係で言えば、ご発表でも話されていましたが、映像の内容自体でも、投影先(鑑賞者の身体、家具)との関係でも、「触覚性をともなう視覚」(Vol.2:テキストブック、13頁)というのが大事になってくるのでしょうか。ともあれ、やはりヴィデオインスタレーションなので、現場に足を運んで、全身で体験してみたいです。
コロナが一刻も早く収束することを願いつつ。

2021年11月30日
青土社の加藤紫苑さんより、『現代思想』大森荘蔵特集をご恵投いただきました。大森門下の方もいらっしゃれば、まったく別筋の方もいて、バランスの良い配置ですね。

2021年11月30日
中田光雄先生より『ドゥルーズ=ガタリ、資本主義、開起せよ、幾千のプラトー』をご恵投いただきました。いつもながら

いただきもの(2021年4月)中里まき子さん

2021年4月 中里まき子さん(岩手大学)より、『智恵子抄』の仏訳をご恵投いただきました。

TAKAMURA Kôtarô, Poèmes à Chieko,
(Pessac : Presses Universitaires de Bordeaux, avril 2021)

『智恵子抄』を2021年にフランスに紹介するにあたって、智恵子の「内面の苦しみ」(tourments intérieurs)から目を逸らし、「子どもの無邪気さ」(innocence d'enfant)を前面に押し出すことで、美化(esthétisation)していたのではないか(p. 16, 17)という指摘は欠かせないと思っていたので、さすが!と思いました。清家雪子さんの『月に吠えらんねえ』にも言及すれば、フランスの読者にも良かったかなと思います。

詩に疎い人間としては、『智恵子抄』が、真実の「もう半分」(l'autre moitié)を描いていないにもかかわらず、
「日本で最も読まれた詩集の一つ」(p. 9)となった理由や、戦後の七年間、良心の呵責から花巻に閉じこもった経験によって開かれたという「彼の詩の新たな境地」(p. 19)がどのようなものであったのか、知りたいところです。

Tuesday, April 04, 2023

2022年‐2023年度の教育業績

①2022年7月16日()14:00-16:00 あなたの"性"とは?セクシュアリティについて考える
主催者: 藤田尚志+九産大藤田ゼミ生

ゲスト:池袋真(女性医療クリニックLUNA トランスジェンダー外来担当医)

②7月20日(水)17:30~19:30 札幌から福岡へ~LGBTQと社会

主催者:藤田尚志+九産大藤田ゼミ生

ゲスト:さっぽろレインボープライド実行委員会有志

③7月21日(木)17:30-19:30 土肥いつきさんと語る若者のトランスジェンダーの悩み
主催者:藤田尚志+九産大藤田ゼミ生

ゲスト:土肥いつきさん(トランスジェンダー生徒交流会世話人)

④7月22日(金)14:40-16:10 土肥いつきさんと語る、学校教育とトランスジェンダー@佐賀大 主催者:科研費プロジェクト「日本・英米との比較から見たフランス現代哲学の主体・人格概念(愛・性・家族を軸に)」(研究課題番号22K00022)+佐賀大学教員有志(吉岡剛彦+後藤正英)

⑤12月21日(水)17:30-19:30 皮膚と心 亜鶴Azu氏講演会
主催:国際文化学部国際文化学科藤田尚志研究室

Monday, April 03, 2023

2022‐2023年度の研究業績

 例年同様、本年度の研究も、1)ベルクソンを中心とする近現代フランス哲学研究を軸に、2)哲学と大学、3)愛・性・家族の形而上学とその脱構築について進められた。

単著が1つ(日本語)、共著が3つ(日本語2つ・英語1つ)、論文が3つ(英語2つ、日本語1つ)、翻訳が1つ(仏語⇒日本語)。

口頭発表が7つ(すべて単独。日本語2つ、フランス語3つ、英語2つ)。

出版物:著作・論文・翻訳

01. 藤田尚志『ベルクソン 反時代的哲学』、勁草書房、2022年6月1日。

02. 藤田尚志「講義の時間——ベルクソンのコレージュ・ド・フランス講義録を読む」
 『フランス哲学・思想研究』第27号、2022年09月、3-20頁。シンポジウム依頼論文。
03. "Diremption and Intersection: The Violence of Language in Bergson and Sorel", Parrhesia: A Journal of Critical Philosophy No. 36 (October 2022), pp. 180-200.

