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■「虚実皮膜の書評」 / キウ
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『想像ジオ』 いとうせいこう 河出書房新社 13.3
(…)
このようなテーマを、このような形で描くことに対して、
々されることとなるであろう議題が、2章で先取されている。
らボランティア帰りの車の中、
えるかが議論される。
ラジオのような感傷的な噂を真に受けて語るようなことは許されな
いか、
のか。その主張に対し、
傾けようとする心情がなければ、
まうのではないか、との意見も出る。
(…)
3.11以降の文学は、どうしてもそのことを避けては通れない。
な小説は、その奔放な想像力で、
している。
死者はもちろん震災や津波にかかわる死者だけでなく、
われている。
のことを、文学の世界において、その想像力を持って、
ると提示する。それもやはり文学の果たすべき使命なのだと思う。
だけで生きているのではない。
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■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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第45回 2年の月日で忘れたこと
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あれから2年の月日で忘れたこと年…たった2年なのに、
いつのまにか日常の生活に慣れ始め、
もちろんいっこうに進まない復興の報道を見て憤ったり、
たりもする。
(…)
一箱本送り隊(http://honokuri.exblog.
災地で、
めの活動をしている。法要が行われた谷中のお寺は、
ほど、集めた本を整理、仕分けをして発送をしているところだ。
ても手に入らない人に、本を届ける…とても単純な発想だけれど、
さまざまな本を送るのではなく、
きめの細かい対応が必要なはずだし、
げたのは地道な活動を続けたからこそ出来たのだと思う。
ボランティアで瓦礫の仕分けや炊き出しに被災地に通っている知人
「本を送るなんてまだまだ後の話だよ」なんていわれるけれど、
い人たちがいるのだから、いいじゃないか! 地味だけれど有意義な活動だと
思う。支援にはいろいろな形があっていいと思う。
その活動も2年が経って、本を送るだけではなく、
して、そして本に関わるコミュニティ・スペースを作るという、
みな展開を迎えようとしているようだ。
ひるがえって自分のこととなると、なんだか情けないことばかり。
隊の活動も立ち上げのときに少しお手伝いしただけだし、
参加しただけだ。怠惰な暮らしを続けている。そんなとき、
星野源のエッセー集「そして生活はつづく」(文春文庫)
きちんとした生活が出来ない人のようだとわかり、少し救われた。(…)
なかなか自分が理想とする人になれない。きちんと生活をして、
して、反原発デモに参加して、愚痴をこぼさず、
そうしたら星野源があとがきで書いていた。
「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」
「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。
さを見いだすには努力と根性がいる、と。
そうするには必死にならなければならないという。まいった。(…)面白く生
きるためには、倒れるぐらい、
だな。(…)
◎吉上恭太 文筆業。仕事よりギターを弾いていることが多い。
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「少し自分をケアできるようになることで生きていける。
いけれど、とりあえず生き延びていける、(後略)」
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■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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先日蔵前で行われたブックマーケット2013というイベントで偶
冊を今月は御紹介したいと思います。
嬉しいですね。
『その後の不自由』、上岡陽江+大島栄子、医学書院、2010
『その後の不自由』の指す「その後」というのは、
ことです。理不尽な体験をきっかけに、「依存症」や「
障害」となって生きていくこと。
述べられています。
(…)
私自身も名前は知っているけれど…
人が抱える困難についてはよく知りませんでした。
大事なのは、とにかく依存しているものを「断つ」
しかし、ここではそうではないことが述べられています。(…)
「境界線を壊されて育つ」というのは、子供(当事者)を中心に、
てくれる関係にあるものが壊された中で育つということです。
自分を中心に、親密さの順に両親・祖父母・友達・
います。しかし「壊されて」
心が自分(当事者=子供)でなかったり、
張関係にさらされたりしてしまうのです。
ここから分かってくるのが、例えば緊張の中で支えがないと、
分だけが頼りになってくるということです。
いかなくなると考えてしまいます。
ばならないのですから。同時にこうした状況では、
はなく家族など他人を優先してしまうようになります。
己中心的ではなく、いつも他者をその中心に置いているのです。
そして他者の色々なものを背負ってしまい、
分の「痛み」をかき消すために、依存するということになります。
ば依存することで心のバランスを取っているのです。
だから依存症だって「断つ」ことをすれば治るわけではない。
れば再び心のバランスが崩れてしまうかもしれないからです。
の距離のとり方ということに問題があるといえるのかもしれません
このように腑分けされていくと、当事者の心理は、
た依存症などへのイメージとはだいぶ異なったものでした。
しばしば本文中に「回復とは回復しつづけること」
回復した!という状態に自らを持っていくのではなく、
とかうまく距離をとって生きてゆくことを目指す、
感じました。
(…)
ただ、私はこの本を、
して変わっていく自分に戸惑っている人にも、
を与えてくれるのではないかとも思いました。
(…)
◎副隊長 鉄道とペンギンの好きな元書店員。
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