今日、絵本に関する講演会を聞きに行った。なかなか興味深い話だった。
《赤ちゃんの時(1歳とか)から絵本を読み聞かせるということが広まりつつある。その頃は、読み聞かせてくれる人との絵本を介した言葉のキャッチボールが主な目的なのだが、それをやっていると、「絵本=会話のきっかけ」になってしまい、2~3歳の本格的な絵本の読み聞かせが始まる時期には、むしろその習慣が弊害になって、絵本に集中できなくなる。》
これは、90分の講義が聞けない大学生たちにも通じる話かなと思った。大学初年度に一見「インタラクティヴ」で「活発」な、しかし実は他人の話を深く理解する前に感覚的に反応してしまう対話形式の授業をやりすぎることの弊害。
《絵本の読み聞かせの主役は「絵本と子どもの対話」なので、読み手は黒子にすぎない。子どもには大人の想像を超えた想像力がある。声色はむしろその自由な飛翔を妨げる。だから、声色を使って上手に読んでやる必要はない(『三匹のがらがらどん』など、声色が有効な絵本もあるが)。浅い受け(その場での評価)を期待せず、淡々と読み聞かせてやればよい。》
大学生たちの思考力や想像力を信じきること。学生のためにと甘やかすことは必要ない。いい授業は必ず伝わると信じること。
《いい絵本を読んでもらった効果は思春期にあらわれる。》
いい授業を受けた効果は十数年後にあらわれる…と信じている。
大学でいい授業をたくさん受けたはずの大人たちが「大学では遊んでばかりいた」などと平然と口にする。小中高で学んだことも大して覚えていないはずなのに、なぜか小中高を悪く言う大人は少ない。自分たちが与えられた自由を誤用して遊んでいただけなのに、「大学では大したことは学ばなかった」などという。そのような大人に育てられた子どもが大学教育や大学教員に敬意をもって接することができるはずがない。大切なことを教えてくれる大人に敬意をもって接することのできない子どもはいつまで経っても大人にはなれない。
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講演者は絵本屋さんを営んでいる方で、たくさんの絵本を持ってきて展示していらっしゃった。
聴き手は数人のお母さんたち。みんな数冊買って行かれたが、それでも総売り上げは一万円にも満たなかっただろう。
私は、小さな本を数冊買った。F.C.セイヤーズ『ウォルト・ディズニーの功罪』、母親文庫、1967年。定価210円である。
アマゾンを見てみた。古本しかなく、1000円の値がついていた。
サンプルを載せておくので、興味のある方は、出版社から直接お買い求めください。それがいい絵本とそれを守る方たちを応援することにつながります。
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