Friday, September 30, 2011

ベースボールと野球、フィロゾフィーと哲学?

米大リーグ:イチローの足跡 米紙コラムニストに聞く

 2001年のメジャー移籍以来、数々の記録を打ち立ててきたイチロー。連続シーズン200安打が途切れても、その偉業があせることはない。イチ ローが大リーグに刻んだ足跡の意味を、大リーグ取材歴が半世紀にわたる米ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、ジョージ・ベッシーさんに聞いた。【聞 き手・小坂大】

 ◇揺るがない強い意志

米国ではベーブ・ルースの時代から本塁打が好まれてきた。本塁打は「今、すぐに答えがほしい」という米国人の気質を満足させる。筋肉増強剤の使用 が問題になっても、「本塁打を打つためなら構わない」と言う人さえいた。だからヒットを数多く打つことへの関心は低かった。この価値観は米国の個性だ。
 日本でも王貞治の本塁打を誰もが愛したが、一般的には「チームとしていかに点を奪うか」という技術や作戦が野球を考える上での基礎になっている。日本独自のスタイルであり、イチローもこうしたスタイルのたまものだ。米国と異なった文化の選手だと思う。
 大リーグの歴史にも、ヒット量産に生きた選手たちはいる。8年連続200安打を放ったウィリー・キーラーや、4256安打の大リーグ通算安打記録を持つピート・ローズなどだ。
 イチローはもっと本塁打が打てるはずだが、打率を下げるようなまねはしない。体格の不利など己をよく知り、批判されても正しいと思わないことはや らない強い意志がある。イチローは「試合で何をすべきか」と自らの考えを持つことが正しいということを思い起こさせてくれた。イチローが達成した素晴らし い記録や、その個性を思えば、米国野球殿堂入りが考慮される初めての日本選手となるだろう。私は実現すると確信している。
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 ◇ジョージ・ベッシー

1960年から大リーグ取材を続ける。五輪、サッカーのワールドカップなど国際大会のほか、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世、トニー・ ブレア元英首相らのインタビューなどスポーツ以外も手掛ける。著書「野球 アメリカが愛したスポーツ」(クロノス選書)は日本でも翻訳された。ニューヨー ク出身。72歳。
 
毎日新聞 2011年9月29日 東京夕刊

Thursday, September 29, 2011

11/12 シンポ「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか‐家族の変容と家族政策の日仏比較‐」

皆様

1112日に恵比寿の日仏会館で開催されるシンポジウムのご案内です。ぜひ多数、ご参加くださいますように。
なお、この催しと連動して、101日~1228日の3ヵ月間、日仏会館図書室でジェンダー関連の図書約500(日本語、フランス語、英語)の展示、貸し出しも行います。
詳しくは、添付のチラシをご覧いただければ幸いです。

転送歓迎です。よろしくお願いいたします。
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「フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか‐家族の変容と家族政策の日仏比較‐」

主催:公益財団法人日仏会館 共催:日仏女性研究学会 後援:日本経済新聞社 協力:財団法人石橋財団
参加費 一般1,000円、学生500円、日仏会館、日仏女性研究学会会員 無料
日時:1112() 13h30-18h00  場所:日仏会館ホール
要事前予約・日仏会館ウェブサイト<http://www.mfjtokyo.or.jp/>・電話(03-5424-1141)・Fax(03-5424-1200)にて参加登録をお願いします。

プログラム
・日仏におけるカップル形成・出生行動とその関連要因・・・小島宏(早稲田大学)
・社説「日本の『結婚』は今のままでいいのか」、その狙いと反響 ・・・小林省太(日本経済新聞社)
・日本法における婚姻規範の強さと現実の乖離~自由への課題と展望・・・二宮周平(立命館大学)
・フランスの法と社会におけるカップルと親子~子は誰のものか?・・・齊藤笑美子(茨城大学)
・フランスの家族政策と女性~家族モデルを前提としない家族政策とは?・・・神尾真知子(日本大学)
・以上を受けてのコメント、今後の日本の家族の行方を展望・・・上野千鶴子(NPO法人WAN)
17h00-18h00  全体討論 上記講師+会場・・・司会:井上たか子(日仏会館)

