今号(vol. 467)から二つほど抜粋を。
大島なえさんの「神戸発、本棚通信」の第七七回・「海鳴り」が聴こえる
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編集工房ノアは、関西では知る人ぞ知る有名な小出版社だ。会社は大阪にあり、全国でささやかに本が配本されているが、根強いファンも多くいる。売れ筋無視したような「うちはこんな本しか出さない」オーラが出た本ばかり作っている。関西でもノアの本を置いている書店は、限られているし私は、いつも海文堂書店のノアの棚で新刊をさがすのだが、今回すこし意外な事件があった。
それはノアのPR誌「海鳴り」
そうしていると偶然、うまい具合に京都へ出かける用事ができた。
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売れ筋無視の出版社、いいですね。他方で、徹底して読者を意識して、好評を博しているウチタツについて、「忘れっぽい天使」さんの「声のはじまり」の第67回:「わかりやすさ」の秘密─内田樹『街場の読書論』より。
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人文書の棚を担当している書店員なら、フランス文学者内田樹(1950年生まれ)の新刊の情報を掴んだ時点で、目立つ場所の平台を確保しておこうと考えるものである。それくらい彼の本は売れる。宮台真司や東浩紀と並んで、ビジネス書並みの売上げが期待できる数少ない人文系の著者と言えるだろう。
〔…原文を読んでいただきたいので、大幅に省略…〕
「ウチダ棚」はその名の通り、自著に対してコメントした章である。『街場のアメリカ論』では、「素人にはできるが、玄人にはできないことがある」「それは『素人の素朴な疑問にとことん付き合う』ことである」と前置きした上で、この本を、19世紀に卓越したアメリカ論を書いたトクヴィル(つまり
今のアメリカに関しては素人)を「想定読者」 として書いたと告白する。そして、何と、トクヴィルとの(もちろん仮想の) 対話を展開していく。何とも芸達者。だが、単なるユーモアに終わらずに、 彼独自のアメリカ論の骨子が簡明に説明し直されているのがさすがである。この「 誰誰を読者として想定して書く」ことの意義は、他の箇所でも強調されている。 相手がいて交通がある─読み書きの基本に立ち返らせてくれる啓蒙家・内田樹。
〔…原文を読んでいただきたいので、大幅に省略…〕
通読して感じることは、著者の主張は、どんな話題に触れようと、見事に一貫しているな、ということ。彼は常に、相手を問題にした言葉を書いている。ユーモアを交えながら(冗談ばかりの時もあるが)、実はひどく真剣に相手と対面した語りを連ねているのである。これは、彼が武道家であることとも関係しているのかもしれない。文字通りの「真剣」で読者に対しているのだ。〔…〕読者はもちろん不特定多数なのだが、その見えない一人一人の顔を、想像力でもって懸命に見ようとしている。〔…〕内田樹の「わかりやすさ」の秘密は、こうした態度に根ざすのだと思う。
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