帰還兵たちが自らの戦争体験を語る「冬の兵士公聴会」(Winter Soldier Investigation)がはじめて行なわれたのは、実はイラク戦争の時ではない。1971年のデトロイト、反戦ヴェトナム帰還兵の会(VVAW : Vietnam Veterans Against the War)によるものが初めであった。マーク・レイン(Mark Lane)という人物が「冬の兵士」という名称を提案したとされているが、この名称にはどのような意味が込められているのだろうか?
「冬の兵士」とは
1776年、合衆国は独立戦争において敗北の危機に瀕していた。ジョージ・ワシントンの軍隊は敗戦を重ね、退却を余儀なくされた。その地で部隊は厳寒の冬に苦しむことになる。十分な食糧と衣服が支給されないまま、2000人の兵士が発疹チフスや腸チフス、赤痢や肺炎のために命を落とした。脱走者も出始め、指揮官のワシントンでさえ諦め始めていたそのとき、偉大な革命家トマス・ペインの言葉が部隊を奮い立たせた。
今こそ魂が問われるときである。夏の兵士と日和見愛国者たちは、この危機を前に身をすくませ、祖国への奉仕から遠ざかるだろう。しかし、今立ち向かう者たちこそ、人々の敬愛と感謝を受ける資格を得る。専制政治は地獄にも似て、容易に克服されることはない。それでも私たちは、この慰めを手にする。闘いが困難であればあるほど、勝利はより輝かしいものとなる。夏の兵士と冬の兵士
“These are the times that try men’s souls. The summer soldier and the sunshine patriot will, in this crisis, shrink from the service of their country; but he that stands it now, deserves the love and thanks of man and woman. Tyranny, like hell, is not easily conquered; yet we have this consolation with us, that the harder the conflict, the more glorious the triumph.” (Thomas Paine’s first Crisis paper, written in December 1776)
ひとびとの熱気を支えに勇ましく進軍していくのが「夏の兵士」だとすれば、「冬の兵士」とは、冷え切った世論を前に、ともすれば「裏切り者」扱いされかねない困難な状況下で、真に祖国のため、世界のために行動できる人々のことに他ならない。
このトマス・ペインの詩からスピンして「冬の兵士」という言葉が出来たのだという。冬の兵士とは、最も過酷な状況にあって、本当の意味で祖国のことを思い、精神的な意味で「前線で体を張る」、そういった人々のこと、心の声に耳を傾ける者たちのことであろう。証言者の一人、ハート・バイジェスはこう言っていた。「自分はいま、兵士(soldier)ではなく、魂の戦士(soulja)です。…魂の戦士は弾丸ではなく、言葉をもつ。教条ではなく、心の声に耳を傾ける」。
応答と責任
ここでわざわざ「冬の兵士」の系譜を辿ってみたのは、いかなる政治的行為も何らかの形での「応答response」であり、そのような「応答可能性=責任responsability」なしに政治はありえないということを確認するためであった。IVAWは言ってみればVVAWの放った呼びかけを受け止め、それに応えたのであり、私(たち)はささやかながら、斜めから、すれ違いざまに、通りすがりに、IVAWの呼び声を聴いたのである。
パスカルは「イエスの神秘」において、こう述べていた。「落ち込んだりしないように。もしお前が私を見出していなければ、私を探したりはしないはずだから」。ベルクソンの一節「やがて自分のものになるはずの言葉は、すでに自らの内部にその反響を聞いていた言葉なのである」は、パスカルの言葉と完全に響きあう。わずかであれすでに見出しているからこそ探せるのであり、かすかであれすでに反響を聞いているからこそ自分のものにしようと思うのである。「あんな風になりたい」という憧れに身を焦がし、決心を固め、行動に移る人は、模倣者であると同時に、すでに少しだけ創造者と化している。動的行動の発生は、事後的・遡及的にしか見出されえない。いかなる出会いにも言えることだが、奇妙な因果性がある。本当に出会うためには、すでに出会っていたのでなければならないのだ。
この話の続きは、私の論文でどうぞ(笑)。
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