ワークショップ要旨 6月2日(日) 10 :00 - 12 :30 @ ICU 本館252
2. 来たるべき修辞学――文学と哲学のあいだで
郷原佳以(関東学院大学)・藤田尚志(九州産業大学):共同コーディネーター)、塚本昌則(東京大学)
文学と哲学、虚構と真理、虚偽と真実、記述的と行為遂行的の狭間で、もう一度、修辞学に関する事柄、レトリック、比喩、隠喩、アナロジーなどについて再検討してみることで、フランス文学研究に対して何がしかの貢献をできないか。それが本ワークショップの趣旨である。
たとえばアレゴリー(allégorie)は、all(o)-(他の、異質の)、つまりhétéro-とagoreuein(話す)からなる語であるが、これに対して、tauto-(同じ、等しい)、つまりhomo-という接頭辞を付したtautégorieという造語を提唱したのがシェリングである。ゲーテ以来、「個別から普遍へ」と向かう象徴との対比において、アレゴリーは「普遍から個別へ」と一般に理解されているが、「タウテゴリー」という考え方からすれば、アレゴリー(寓意)は、個別による普遍への接近を目指す。イソップの寓話において、「働き者のアリ」は、「勤勉さ」という抽象概念を理解させようとする。これに対して、タウテゴリー(自意)は、すでに普遍を内包した個別である。ギリシア神話において、「知の女神アテナ」は、単に知という抽象概念へ接近させるのみならず、それ自体が神性という普遍の厚みを持って自存しているものである。このようなアレゴリーとタウテゴリーの区別は、comme siなどと同様、真実と虚構のあいだの複雑な関係を照らし出してくれる。比喩形象・文彩(figure)と思考・言語はいかなる関係を結んでいるのか。
藤田は、ベルクソンにおけるメタファーとアナロジーの用い方が、彼の哲学体系においていかなる役割を果たしているかを解明しようとする。
郷原は、ミシェル・ドゥギーやデリダがメタファーに関して、また近年ではブリュノ・クレマンがプロソポペイアに関して展開しているように、言語の特殊様態(文彩)というよりも文学さらには言語の根本にあるものとして比喩形象(figure)を捉える見方について考察する。
塚本は、ヴァレリーにおける「フィギュール」の概念を論じる。『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』以来、ヴァレリーは言葉や概念に基づかない、フィギュール(形象、図形、動作)による思考の可能性を追求してきた。その道筋を、リオタールの『ディスクール、フィギュール』や、ドゥルーズの『感覚の論理』を参照しながら再検討する。言葉によらない、フィギュールによる思考と、修辞学でいうフィギュール(文彩)がどのように関係するかを考え、ヴァレリーの詩学の一面にせまってみたい。
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