Monday, December 18, 2006

「よい」学校へ-実学志向の呪縛(スクラップブック)

これらのことについては以前書いたこと以上に言うべきことはない。当該部分だけを引用しておこう。


このような考えは、中学・高校といった中等教育にまで浸透している。「偏差値、ネームバリューなどから見て、少しでも「よい」高校は、「よい」大学へのパスポートである」、「中学は・・・」というわけだ。これが、日本の社会が過去数十年にわたって是認してきた通念であり、現在の学力低下は、教育の内容ではなく、教育がもたらす「実益」(むろん表面的な)に関心を持ち続けた、その必然的な帰結である(アメリカやヨーロッパでも事情は似たり寄ったりであるが、もたらされる帰結は異なる。日本ほど大学進学率が高くないからである)。これは一部の「教育熱心」な「教育ママ」の行き過ぎや歪んだ価値観といった個人的な資質に帰される問題ではない。「知」や「文化」に無関心でありながら、その世評や功利的価値には過大な評価を与える、社会の全般的な風潮自体が問題なのである(言うまでもないが、偏差値やネームバリューを評価したり、有名塾の校長の講演会に足繁く通うことが「知」に敬意を持つことではないし、ハイカルチャーに精通することが必ずしも「文化」に親しむことなのでもない)。「ゆとり教育」や「総合学習」の意義は決して小さいものではないが、問題の根はもっと深いのである。では、「知」への敬意を持てばそれでいいのか。そうではない。まだ、「実学志向」という、結局のところ「能率」や「効率」、一言で言えば、performativityの問題と結びついた根強いイデオロギーが残っている。これについては、項を改めて述べる。

「ゆとり教育」や「総合学習」についてのみ付言しておく。未履修問題などはなから起こることが分かっていた事態であり、今さら何を騒いでいるのかという感じである。未履修問題とは、文部省が教えるよう定めた正規のカリキュラムと受験勉強用に学校で設定された特別なカリキュラムとのずれの問題である。奔走されている関係各位には申し訳ないが、本当の問題はそんなところにはないと思う。

すべては「受験戦争」に対する誤った反省から始まった。受験戦争は苛烈にすぎた。だから「ゆとり教育」が必要なのだ、と。受験勉強は不毛にすぎた。受験のための知識、知識のための知識ではなく、厳しい現実社会を生き抜いていくための知恵が必要だ。そのための「総合学習」なのだ、と。

だが、「ゆとり」とは学校で教えられるものなのか?ゆとりもなく働いている親の姿を間近で見ているほうがよほど「人生勉強」になっているというのに?「生きるための知恵」とは授業で教えられるものなのか?子供たち、教師たちは、総合学習の時間を受験勉強にあてることがまさに厳しい現実社会を生き抜くための知恵だと本能的に知っているというのに?何も分かっていないのは、いったい誰だ。

いじめが巷で話題になっている。「大人の間にすら陰湿ないじめがあるのに、子供の間でだけ根絶できるはずがない」という意見がある。一理あると思う。学校は社会の鏡である。親が馬車馬なのに子供にはゆとり、有給すらろくすっぽとれない親の黄金則が「カイシャに盲従」なのに子供には総合学習。大人の社会が虚弱で歪んでいるのに、子供だけたくましく清廉潔白などとはムシがよすぎるというものだ。

共通一次はセンター試験になった。前期・後期に分かれた試験方式はまもなく前期のみに一本化されようとしている。まもなく大学全入時代を迎えるのだという。大学は生き残りを賭けて必死なのだという。大学も一企業として「当たり前の」営業努力を求められているのだという。本当にこれでいいのか?議論すべきはこんなことなのか?

大学とはどのような場所であるべきなのか。社会の中にどのような位置を占めるべきなのか。そのことを国民の間で十分に議論したうえではじめて、本当にすべての子供たちが大学に行くことが「必要」なことなのか、その子供たちにとって「いいこと」なのかが議論できるようになるはずではないか。そして大学に入るためにどのような基礎知識・基礎教養が必要なのかについて、つまり大学受験についての議論が可能になるはずではないか。

今現在、国民は大学で与えられるべき教育について明確なヴィジョンをもっていないというのが偽らざるところではないか。本当に大学に行くことが「必要」なのかどうかも。子供にとって本当に「いいこと」なのかどうかも。理念のもつ力を深く信じる必要性を説く声すらも、今の日本国民の耳には届かない。

