Tuesday, February 18, 2014

【クリップ】S氏騒動と図書館資料

[本]のメルマガ vol.528より停雲荘主人さんの■「散慮逍遥月記」第9回「S氏騒動と図書館資料」から一部抜粋→ご興味ある方はぜひ全文を。


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 この騒動が明らかになって以来,その内容が「創作」や「作品」の概念をめぐる,ポストモダンが社会を席巻している現状にふさわしい表象になるだろう一件だと僕は受け止めていたのですが,報道やwebを眺めていると,そう思っているひとはごく少数のようで,納得できる論評は吉松隆氏(注2)や森下唯氏(注3)のような音楽家から出たものなどわずかなものにとどまります。報道から出ているものは事実を伝えるものはともかく,断罪とワイドショー的興味の産物が多く,その視点には少なからぬ違和感を覚えます。

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 佐村河内氏と新垣氏の間の経緯はさておき,「音楽」の社会的な価値と,音楽そのものの価値,また音楽創作の「厨房の秘技」の内実がそれぞれ別物だということをわかっていないひとが,僕の予想以上に多いことに驚きました。webで日頃,他の案件については的確な議論ができるひとでも,この騒動ではナイーブ過ぎる一方的な断罪に終始している方もいらっしゃいます。

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 そして,現代音楽のゴーストライター騒動,という点では,佐村河内守騒動と似た雰囲気を漂わせているイタリアの作曲家ジャチンド・シェルシ(1908-1988)をめぐる「共同作曲者」騒動-それは長木誠司が論じている(注8)よ
 うに,近代に成立した単独の人間による「創作」という概念を揺るがせた,ポストモダンな騒動でしたが,佐村河内氏が新垣氏に提示したという図形楽譜さながらの「指示書」(妻が書いたもの,という報道もあるようですし,また図形楽譜の中には,この「指示書」よりも難解なものがいろいろあります)は,果たして新垣氏の「創作」の内実にどれだけの影響を及ぼしたのか,まだまだ解けない謎がこの騒動には隠されているような気がします。

 ワイドショー的な興味や,過去の「一杯のかけそば」騒動から消費者の中に持続してその志向があり,事あるごとに顔を出す「物語の消費」に関する議論も含めて,この経験を今後に活かすための思索に必要な資料として,佐村河内守作曲とされる作品の楽譜やCD,佐村河内氏に関する書籍にアクセスできる経路を図書館,特に公共図書館は確保する必要があります。しかし,早くも佐村河内守騒動を公共図書館の所蔵資料に結びつけた報道が出てきました(注9)。今後,図書館ではこれらの「負の記憶」にアクセスできる経路を外的要因によってふさぐことのないよう,また楽譜等の出版者においても一連の資料を何らかの形で一般に入手できる道筋を確保できないものか(商業出版が自らも加担した形になってしまった「負の記憶」を販売し続けることにリスクが有るのは
承知していますが),開かれた議論のためにも何らかの手立てが必要になってくると思われます。図書館はくれぐれも佐村河内守関連の資料をお蔵入りさせることのないように。

 ではでは。

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