・デュルケム、「ドイツの大学における哲学教育の現状」(1887年)、『デュルケム ドイツ論集』小関藤一郎+山下雅之訳、行路社、1993年、163-215頁。
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《ヘーゲルは三つの顔をもっている。第一は、カント、フィヒテ、シェリングなどの哲学を批判的に自己同化して、絶対的観念論として独自の哲学体系を展開した哲学者としてのヘーゲルの顔である。
第二は、イギリスの産業革命、フランスの政治革命に示される世界史の転換期に生きて、祖国ドイツの近代化を目指して故国ヴュルテンベルクの政情を憂えたり、ドイツ憲法論を論じたり、イギリス選挙法改正運動を見守る政論家としてのヘーゲルの顔である。
そして第三は、哲学教師として、ギムナジウム校長として、視学官として、さらにベルリン大学総長として活躍した教育家としてのヘーゲルの顔である。[…]
ヘーゲルにとって、哲学者であることと、政論家であることと、教育家であることは、決して別々のことではない。これらは三位一体であり、このいずれの顔をも無視しないところに、初めて正しいヘーゲル像が結ばれると言わなくてはならない。》(『ヘーゲル教育論集』上妻精(こうづま・ただし)訳、国文社アウロラ叢書、1988年、304、306頁)
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