Saturday, March 23, 2013

死とともに生を生き抜く

本のメルマガ最新号より一部抜粋させていただきます。とても響き合っている気がするので。

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 ■「虚実皮膜の書評」 / キウ
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 『想像ジオ』 いとうせいこう 河出書房新社 13.3

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  このようなテーマを、このような形で描くことに対して、当然その当否が云
 々されることとなるであろう議題が、2章で先取されている。2章では被災地か
 らボランティア帰りの車の中、5人の男たちにより想像ラジオの噂をどうとら
 えるかが議論される。生者はこの震災と津波による死者の心情について、想像
 ラジオのような感傷的な噂を真に受けて語るようなことは許されないのではな
 いか、我々ができることは残された生者の手伝いをすることまでなのではない
 のか。その主張に対し、亡くなった人たちの悔しさや恐ろしさや心残りに耳を
 傾けようとする心情がなければ、こういった活動も薄っぺらなものになってし
 まうのではないか、との意見も出る。

(…)

  3.11以降の文学は、どうしてもそのことを避けては通れない。この不思議
 な小説は、その奔放な想像力で、生者と死者の関係を真正面からとらえようと
 している。
 死者はもちろん震災や津波にかかわる死者だけでなく、われらの人生に立ち現
 われている。しかしその声を我々は聴かなくなってしまったのではないか。そ
 のことを、文学の世界において、その想像力を持って、やはり向き合うべきで
 ると提示する。それもやはり文学の果たすべき使命なのだと思う。我々は生者
 だけで生きているのではない。

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 ■「ときには積ん読の日々」 / 吉上恭太
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 第45回  2年の月日で忘れたこと

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  あれから2年の月日で忘れたこと年…たった2年なのに、東京に住むぼくは、
 いつのまにか日常の生活に慣れ始め、あの日のことを忘れているのではないか。
 もちろんいっこうに進まない復興の報道を見て憤ったり、反原発のデモがあっ
 たりもする。

(…)

   一箱本送り隊(http://honokuri.exblog.jp/)は、地震や津波で失われた被
 災地で、本を読めない生活を強いられているたくさんの人たちに本を届ける
 めの活動をしている。法要が行われた谷中のお寺は、一箱本送り隊が月に2回
 ほど、集めた本を整理、仕分けをして発送をしているところだ。本を読みたく
 ても手に入らない人に、本を届ける…とても単純な発想だけれど、単に大量に
 さまざまな本を送るのではなく、読みたい人に読みたい本を確実に届けるには、
 きめの細かい対応が必要なはずだし、そのノウハウを経験でシステムに作り上
 げたのは地道な活動を続けたからこそ出来たのだと思う。

  ボランティアで瓦礫の仕分けや炊き出しに被災地に通っている知人には、
 「本を送るなんてまだまだ後の話だよ」なんていわれるけれど、そこに読みた
 い人たちがいるのだから、いいじゃないか! 地味だけれど有意義な活動だと
 思う。支援にはいろいろな形があっていいと思う。

  その活動も2年が経って、本を送るだけではなく、古本市やイベントを企画
 して、そして本に関わるコミュニティ・スペースを作るという、新しい、楽し
 みな展開を迎えようとしているようだ。

  ひるがえって自分のこととなると、なんだか情けないことばかり。一箱送り
 隊の活動も立ち上げのときに少しお手伝いしただけだし、反原発デモにも2度
 参加しただけだ。怠惰な暮らしを続けている。そんなとき、なんとなく買った
 星野源のエッセー集「そして生活はつづく」(文春文庫)を読むと、この人も
 きちんとした生活が出来ない人のようだとわかり、少し救われた。(…)

  なかなか自分が理想とする人になれない。きちんと生活をして、支援活動も
 して、反原発デモに参加して、愚痴をこぼさず、鬱にならずに暮らしたい!

  そうしたら星野源があとがきで書いていた。

 「なにげない日常の中に素晴らしいものがある」というような人は苦手。
 「なにげない日常」の中には「なにげない日常」しかない。その中に素晴らし
 さを見いだすには努力と根性がいる、と。毎日を面白くするのは自分自身で、
 そうするには必死にならなければならないという。まいった。(…)面白く生
 きるためには、倒れるぐらい、一生懸命好きなことをやらなくてはならないの
 だな。(…)

 ◎吉上恭太 文筆業。仕事よりギターを弾いていることが多い。


***


 「少し自分をケアできるようになることで生きていける。問題は解決していな
 いけれど、とりあえず生き延びていける、(後略)」


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 ■「本棚つまみ食い」 / 副隊長
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  先日蔵前で行われたブックマーケット2013というイベントで偶然見つけた一
 冊を今月は御紹介したいと思います。やっぱりお店での本との偶然の出会いは
 嬉しいですね。

 『その後の不自由』、上岡陽江+大島栄子、医学書院、2010

  『その後の不自由』の指す「その後」というのは、理不尽な体験の後という
 ことです。理不尽な体験をきっかけに、「依存症」や「境界性パーソナリティ
 障害」となって生きていくこと。その中に起こるさまざまな困難がこの本では
 述べられています。

(…)

私自身も名前は知っているけれど…といった程度で、当事者の
 人が抱える困難についてはよく知りませんでした。その回復の過程においても
 大事なのは、とにかく依存しているものを「断つ」ことだと思っていました。

  しかし、ここではそうではないことが述べられています。(…)

  「境界線を壊されて育つ」というのは、子供(当事者)を中心に、本来支え
 てくれる関係にあるものが壊された中で育つということです。子供というのは
 自分を中心に、親密さの順に両親・祖父母・友達・地域の人などに支えられて
 います。しかし「壊されて」いる場合これがグチャグチャになっています。中
 心が自分(当事者=子供)でなかったり、支えを持たずにむき出しのままの緊
 張関係にさらされたりしてしまうのです。

  ここから分かってくるのが、例えば緊張の中で支えがないと、結局子供は自
 分だけが頼りになってくるということです。自分が頑張らないと家族がうまく
 いかなくなると考えてしまいます。何せ支えてくれるはずの存在と渡り合わね
 ばならないのですから。同時にこうした状況では、自分自身を中心にするので
 はなく家族など他人を優先してしまうようになります。つまり当事者自身は自
 己中心的ではなく、いつも他者をその中心に置いているのです。

  そして他者の色々なものを背負ってしまい、歪な形で世界と対峙している自
 分の「痛み」をかき消すために、依存するということになります。簡単に言え
 ば依存することで心のバランスを取っているのです。

  だから依存症だって「断つ」ことをすれば治るわけではない。それらを止め
 れば再び心のバランスが崩れてしまうかもしれないからです。むしろ世の中と
 の距離のとり方ということに問題があるといえるのかもしれません

  このように腑分けされていくと、当事者の心理は、今までぼんやり持ってい
 た依存症などへのイメージとはだいぶ異なったものでした。

  しばしば本文中に「回復とは回復しつづけること」という言葉が出てきます。
 回復した!という状態に自らを持っていくのではなく、変化し続ける周囲と何
 とかうまく距離をとって生きてゆくことを目指すその象徴的な言葉のように
 感じました。

(…)

  ただ、私はこの本を、世の中との折り合いが悪い人や折り合いを付けようと
 して変わっていく自分に戸惑っている人にも、何か生きるよすがのようなもの
 を与えてくれるのではないかとも思いました。

(…)

  ◎副隊長 鉄道とペンギンの好きな元書店員。

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