 日本では少子化の原因として、晩婚化・未婚化の現象があげられています。しかし、同じように晩婚化・未婚化の傾向が進んでいるフランスでは、近年、出生率が回復し、ヨーロッパでも一二を争う高さを誇っています(2010年:2.01)。つまり、フランス女性は結婚という制度にとらわれずに子どもを産んでいるわけで、2007年には婚外子の割合が半数を超え、2010年は54.5%と増加し続けています。
 婚外子の増加には、1999年に定められたPacs (連帯民事契約)の人気も影響しているようですが(2010年に成立した結婚とPacsの割合は43、ちなみに2009年は32)、事実婚の多さも見逃せません。
こうした状況を鑑みてか、経済界からも「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」といった提言や、「日経新聞」の社説「日本の結婚は今のままでいいのか」(2009.6.28)などの問題提起もありました。
 はたして家族観、結婚観の見直しは出生率の低下を防ぐことにつながるのでしょうか。そもそも、いったいなぜフランス女性は結婚しないで子どもを産むのでしょうか。生まれた子どもは婚外子として差別されないのでしょうか。こうした疑問について、その背景にある日仏社会の違い、家族政策の違いについて考えてみたいと思います。

井上たか子

Monday, September 26, 2011

10/24,27,29 国際シンポジウム「ベルクソンと災厄――今、『道徳と宗教の二源泉』を読み直す」


ようやく今年のシンポの概要が決まりました。

プログラムを組んだ人間が言うのもなんですが、
今取り組むべき課題、興味深い主題、
そして真の意味で国際的なメンバー選択(大国に偏らない)など、
現在私たちの置かれた状況を考えれば、奇跡的にベストのプログラムが組めたと思います。

みなさま、ぜひ周りの方々への宣伝拡散をお願い致します。
また、会場へもぜひ足をお運びいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
hf





ベルクソンと災厄
Bergson et le désastre

今、『道徳と宗教の二源泉』を読み直す
Lire Les deux sources de la morale et de la religion aujourd’hui au Japon

201110242729


Sous la responsabilité de
Shin Abiko (Université de Hoseï),
Hisashi Fujita (Université Kyushu Sangyo)
et Yasuhiko Sugimura (Université de Kyoto).

後援:フランス大使館・ベルクソン哲学研究会・法政大学・京都大学・九州産業大学


プログラム(発表はすべて仮題)

プレ・イヴェント:若手研究者セミナー 10月23日(日)15-17時、東京・法政大学、58年館国際日本学研究所セミナー室

第一日(1024日(月)、東京・法政大学):道徳(『二源泉』第一章を読み直す)
セッション1:開かれた道徳とカタストロフ
 司会・対話者:合田正人(明治大学)
ポール・デュムシェル(立命館大学):開かれた道徳と道徳的カタストロフの観念
安孫子信(法政大学):悲劇と災厄の間で
アルノー・フランソワ(フランス、トゥールーズ第二大学):「リスクと決定――『道徳と宗教の二源泉』におけるベルクソン的な悲劇の哲学のために」

セッション2:出来事と人格 司会・対話者:安孫子信(法政大学)
平井靖史(福岡大学):出来事と人格
増田靖彦(早稲田大学):ベルクソンの直観理論における人格的なものと非人格的なもの
ヨハンネス・シック(ドイツ、ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルク):ベルクソンとレヴィナスにおける存在論の痛み

第二日(1027日(木)、京都・京都大学):宗教(『二源泉』第二・三章を読み直す)
セッション3:動的宗教とカタストロフ 司会・対話者:藤田尚志(九州産業大学)
フレデリック・ヴォルムス(フランス、リール第三大学):カタストロフに対する道徳的・宗教的・政治的な二つの答え――ベルクソンから今日へ
杉村靖彦(京都大学):〈生〉の証人――哲学的なものと宗教的なものの間で:〈災厄後〉という視点からの『二源泉』再読

セッション4:神秘主義の問題 司会・対話者:杉村靖彦(京都大学)
岩野卓司(明治大学):笑い、神秘経験と死――べルクソンとバタイユ
ジスラン・ヴァテルロ(スイス、ジュネーヴ大学):ただ神秘学だけがなお我々を救いうるのか?――ベルクソンにおける技術力と神秘的生の関係に関する考察
フロランス・ケメックス(ベルギー、リエージュ大学):神秘学・科学・政治――人類にとっての三つの道?