04檜垣立哉・平井靖史・平賀裕貴・藤田尚志・米田翼『ベルクソン思想の現在』、書肆侃房、2022年12月23日

05. 平芳幸浩編『現代の皮膚感覚をさぐる――言語、表象、身体春風社、2023323日共著、担当部分:第1章「かゆみの哲学断章――哲学的触覚論のゆくえ」

06. Yasushi Hirai (ed.), Bergson's Scientific Metaphysics: Matter and Memory Today, London: Bloomsbury Publishing.5月刊行予定

07. アンリ・ベルクソン1903‐1904年度コレージュ・ド・フランス講義 記憶理論の歴史』(平井靖史・天野恵美里・岡嶋隆佑・木山裕登との共訳)、書肆心水より夏ごろ刊行予定?

08. 藤田尚志「Sublime and Panoramic Vision: Bergson, Kant and Heidegger on Schematism」、Bergsoniana』第3号、2023??月、??頁。査読有

発表


01. On Panoramic Memory: Analytic and Bergsonian Perspectives
International Workshop "Remembering: Analytic and Bergsonian Perspectives 2" (Sunday 2 October 2022, Seminar Room A701, Fukuoka University / Zoom)(口頭発表①、2022-2023年度)

02. フーリエ的思考と結婚の脱構築——ベルクソン、ドゥルーズを参照しつつ
セッション「フーリエ研究の現在」@社会思想史学会:福島知己さん、清水雄大さん、金山準さん、篠原洋治さん(世話人)とともに。 (2022年10月16日(日)10:00-12:00 @専修大学生田キャンパス(神奈川県川崎市)第3会場(スタジオ202))(口頭発表②、2022-2023年度)

03. On Expressive Personality. Analytic and Bergsonian Approaches
Project Bergson in Japan 2022: Analytic and Bergsonian Perspectives Day 2 with Emmanuel Picavet and Tatsuya Murayama (chair)(2022年11月4日(金)21:00-23:00 (JST) @ZOOM)(口頭発表③、2022-2023年度)

04. 感覚を計測するとはどういうことか?――カント、フェヒナー、ベルクソン
PBJ(Project Bergson in Japan)主催ワークショップ「精神物理学の起源と展望:フェヒナー、ベルクソン、そして…」 、登壇者:福元圭太先生(九州大学)・本吉勇先生(東京大学)、司会:平井靖史さんとともに (2023年1月7日(土)14:00-16:30 @福岡大学七隈キャンパスA棟A701教室+オンライン配信あり)(口頭発表④、2022-2023年度)

05. Déconstruire - Les revies de Rétif de la Bretonne

Colloque international "Les Revies - de Rétif de la Bretonne" co-organisé avec Atsuo Morimoto et Keiko Tsujikawa(2023年2月22-23日(金)21:00-23:00 (JST) @ZOOM)(口頭発表⑤、2022-2023年度)

06. Bergson et Heidegger I: deux voies de l’organologie (autour de l’être vivant)

Séminaire de recherche international "Bergson extrême-orientable : Actualité des études japonaises" dans le cadre de l’IRN CNRS « Un chapitre dans l’histoire globale de la philosophie. Nouvelles perspectives sur le bergsonisme » (Organisation : Caterina Zanfi) Lundi 13 mars 2023, 11h-13h, Salle Pasteur (et Zoom))(口頭発表⑥、2022-2023年度)

07. Bergson et Heidegger II: deux voies de l’éthique originelle (autour de l’appel)

Séminaire de recherche international "Bergson extrême-orientable : Actualité des études japonaises" dans le cadre de l’IRN CNRS « Un chapitre dans l’histoire globale de la philosophie. Nouvelles perspectives sur le bergsonisme » (Organisation : Caterina Zanfi) Jeudi 16 mars 2023, 16h-18h, Salle Pasteur (et Zoom))(口頭発表⑦、2022-2023年度)