「私たち」は本当の問いを回避し続けている。他の多くの問いとともに。仕事が忙しいから。時間がないから。


<家庭学習時間>小中学生で増加「学習離れ」に歯止めか

 減少していた家庭での学習時間が増加に転じるなど小中学生の「学習離れ」に一定の歯止めがかかっていることが、「ベネッセコーポレーション」(岡山市)の調査で分かった。また「いい友達がいると幸せになれる」と小中高校の9割以上が答え、子どもが「友人関係」を重視していることも浮き彫りになった。
 同社の「学習基本調査」は90年からほぼ5年おきに実施。今年6~7月に全国の公立小中高生計9561人を対象に行った。回答は児童生徒に直接記入してもらった。
 家庭学習時間(平日)の平均は90年調査から2回続けて減少していたが、今回小学生は前回01年の71.5分から81.5分、中学生は80.3分から87.0分に増えた。今回70.5分の高校生は前回とほとんど差がなかった。
 社会観に関する問いでは、「いい友達がいると幸せになれる」とした小中学生はいずれも9割を超え、高校生は96.3%に達した。子どもたちが友人関係を重んじ、生活の中心にしていることがうかがわれる。「いい大学を卒業すると将来幸せになれる」と答えた小学生は61.2%だったが、高校生は38.1%に減少。学年が上がると「高学歴が有利」とは考えない傾向を示した。 また、「日本は努力すれば報われる社会だ」と答えた小学生は68・5%▽中学生54・3%▽高校生45・4%となり、こちらの答えも年齢が上がるにつれ減少した。さらに高校生の75・8%が「日本は競争の激しい社会だ」と答えた。【吉永磨美】

 耳塚寛明・お茶の水女子大教授の話 ゆとり教育の実施で学力低下論や保護者の不安が高まり、「脱ゆとり」論が出てきた。その結果、家庭教育や基礎学習が徹底され、小中学生の「学習離れ」に歯止めがかかったのではないか。(毎日新聞) - 12月11日19時21分更新


高校生宿題しないの? 「家庭学習ない」4割 やる気も格差拡大 
12月12日8時0分配信 産経新聞

 「家庭でほとんど勉強しない」と答えた高校生が4割近くに増加し、学習離れが広がっていることが、教育シンクタンク「ベネッセ教育開発センター」(東京)の「学習に関する意識実態調査」で11日、明らかになった。小中学生では「できる子」と、そうでない子の学習時間の差は広がる傾向がみられ、同センターでは「学習意欲の格差が広がっている」とみている。
 調査は今年6月と7月に全国の小学生2736人、中学生2371人、高校生4464人に学校を通じて実施。平成2年、8年、13年にも同一調査を実施しており、結果を比較した。
 家庭での学習頻度は、高校生は「ほとんど勉強しない」が前回の23・1%から27・9%に、「週に1日くらい」も8・8%から9・9%に増えた。1日平均の家庭学習時間も「0分」が前回の22・8%から24・3%に増え、「約30分」も15・2%で、全体の4割近くが家庭でほとんど勉強しなかった。
 小中学生では、成績上位者の学習時間が前回調査結果より大幅に長くなった。全体では家庭学習時間は平均5~10分延び、小学生で81・5分、中学生は87分となった。
 これに対して高校生の家庭学習は、平均70・5分で前回と比べてほぼ横ばい。平成2年時の調査と比較すると、成績で平均点前後に位置する中間層の生徒の勉強時間が約30~50分近く減るなど、生徒の学習離れが広がった格好だ。
 今回の結果についてベネッセ教育開発センターは「小中学生では前回より改善した点もみられたが、高校生では、家庭学習は限られた生徒が行うものになっており、深刻な結果だ」と指摘。「少子化の影響で大学受験がやや広き門となっていることが、高校生を家庭学習に駆り立てなくなった理由だろう」と分析している。
最終更新:12月12日8時0分


格差の現場:/5 広がる 異なるスタート地点 /宮崎

 宮崎市中心部の進学塾の前では、毎晩同じ光景がみられる。午後9時過ぎ、授業を終えた小学生たちが、ドアから次々と駆け出してくる。通りには親たちの迎えの乗用車が並んでいる。
 小学6年の息子と5年の娘がこの塾に通う父親(38)は、はるばる日南市から送迎に来ていた。妻と交代で1日に昼夜2往復することもある。片道1時間の両市を週10往復はする。
 「正直、大変だと感じる時もあります。まだ小学生だし……。でも人生のスタートが異なればゴールも違ってしまう」。息子は県外の名門私立中高一貫校を志望する。「地元に学力を伸ばす教育環境があれば一番いいんですが」と言い、日南市へとハンドルを切った。  