第三日(1029日(土)、福岡・九州産業大学):政治・戦争・技術(『二源泉』第四章を読み直す)

セッション5:技術・戦争・抵抗 司会・対話者:金森修(東京大学)
檜垣立哉(大阪大学):ベルクソンにおける技術(テクネー)の問題
カテリーナ・ザンフィ(イタリア、ボローニャ大学):『二源泉』における機械学と戦争
チプリアン・ジェレル(ルーマニア、アレクサンドル・イオン・クーザ大学):抵抗に抵抗する――仮借なきものと方策

セッション6:記憶の政治学 司会・対話者:檜垣立哉(大阪大学)
合田正人(明治大学):純粋記憶の解釈学
アルノー・ブアニッシュ(フランス、リール第三大学):「人類を変革する」――ベルクソン、フッサール、そして刷新の問題
藤田尚志(九州産業大学):記憶しえぬものの記憶――ベルクソンとレヴィナス

Sunday, September 25, 2011

24,27,29 oct. Colloque international : Bergson et le désastre. Lire les Deux Sources de la morale et de la religion aujourd'hui au Japon





ベルクソンと災厄
Bergson et le désastre


Lire Les deux sources de la morale et de la religion aujourd’hui au Japon


Les 24, 27 et 29 octobre 2011

Sous la responsabilité de
Shin Abiko (Université de Hoseï),
Hisashi Fujita (Université Kyushu Sangyo)
et Yasuhiko Sugimura (Université de Kyoto).

Partenaires : Ambassade de France au Japon, Société japonaise d’études bergsoniennes, Université de Hoseï, Université de Kyoto et Université Kyushu Sangyo.


Programme (tous les titres sont provisoires)

Pré-Conférences (le 23 octobre, à l'Université de Hoseï, Tokyo)
Table ronde des jeunes chercheurs japonais


1er jour (le 24 octobre, à l’Université de Hosei, Tokyo) : La Morale (chap. I)

Session 1 (10h-12h30) : La morale ouverte face à la catastrophe   Discussant: Masato Goda
Paul Dumouchel (Univ. Ritusmeikan, Japon) : « La morale ouverte et l’idée de catastrophe morale »
Shin Abiko (Univ. Hoseï, Japon) : « Entre la tragédie et le désastre »
      Arnaud François (Univ. Toulouse II, France) : « Le risque et la décision : pour une philosophie bergsonienne du tragique dans Les deux sources de la morale et de la religion »


Session 2 (14h30-17h00) : Evénement et personnalité  Discussant: Shin Abiko
Yasuhiko Masuda (Univ. Waseda, Japon) : « Personnel et impersonnel dans la théorie de l’intuition de Bergson »
Johannes Schick (Univ. Würzburg, Allemagne) : « Douleur d'ontologie chez Bergson et Lévinas »
Yasushi Hiraï (Univ. Fukuoka, Japon) : « Evénement et personnalité »


2e jour (le 27 octobre, à l’Université de Kyoto, Kyoto) : La Religion (chap. II et III)

Session 3 (10h-12h30) : La religion dynamique face à la catastrophe  Discussant: Hisashi Fujita
Frédéric Worms (Univ. Lille III, France) : « Les deux réponses morales, religieuses et politiques à la catastrophe : de Bergson à aujourd'hui »
Yasuhiko Sugimura (Univ. Kyoto, Japon) : « Témoins de la Vie, entre le philosophique et le religieux. Relire les Deux sources du point de vue d’« après-le-désastre » »


Session 4 : La question du mysticisme  Discussant: Yasuhiko Sugimura
Takuji Iwano (Univ. Meiji, Japon) : « Le rire, l’experience mystique et la mort. Bergson et Bataille »
Ghislain Waterlot (Univ. Genève, Suisse) : « Seule la mystique pourrait encore nous sauver ? Réflexions sur le rapport entre puissance technologique et vie mystique chez Bergson »
Florence Caeymaex (Univ. Liège, Belgique) : « Mystique, science, politique : trois voies pour l’humanité ? »


3e jour (le 29 octobre, à l’Université Kyushu Sangyo, Fukuoka):
Politique, guerre, technique (chap. IV)

Session 5 : Technologie, guerre, résistance  Discussant: Osamu Kanamori (Univ. Tokyo)
Tatsuya Higaki (Univ. Osaka, Japon) : « Le problème de la technologie (techné) chez Bergson »
Caterina Zanfi (Univ. Bologna, Italie) : « Mécanique et guerre dans Les Deux Sources »
Ciprian Jeler (Univ. Al. I. Cuza de Iaşi, Roumanie) : « Résister à la résistance : l’implacable et la ressource »

