Saturday, January 06, 2001

pour A. A.(k00640)

 個人としての浅田彰や彼の軽口、また彼個人に対する陰口にもまったく興味はない。誰にでも好きなライフスタイル・性向を選び取る権利があり、軽口を叩く権利があり、それに対してまた便所の落書きのような陰口を叩く「権利」があるといったことにすぎない。依然として私の興味を引き続けるのは、浅田彰的あり方、「可能性の中心」としての浅田彰である。

 私は以前、柄谷と蓮実がそれぞれドゥルーズとデリダに似ているとすれば、浅田彰はフーコーに、それもカント的フーコーに似ていると言った。ここ数年来の彼の発言は、「ポストモダン的記号の戯れを経て、もう一度大文字の理念を」という観念に集約されるように見える。『フーコー思考集成』で彼が監訳者として選び取った巻は、文字通りこのような彼の姿勢の表れである。(残念ながら、現段階で私がフーコーについて言いうることの全ては決定的・最終的なものからは程遠い、ということをあらかじめ認めざるをえない。)

 だが、それにしても、かつて浅田彰自身がドゥルーズについての討議の中で言った言葉、「僕はどちらかと言えばガタリに近い」は、考慮されていい言葉である。ガタリは、ある意味ではドゥルーズ以上に、概念を生産する機械、概念製造機の純粋な形象である、と言うことが出来る。ドゥルーズが概念機械の操作技師であるとすれば、ガタリは概念機械そのものである。そのような概念製造機としての浅田彰を彼自身のうちに見出すことは可能であろうか。この問いに答えるためには、ここで我々は少し立ち止まって、「概念製造」「概念の生産」とは具体的には何をすることなのかと問わねばならない。

 比喩に溺れず、言葉に絡めとられず、言葉を通して思考対象の機能のみに注目すること、いわば言葉における唯物論を堅持しつつ思考を展開することである、とひとまず言っておこう。 暴力的要約によって一種の寓話を物語ってみせることは、翻訳・要約・配置を一挙に行なうことである。過剰な圧縮は、対象を変成させる。一例を挙げよう。『世紀末文化の臨界』の中でクロソウスキーとバタイユを対置する時彼が行なっていることが概念操作でないというなら、ドゥルーズが例えば『サドとマゾッホ』で行なっていることは全て概念的ではない。無論、両者に展開の大小の違いはある。だが、デリダとのように質の差異はない。したがって我々は、浅田彰に概念操作の萌芽を、いわば死産した概念とでも言うべきものを見る。何故なら彼は彼の概念たちのその後の行く末を一向に気にかける風もないからだ。だが、展開が小さいからという理由で評価されないということになってはならないだろう。いずれにせよ日本という枠内で見た場合、それだけでもすでに大したことなのだから。

 嗚呼、私は少しはこの問題に関する自分の考えを推し進めたつもりであったのに、ふと気づいてみると、5月27日の00452で言っていたことを下手くそに(具体的論証の部分を切り捨てて)圧縮し、別の角度から言い換えたにすぎないということに気づく。00453のsさんの指摘にもきちんと答えられてはいない。くたびれもうけか…しかし、手仕事!


(以前書きかけた関連事項)2. 浅田の東浩紀的存在への影響という場合、まずは「東的存在」とはどのようなものであるのか規定されている必要があります。

 (*東浩紀個人について)東浩紀が今後どのような軌跡を描いていくのかには幾分悲観的にならざるを得ないところがあるように思います。私は第一作の『存在論的、郵便的』を、ほとんど滑稽な文体模倣の域を出ていなかった中期デリダ研究を刷新すべく理論的な読解を試みた野心作として今でも評価していますが、第二作の『郵便的不安たち』については、「こんなにも頑張っている僕」といったような自己言及の目立つ、彼の言うところの「営業」的な著作であるという点で、他に見るべき点がないわけではないにもかかわらず、総体としての評価は否定的です。おそらくは『構造と力』の次に『逃走論』という小文・対談集を出した浅田を意識しているのでしょうが、いったん狭義の専門以外の学問的な領域の外に出て素手で勝負するとなると途端に足腰の弱さが露呈してしまったという印象を受けます。

しかし、それはともかくとしても、東浩紀の出現は、少なくとも我々の世代にとっては計り知れない意義があります。たしかに「世代」などというのは怪しげな一般観念ですが、しかし事実として、棒高跳びで、不可能と言われていた記録をいったん一人が偶然にでも乗り越えてしまうと、次々とその記録を乗り越える選手が現れてくるように、「東浩紀現象」は我々の年代の者に一定の効果を及ぼし始めていますし、現に今も及ぼしていることでしょう。

 1)「暴力的な要約」を語り口の中心に据えていること。その際、柄谷との差異は、議論全体への目配りが議論の細部への配慮より優先し、全体として簡潔にすぎ性急な印象を読むものに与えもするという点、また、このことと一見矛盾するようだが、議論全体を支える根拠となる情報の列挙・提示については柄谷以上に神経質になるという点にある

 2)ジャーナリズムとアカデミズムの間をすり抜けていこうとする代償ないし(好意的に言えば)成果であるこの神経質は、主題の扱い方にも現れている。一応デリダについての「専門的」な「研究書」と言える『存在論的、郵便的』の著者とは逆に、実際、柄谷は(浅田もそうだが)一つの主題・一人の思想家について「大きな物語」を作ったことがない。『マルクスその可能性の中心』は言うに及ばず、『終焉をめぐって』にせよ、『漱石論集成』にせよ、事後的に一冊の書物となった著作に整然とした体系の体裁を与えようという意図は、あるとしても、成功していない。

 3)新たなメディア媒体への、柄谷以上の関心。その関心が常に仕事の本質的な一部をなしているという点で柄谷とは大きく異なる。(続く)

書き足りないところや、不正確な表現も多々ありますが、ひとまず書けたところまで送ってしまいます。

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