 ◇   ◇

 04年度の県教委の7教育事務所管内別の学力調査は興味深い結果を示している。小学低学年までは、なぜか都市部より田舎の方が学力が高い。しかし高学年以降、都市部の学力が急上昇し、田舎は追い抜かれるのだ。
 小学3年、小学5年、中学2年を比較すると、小学3年で西臼杵(高千穂町など)と西諸県(小林市など)が同率1位。児湯(高鍋町など)も3位と郡部の順位が高い。都市部の宮崎(宮崎市など)は最下位の6位だ。ところが、宮崎は小学5年で3位に浮上、中学2年では1位に躍り出る。
 小学低学年までは田舎の学力が高い理由を、ある小学校教諭は「郡部の少人数の学校では一人一人の子供に合った教え方ができる。子供も指導を素直に受け入れ、まじめだからでしょう」と分析する。小学高学年以降、都市部の学力が上昇する理由を、宮崎市内の進学塾関係者は「塾の影響」と断言する。この塾は、市外からの塾生が2割を占める。「地方の親にも危機感があるから、日向市や小林市、都城市からも子供を通わせるんでしょう」と明かす。
 日南市から通う父親は「自分が高校生だった20年前と比べ、全国と宮崎との格差はさらに広がり、県内の地域間での格差もますます広がってきたようだ」とため息をついた。県教委の調べでも毎年、約45人が県外の有名私立中学に進学している。競争社会を生き抜くための受験技術を得る機会も、都市と地方で差が広がっているのかもしれない。
6月27日朝刊(毎日新聞) - 6月27日18時0分更新


都教委“未履修”を黙認 都立高20校 総合学習で受験対策
12月12日8時0分配信 産経新聞

 必修科目の未履修が全国の高校で相次いで確認された問題に絡み、東京都立高校約20校が「総合的学習」の授業を数学や英語など受験対策に振り替えていたことが11日、都教育委員会の調査で分かった。総合的学習は体験学習やテーマ研究を狙いとするが、学習指導要領を逸脱した受験対策の隠れみのになっていた。都教委は都立高の未履修は1校のみとしていたが、これら“偽装授業”を行っていた学校については「成績表は総合的学習でつけている」として未履修ではないとの判断を示し、黙認の態度だ。進学率の向上を目指した都立高改革の落とし穴が浮かび上がった形だ。
 都立八王子東高で倫理の未履修が発覚したのを契機に都教委が11月、全都立高207校を対象に調査。その結果、約20校が総合的学習の一部を受験対策に振り替えていたことが判明。この中には、戸山や立川の進学指導重点校も含まれていた。
 多摩地区の中堅校では、3年生約45人が2単位(70時間)すべてを数学の応用問題集を購入した受験勉強に活用。同校は平成15年度の総合的学習の導入からこうした授業形態をとっていた。
 また、区部の高校では3年生の2単位(同)の3~4割を「入試基礎講座」などの授業に振り替え。校長は「不適切と受け取られかねない授業」と話しているが、進学校を中心に総合的学習を受験対策に特化させていた傾向が強いとみられる。
 都教委は「(20校は)限りなく灰色に近いが、成績表は総合的学習でつけており、未履修でないと判断している」との見解を示した。いずれも「正規履修の範囲内」として、改善指導にとどめる方針。しかし教育関係者は「受験対策は明らかに総合的学習の趣旨を逸脱しており、都教委が都合よく解釈しただけ。他県では未履修扱いだ」と批判している。
 今回のケースについて文部科学省は「個別の具体的な内容を見てみないと分からないが、総合的学習の趣旨を踏まえず、授業で入試問題ばかりを解かせていたのであればおかしい」としている。 文科省によると、必修科目の未履修が確認された国公私立合わせた高校は全国で663校(11月22日時点)。都は私立14校と都立1校の計15校。                   

◇【用語解説】総合的な学習の時間 平成14年度(高校は15年度)施行の学習指導要領で導入。(1)問題解決能力を養う(2)自己の在り方、生き方を考える(3)教科、科目の知識、技能を総合的に生かす-が狙いで、「国際理解」「環境」「生徒の興味・関心、進路に応じた課題」などを例示している。高校3年間で3~6単位が配当されるが教科書はなく、内容は地域や生徒に応じ、学校で決めるよう求めている。最終更新:12月12日8時0分

1 comment:

Anonymous said...

米国のことは知りませんが、世界各地で高等教育改革は同時進行してゐるやうですね。

ドイツに滞在してゐる友達と時々メールの遣取りをするのですが、(一部の州では)学費を来年から取るやうになつたり、既に(米国の基準に合はせた)新しい制度が取り入れられて、学生の数も多くなり、学生天国だつたドイツの大学も様変りしてゐるやうです。

フランス語やイタリア語の学習も盛んなのでフランス思想のことなど当り前のことかと思つてゐたのですが、大学人も翻訳や一般雑誌で知つてゐる程度で、日本より風通しは良くないのかもしれません。
日本では有名なCourtineやJ.Benoist, Didier Franck(彼はManfred Frankと取り違へてゐました)の名前も授業で聞いたことがないさうです。

彼も行つてからそろそろ十年になるので、言葉にも全く不自由しないのかと思つてゐたのですが、学生の話は丸で聞き取れないし、先生の云ふことも分らないことも往々ださうです。
EUからの留学生はそれほどでもないでせうが、さうなると国際化と云ふのもどこまでのものなのか。
フィレンツェにヨーロッパ大学と云ふのがあり、そこでは(英語で?)大学院教育をしてゐるさうですが。