Session 6 : Politiques de la mémoire  Discussant: Tatsuya Higaki
Masato Goda (Univ. Meiji, Japon) : « Herméneutique de la mémoire pure »
Arnaud Bouaniche (Univ. Lille III, France) : « Transformer l’humanité : Bergson, Husserl et le problème du renouveau »
Hisashi Fujita (Univ. Kyushu Sangyo, Japon) : « L’immémorial. Bergson et Lévinas »

Wednesday, September 21, 2011

決定力

シンポの準備が大詰めを迎えている。というと驚かれると思うのだが、これほど大規模なシンポなのに、まだ準備が終わっていない…。

いろいろと理由はあるのだが、まあそれは措いておいて、普通の国際シンポでも大変なのに、今回は正直言ってやりきれないくらい大変である。
 それなのに、シンポ以外にもあらゆる方面から(本当にあらゆる方面から…)いろいろと問題が降りかかってくる。うーむ…。


英語論文、それでも、毎週英作文を添削してもらって、少しずつ進めている。

授業準備、中世哲学史、ない時間をこれでもかというほどやりくりして、いろいろ読んでいる。

一線級の先生方はみなさん、どうやって深く思索に沈潜するための時間を作り、執筆するための体力を残していらっしゃるのだろうか??

ここぞの決定力、見習いたい。


Tuesday, September 20, 2011

中世哲学史入門

最近読んでいる本。中世哲学史をやるので、その関係のものが多い。

1)中世哲学史を始めるにあたって、ごく大雑把にでもキリスト教のイメージを与えておく必要がある。


小田垣雅也『キリスト教の歴史』、講談社学術文庫、1995年5月。ベーシックな入門書。
橋爪大三郎X大澤真幸『ふしぎなキリスト教』、講談社現代新書、2011年5月。ポップな入門書。

2)そして、中世哲学全般のイメージを与える。



中公新社版『哲学の歴史』第3巻「中世:信仰と知の調和」(2008年1月) 総論は非常におとなしく、各論はもちろん詳しいのだが、今一つはっきりとした思想家像が浮かび上がらず…。うーむ。

リベラはとてもいいが詳しすぎ、とてもではないが、一学期で教えきれない。今道友信の『中世の哲学』も読んでいるが、八木雄二とともに、ここでは措く。

クラウス・リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』、平凡社ライブラリー、2000年8月。
クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』、平凡社ライブラリー、2003年12月。
前者は思想の簡潔な素描。クセジュにありがちなタイプの本(のより詳しいもの)。
後者はキリスト教哲学としての全体的な流れの描写に重きが置かれ、個々の哲学者の扱いはごく小さい。古代ギリシア哲学を扱った前期は、熊野純彦の『西洋哲学史――古代から中世へ』(岩波新書)を 教科書にしたので、後期は後者を教科書としたが、前後期まとめて一冊として前者を教科書にしてもよかったかもしれない。ただ、リーゼンフーバーは無味乾燥 なので、いきなり前期にこれを買わせても…という気もする。前期(特に出だし)はやはり相対的に濃い味付けが必要であり、その意味で、熊野さんのしゃれた エッセイ風のスタイルが有効であるという気がする。



3)次に、教父哲学からスコラ哲学へという大きな区分と流れをおさえる。


岩波講座『哲学』第16巻「哲学の歴史I」(1972年)所収の
 第5章「キリスト教と教父哲学」(服部英次郎)
 第6章「西洋中世哲学とイスラム哲学」(日下昭夫)
 第7章「中世における神と人間」(山田晶)

4)まずは教父思想、時間がないので、アウグスティヌスのみ。これについては項を改める。

5)毎回、西洋中世の芸術を紹介しようと思っているのだが、まずは美術から。というのも、建築や音楽は中世後期で取り上げたほうがよいからである。私のような非専門家の目から見て、教父時代(ぎりぎり末期)の芸術で関心を引くのは、偶像崇拝論争におけるイメージの取り扱いくらいなのである。


越宏一『ヨーロッパ中世美術講義』、岩波セミナーブックス82、2001年11月。
今野國雄『ヨーロッパ中世の心』、第1章「聖像と偶像――イメージに寄せる思い」、NHKライブラリー、1997年11月。

