Friday, July 15, 2011

本棚を整理する「意味」

付け加えておくのを忘れた。私がいるのは、地方の・小さな・私立大学であることを忘れないでおいてもらいたい。大学院が事実上ないに等しい、そのような状況下にあって、学生に、アルバイトではなしに、蔵書の整理をすることの「意義」を理解してもらい、「同意」してもらうことがどれほど大変なことか。例外的なことか。

「勉強」というもの自体に疎外感を覚えている学生が圧倒的多数の大学において、研究の面白さを、それでもなお、伝えようとすることの難しさ。

うちの大学のみならず、最近は学生も教員もとりわけtrustとfriendlinessを混同しやすい。
(この件については、2009年12月4日の項を参照していただきたい。)

ゼミでお菓子を振る舞ってみたり、飲み会で学生との親近感をアピールしてみたり、なんとか学生を勉強のほうへ向けようと必死である。その気持ちは痛いほどよく分かる。私たちはそれほどまでに瀬戸際に追い詰められている。

だが、私は自分に禁欲を課す。絶対に物では釣らない。仲良さ(friendliness)でも釣らない。仲良くなってから勉強させるのではない。彼らが自分から勉強してはじめて、先生に少し近づける可能性が与えられるのだ。

私はこれまで三年間、一度も学生と飲みに行ったことがなかった。一度も彼らの勉強ぶりに満足したことがなかったからである。今年初めてゼミの打ち上げに行くことにした。彼らはライプニッツの『モナドロジー』という難物に、それぞれなりのレベルでかなり頑張って食らいついたと思う。一学期間で30節までしか進まなかったが(笑)、モナド論をプラトンの想起説と比較し、アリストテレスの質料形相論と比較し、曲がりなりにも哲学書を「読む」という経験を共有できた。だから私は、打ち上げを提案した。教師と学生のあるべき関係とはそのようなものだ。

このゼミが私にとってのみならず、私の大学にとって、地方の小さな私立大学にとって、どれほど貴重なものか、敷かれたレールに順調に乗ってきた人々には分かるまい。

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