年初にあたって、あらためて書いておく。このブログは私自身と私のごく少数の友人たちが前に進むために書かれたもので、それ以外の宛先・目的はない。私が直接声を掛けて読んでもらっている方々以外は完全なヴィジターである。
日本のブログを使わないのは無意味な語句検索で簡単に拾われてしまうから(最近はそれでも拾われてしまうが)、snsを使わないのは完全に閉じたami-amiの共同体をつくるのが生理的に好きではないからだ。
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「二十歳の微熱?」と題して私が書いた一文を読んで得られた印象が、「自画自賛」とは。。どう読み違えれば、そうなるのか。人の言葉を常に悪く、低く受け取る人を見ると、腹が立つというより、悲しい。
何度でも言う。私は、前を向くための言葉を紡ぎ出そうとしている。それが分からない人にはこのブログは完全に無意味である。読むのをやめることをお勧めする。
自分のポジティヴなオフィシャル・イメージをつくりあげることには興味がない。もしそうしたければ、私は毎日、海外の研究者とのやり取りを微に入り細に入り報告し、青臭い原理論など素知らぬ顔で通し、颯爽として禁欲的な研究者としてのイメージを固めることに専心することもできる。
誤解を避けるために特に強調しておくが、それをするのが悪いと言っているのでは全くない。それは一人一人の人生の選択である。もしかすると近い将来、私だってそうするかもしれない。しかし、少なくとも今のところ私はそうしていない、と言っているのである。
前を向くためなら、恥ずかしいことでも書く。例えば、昨年7月のある日書いたように。そういう気持ちで今年も書いていきます。一年間どうぞよろしくお願い致します。
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一昨日、仏文学会誌掲載用の論文校正を終了。7月19日までに日仏哲学会誌掲載用の論文校正。それ以外は、大論文に集中。
といいつつ、昨日、次号掲載予定の紀要論文のさらなる向上を求め、その内容を某ゼミで発表させてもらったのだが、結果は散々。
内容的には自分の実力並みだったと思うのだが、プレゼンの仕方がまったく良くなかった。
すでに書き上げた論文を「ですます」調に直して読み上げれば何とかなると思っていたのだが、結果は大いに問題アリ。初めから聴衆に聞かせることを意図して書かれた講演、それを論文にしたものと、元々論文として発表されることを念頭に書かれた論文、しかも連作の途中部分とでは、発表の仕方に異なる工夫があって然るべきだった。
先生方には「フランス料理のフルコースを無理やり短時間で食べさせられた感じ」と言われてしまった。
本当にいい発表というものは、どんなに高度な内容を扱っていても、何かしら心に響くものがある。難しさよりも魅力の勝る箇所がある。それはそうだが、しかし聴衆への最低限の配慮はその場合でも必要不可欠だ。
今回の発表は明らかに聴衆(しかも非専門家)への配慮より、書いた中身をそのまま伝えることに重きを置いてしまった。それだけ自分に余裕がなく、また慢心があったのだろう。一節進むごとに目の前で一人また一人と聴衆の心が「ぽきっ」と折れていく音まで聞こえた気がした(笑)。
読み上げ原稿を準備しないのであれば、言いたい内容を大掴みでもいいからその場でまとめて話すという形にすればよかった、と反省。
堅い雰囲気のゼミで、失敗を恐れて、つい目の前に確実な形で存在するマテリアル(論文)にしがみついてしまった。安全策を取ったつもりで、かえってひどい失敗を犯してしまった。
まだまだ道のりは遠いが、同じ失敗を繰り返さないようにしたい。
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