ラテン中世(いわゆる「中世」)だけに限れば、いろいろある。

ウンベルト・エコ『中世美学史――『バラの名前』の歴史的・思想的背景』(谷口伊兵衛訳)、而立書房、2001年12月。
エミール・マール『ヨーロッパのキリスト教美術――12世紀から18世紀まで』(柳宗玄・荒木成子訳)上・下巻、岩波文庫、1995年11月。
エルヴィン・パノフスキー『〈象徴形式〉としての遠近法』(木田元ほか訳)、ちくま学芸文庫、2009年2月(元の哲学書房版は1993年)。

Monday, September 19, 2011

親心

土日、二つの地方の懇談会に行ってきた。学業や就職に関する親御さんの相談に乗るためである。各日、だいたい2、3時間、一人15分から20分相談を受ける。全学部あわせると、平均して一会場に100人弱くらいは相談に来られる。学部内で教員に割り振って、これを九州や近隣地区あわせて二十か所程度行なうのである。

昔の大学のイメージからすれば考えられないとおっしゃる方も少なくないであろうが、数年以内にこの制度は、国公立大学においても一般化するであろう、というか、現在しつつある、と思う。


夜に後援会(簡単に言えばPTA)主催の懇親会があり、なんというかとても九州的な人間的温かみのある時間を過ごさせていただいた。最後に万歳三唱があった。「大学のますますのご発展と私たちの子どもの幸せを願って…」という言葉には不覚にも感動した。当たり前のことだが、休日にわざわざ懇談会上の運営やら、気難し屋の多い大学教員相手の飲み会など誰も好き好んでしたいはずはない。すべては子どものため、なのだ。


こういう純朴な親心や素直な子どもたちというのは地方の小さな大学にはとりわけよく見える類のものだ。こうなると、なかなかポストモダンの非人間主義には辿り着かない…。このギャップこそがとても現代的な光景なのであって、現代哲学はこのギャップから出発すべきなのではないか。

これは子どもの幼稚化、親が子離れしていない、といった問題ではない。ドゥルーズの管理社会論はこの点できわめて基本的な視座を与えてくれる(この点は、このあいだの国際シンポで、ベンヤミンの大学論の導入として取り上げた)。生政治学の非自然主義的側面、私の言葉で言えば、制度論的な関心が必要になってくる場面である。

…などと思ったりもする一地方大学教員の週末でした。

Tuesday, September 13, 2011

開かれ

9月10日(土)と11日(日)の二日間、大阪大学・豊中キャンパスで開催された日仏哲学会に参加してきた。日仏哲学会に参加したのは、2009年の秋季大会が最後。久しぶりのことで、いろんな友人・知人たちに再会し旧交を温めると同時に、新たな出会いにも恵まれた。うれしい。

シンポや学会はお祭り騒ぎだ、中身がない、という批判もあるだろう。けれど、そこから何かが生まれることもある。

斜に構えてみせることは、なんら知性の証ではない。すねること、ひねくれること自体には大した意味はない。

そういった防御反応や「身構え」など捨て、素直にいろいろな出会い――好意にも敵意にも――開かれてあること。


Friday, September 09, 2011

近況

8月は英語の論文2本と辞書項目の直しをやっていた。

英語の一つは、ベルクソンとソレルにおける言語論。日本語版にかなり手を加えた。最後の修正部分はフランス語で書いたので、現在翻訳してもらっている。

もう一つは、デリダの大学論批判。これは現在、自分で英語にしつつある。これも英語化する過程で、手を加えている。毎週、イギリス人の同僚と会って、数時間添削してもらっている。今月末までに終わらせないと。ただ、改めて資料などを読み込んでいると、時間が過ぎていく…。

辞書項目は本当に字数が小さいのだが、せいいっぱいいいものにしようと頑張ってみた。現在校正待ち。

しかし、8月に本当に手を焼いたのは二つの非学問的業務。一つは、国際シンポのオーガナイズ。かつてないXXXで、ほとほと疲れてしまった。もう一つは、大学で最も神経をすり減らす業務の一つ…。夏休みなどないに等しかったし、集中して勉強できたのも本当にわずかな時間だった。

授業準備もほとんど進まないままに、来週から後期の授業が始まる。

Wednesday, September 07, 2011

シモンドン(技術の哲学)関連情報

Chers amis, chers collègues,

un nouveau séminaire MSH-Paris-Nord, intitulé "Culture et invention", débute cette année et durera deux ans. Couplé avec l'Atelier Simondon (ENS) dirigé par Vincent Bontems, il commencera le mardi 11 octobre prochain à l'ENS Ulm mais sera précédé le mardi 27 septembre par une séance spéciale de l'Atelier, animée par Bontems. Les autres séances seront animées en duo. Certaines des conférences données lors de ces séances seront publiées dans les Cahiers Simondon n°4 au printemps prochain.
Vous trouverez ci-dessous l'annonce du programme faite par Vincent Bontems.
Bien cordialement,
JHB

L'Atelier Simondon est heureux de vous annoncer le redémarrage de ses activités.

