Saturday, October 27, 2007

撒種するとはどういうことか?

大作を何とか書き終え、激動の一週間を終え、トンネルを抜けると、そこは家事と事務書類の国だった。。共働き&赤ん坊持ちの同世代の若手研究者たちは、いったいどうやって研究したり、まめにブログを更新したりできているのだろうか。自分ではけっこう働いているつもりなのだが、まだまだ甘いということなのだろう。

さて、三日間の『創造的進化』百周年記念国際シンポジウム+『二源泉』ワークショップ+韓国篇である。

★以下に書き連ねることはあくまでも私の個人的な考えであって、他の主催者、主催団体や発表者の方々の意見を代表するものではありません。

企画の意図

一番大きな眼目は、「日本のベルクソン研究(ひいてはフランス思想・哲学研究)の活性化に少しでも寄与する」ということであった。

そのためには、一日か、せいぜい二日、数人の海外研究者を呼んで、こぢんまりと世界の最先端のお話を興味深く拝聴する、といった旧来の方式ではあまり意味がないと思われた。

やるなら三日、ベルクソン研究の先端を行く世界の研究者(フランスだけでなく、少なくとも英米系)と、世界に紹介して恥ずかしくない日本を代表するベルクソン研究者の真剣な議論を、日本の聴衆、とりわけ若手研究者に、ライヴで見てもらうことが最も重要であるように思われた。

今回のシンポを旧来の延長線の感覚で見てしまった人がいるとしたら、この企画は失敗である。

やれ「フランスの誰某は大したことがない」だの、「日本の誰某の新刊はイマイチ」だの、批評家気取りで、言いたいことを言う。それでは巨大掲示板に「言いっ放し」を書き込んで、いっぱし専門家気取りの素人とたいした違いはない。それでいて、自分は満足に英・仏・独語で論文一つ書けはしない。日本語でなら、単に業績づくりの口実でなく、単に訓詁学的でもない、問題提起的な論文を書けているのだろうか?

若いのだから、大きなことを言ってもいい。ただ同時に、もっと自分の足元を見つめ直すべきなのだ。そう痛感してくれた若手(要するに私と同世代の人たちのことである)が一人でも増えたとしたら、この企画は成功である。


発表者の陣容

かねてから、ベルクソン研究をきちんと多様化する必要がある、と感じていた。「何でもアリ」がいいというのではない。一定の水準を保ちつつ、しかし、過度に訓詁学的にならない、という警戒感は必要であるように思われた。また、純粋哲学的と言おうが、形而上学的ないし存在論的と言おうが、同じことだが、とにかくベルクソン哲学における重要なモーメントである「科学との接触」を失うことも避けねばならないと思われた。ここから、以下の三本柱が決定した。

1.哲学的・哲学史的研究
2.科学的・科学史的研究
3.現代思想との関わり

今回は、画期的な「事件」「出来事」としてこのプロジェクトが一定の認知を得る必要があった。そこで、著名な実力者のみにご登場いただいたわけだが、次年度以降は、できれば小さなセミナー形式であれ、若手に発表の場を与えられるような「プラス・アルファ」を可能な限り導入していきたい(財政的な問題も含め、クリアしなければならない問題が山積しているので、約束はできないが)。



中堅以上の研究者には、真摯に努力を続けている若手を「救う」義務がある。もちろん自助も大切だろう。だが、若手を取り巻く状況は、帝大時代とも、バブル期とも違う。業界自体が崩れようとしているのである。

私と共に立ち上がってくれた方々、手を差し伸べてくださった方々もいた。その方々には篤く感謝申し上げ、今後ともご協力をお願い致します。

だが、あるときは私をエリート主義者と呼び、あるときはポピュリストと呼ぶ、都合のいい態度を取っていらっしゃるだけの幾人かの人々もいた。「私は授業をちゃんとやっていますよ」とか、「大学の委員を積極的に引き受けていますよ」、というのは状況に対する何らの積極的な打開策ではない。その方々は、ならば、このような状況をどうお思いなのか、どう対処していくべきだと思っていらっしゃるのか。

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