・大場淳、「フランスの大学における〈学力低下〉問題とその対応」、『広島大学大学院教育学研究科紀要』第52号、2003年、371‐380頁。
・大場淳、「フランスのエリート校の新しい入学者選抜制度」
・ 園山大祐(2004)「フランス高等教育におけるアファーマティブ・アクションの導入─パリ政治学院の「多様性の中にみる優秀性」に関する一考察」日仏教育学会年報第10号、100-111頁。
・津崎良典、「フランス全国大学評価委員会による教育評価の基準策定に関するノート」(大阪大学『大学教育実践センター紀要』第3号、2006年) 津崎さん論文どうもありがとう!
西山雄二さんがUTCPのブログで、昨今の大学論のうち、雑誌で特集として組まれたものについてまとめてくださっている(「日本の大学の現在―競争による競争のための競争の減失?」、2008年2月15日)。中でも《生存のための闘争》の描写には目をひかれた。
《逆に、法人化以後、国立大学の運営費交付金は毎年1%ずつ削減されており、交付金だけで人件費を充当することができない大学がほとんどである。大学は自助努力で「競争的研究資金」を獲得して、運営の資金をも確保しなければならない。それは、いわば「基本給」が削減され、足りない部分は「歩合制」となり、同じ仲間との競争のなかで「能力のある者」が高い報酬を獲得できるというドラスティックな仕組みである。「競争」といっても、一定の生存が保障された上での競争ではなく、まさにお互いの生存を賭けた競争である。》
大学の問題を考えるとき、社会の問題、政治の問題を同時に考え続けること。下の記事と同じ文脈ではないが、「大学だけいじっても」「学校だけいじっても」「教育問題だけいじっても」という視点は常に必要だと思う。
【9月入学】大学だけいじっても
2007年07月27日08時26分
大学九月入学が政府の思うように進んでいない実態が文部科学省の調査で明らかになった。
二〇〇五年度、四月入学以外の制度を導入していた大学百五十三校のうち、四月以外の入学者がいた大学は約四割にとどまり、前年に比べて入学者のいた大学数、全体の入学者数ともに減少していた。
安倍首相も九月入学を教育再生の柱の一つに掲げ、「骨太の方針2007」に盛り込むなど四月入学からの転換に意欲を見せる。だが、就職の不利が浮き上がるなど、条件整備もないまま旗を振ったところで制度が浸透しないのは当然だろう。
九月入学は古くて新しいテーマである。一九八七年、中曽根内閣時の臨時教育審議会が答申に「検討課題」として盛り込んで以来、たびたび議論されてきた。
二〇〇〇年の森内閣では首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が最終報告で「積極的に推進する」とさらに踏み込んだ。安倍首相が義務化を提案する三月の高校卒業から九月の大学入学までの間の社会奉仕活動はこの時、既に示されていた。
転換の理由は過去の議論も安倍首相の持論も共通している。
欧米の主流である九月入学に合わせ、互いが留学しやすい環境を整えることで大学の国際競争力を高める。少子化の時代、留学生を迎えやすくして経営の安定につなげる。社会奉仕活動をすることで「公」の意識を育てる。以上に集約されよう。
だが、理念だけで乗り切れるほど軽い問題ではない。企業の通年採用が増えているとはいえ、新卒採用は三月卒業者に集中している。九月入学制では六月卒業が一般的であり、就職面で大きな不利を被る。
しかも、日本社会は小・中・高校ともそうであるように「四月入学、三月卒業」が文化・伝統として根付いている。行政はもとより企業の会計年度も四月から翌年三月末までというケースが多い。
大学の入学制度だけをいじり、社会全体の仕組みに手を付けないのでは混乱を招くだけである。
社会奉仕活動も、本来は自発的なものであり押し付けは筋違いだ。四月入学のままでも大学のカリキュラムに組み込めば済む話である。また、進学しない若者との公平性をどう保つつもりなのか。
実現にはあまりに課題が多い。理念先行の安倍改革を象徴する必然性に欠ける政策だ。慎重な議論がもっと必要である。
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