Le cycle de séminaires de cette année, toujours organisé en partenariat avec la MSH Paris-Nord, sera intitulé "Culture et Invention". Il s'agira ainsi de prolonger Simondon sur le terrain socio-politique, mais sans délaisser non plus les dimensions épistémologique et esthétique de la notion d'invention, ici mise en jeu comme centre d'une nouvelle culture et préférentiellement à la notion d'"innovation" - mot d'ordre dont il faudra montrer le contenu technocratique illusionnant. Dans cette perspective on proposera plusieurs confrontations de la pensée simondonienne à celles d'autres philosophes.

En voici une présentation et le programme des dix séances.

PRESENTATION

"Le devenir-technique de la culture est-il ce qui peut nous faire passer de la "culture du travail" à une "culture de l'invention" ? Et si oui, selon quelles modalités? Telles sont les deux questions, de type socio-politique, que ce nouveau séminaire entend prioritairement traiter, en prolongeant pour cela les pistes tracées par Simondon dans "Du mode d'existence des objets techniques" (1958) mais aussi dans le Cours de 1965-66 intitulé "Imagination et invention". L'ère de l'information qu'anticipait Simondon est aujourd'hui devenue l'ère des réseaux numériques : la technique peut y entretenir une nouvelle relation à l'homme favorisant ce que Simondon appelait la "transindividualité". Mais cela ne pourra se faire qu'en renonçant à une certaine "culture du travail", qui rendait impossible la compréhension de la nature profonde de la réalité technique : la transindividualité, dont l'invention technique fournit le "support", s'oppose en effet à l'"inter-individualité" mise en œuvre par les
relations du travail dominées par l'organisation productiviste. C'est déjà ce qu'annonçait la très longue "Note complémentaire" à "L'individuation à la lumière des notions de forme et d'information"(ILFI, 2005)".


PROGRAMME

27 septembre : Vincent Bontems

"L'éthique des techniques chez Simondon et Gonseth"

11 octobre : Jean-Hugues Barthélémy

"Les anti-substantialismes de Bachelard, Merleau-Ponty et Simondon"

8 novembre : Christian de Ronde

"Potentiality in Quantum Mechanics : a Simondonian Interpretation"

6 décembre : Bernard Stiegler

"L'invention et la bêtise. Simondon ou l'oubli de Derrida lisant Deleuze"

17 janvier : Gilles Hiéronimus

"L'imagination du mouvement chez Bachelard et Simondon"

7 février : Sarah Margairaz et Julien Rabachou

"La puissance et le préindividuel : Simondon et Aristote"

6 mars : André Tosel

"Simondon et Marx : technique et politique"
(journée d'étude avec la participation probable d'Andrea Bardin, Jean-Hugues Barthélémy, Vincent Bontems, Giovanni Carrozzini, et Andrea Cavazzini)

3 avril : Sacha Loeve

"Figures de la technique dans l'oeuvre de Simondon"

15 mai : Baptiste Morizot et Brice Poreau

"L'individuation biologique. Simondon, Lamarck et Darwin"

5 juin: Arne de Boever

"Simondon et Baudrillard"

Les séances auront lieu de 18h à 20h30, pour la plupart, en Salle des Actes, au 45, rue d'Ulm.


Au plaisir de vous y (re)voir.

Thursday, September 01, 2011

小さな哲学者たち

皆様

 こんにちは、立教大学の河野です。
 映画「小さな哲学者たち」をご存じでしょうか?フランス
の幼稚園で行われた哲学教育を2年間にわたって追ったドキュ
メントです。

 テレビでも紹介され、予想以上のヒットとなりました。現在、
吉祥寺バウスシアターで上映しておりますが、9月4日の上映後
にこの映画を巡ってトークイベントをします。興味のある方は、
ぜひ、いらしてください。お知り合いにも教えてくだされば
幸甚です。

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吉祥寺バウスシアター
http://www.baustheater.com/
『ちいさな哲学者たち』
http://www.baustheater.com/joeichu.htm#tetsugaku

配給:ファントム・フィルム
 オフィシャルホームページ
(C)Ciel de Paris productions 2010
上映期間 上映中 【終了日:9/9(金)】

上映時間 11:00/13:00/15:00

料金 一般1,800円/学生1,500円/シニア・会員1,000円

上映劇場 シアター(2) 50席

作品データ 2010年/フランス/103分/ブルーレイ
監督:ジャン=ピエール・ポッジ、ピエール・バルシェ

整理番号 整理番号の受付を行います
○11:00 の回は先着順でのご案内です
●13:00 の回は受付開始時間 11:10 より
●15:00 の回は受付開始時間 13:10 より

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※お一人様3枚まで/前売り券の方も整理番号を必ずお求めください。
※番号をお求めになりましたら、必ず開場時間にお戻りください。
※開場時間より整理番号順にご入場/劇場内は自由席となります。

お知らせ NEW!【トークイベント情報】
~子供たちのための哲学対話って!?~
◆日時:9月4日(日)15:00の回上映終了後
◆ゲスト:土屋陽介さん/河野哲也さん
◆会場:シアター2(50席)
◆受付は当日13:10より劇場窓口にて行います。お一人様3枚まで。

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映画『ちいさな哲学者たち』の公開を記念して9月4日(日)15:00の回上映後に、土屋陽介先生、河野哲也先生によるディスカッションつきトークショーを開催致します。ぜひご来場くださいませ。

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登壇者紹介
●土屋陽介先生
茨城大学非常勤講師、日本大学文理学部人文科学研究所研究員、子どものための哲学教育研究所研究員、 哲学対話プロジェクト会員。専門分野は現代英米哲学と、子どもの哲学・哲学教育。
都内の小・中・高校で哲学授業を企画したり、実際に授業に入って子どもたちとの哲学対話を楽しんでいる。

●河野哲也先生
立教大学 文学部教育学科教授。哲学博士。
専門は心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学(ビジネス倫理、科学技術倫理)、倫理教育。今最も関心を寄せているのは心の哲学と哲学的心理学。
今年秋より、豊島区内の小学校にて「子供のための哲学対話」の実践を 予定している。

解説 “こどものための哲学” という研究がコロンビア大学教授マシュー・リップマンによって1960年代に初めて発表された。子供が元々持っている“考える力”を話しあう事でさらに高め、その後の認知力と学習力、そして生きる知恵へとつながってゆくことを唱えている。
 その考えのもとに、フランスのとある幼稚園で世界初の大きな試みが始まった。2007年、パリ近郊のZEP(教育優先地区)にあるジャック・プレヴェール幼稚園。そこでは、3歳からの2年間の幼稚園生活で、哲学の授業を設けるという世界的に見ても画期的な取り組みが行われていた。
 幼児クラスを受け持つパスカリーヌ先生は、月に数回、ろうそくに火を灯し、子どもたちを集める。みんなで輪になって座り、子どもたちは生き生きと、屈託なく、時におかしく、そして時に残酷な発言をもって色々なテーマについて考える。
 「愛ってなに?」、「自由ってどういうこと?」、「大人はなんでもできるの?」…。時には睡魔に襲われつつも、たくさん考え、たくさん話し合っていくうちに湧いてくる“言葉たち”。そして授業を通して、お互いの言葉に刺激を受け、他人の話に耳を傾けること、そして意見は違っても、自分たちの力で考える力を身につけてゆく。男女関係や、貧富の差、人種の問題などフランスならではの社会的テーマを語りあう子どもたち。試行錯誤しながらも、この画期的な取り組みを行う教師。そして、子どもたちとともに成長する家庭。
 そのすべてを通して、「人生を豊かに生きる力」、「子どもの無限の可能性」の大切さにあらためて気づかされる。いま日本の教育現場でも議論の対象になっている“考える力”とは。子どもたちに本当に必要なものとは何なのか? 新たな教育の試みによる、子どもたちの変化、成長、可能性、そして未来の教育を見守るドキュメンタリーが誕生した。

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河野 哲也 (コウノ テツヤ)
立教大学文学部教育学科
教授

ホームページが新しくなりました。
http://tetsuyakono.typepad.jp/blog/1_about-site.html
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