Saturday, March 30, 2013

妬み深く、怠惰で、幼稚

最新号である『ベルクソン年鑑』第6号を、ついに実質的に日本人でジャックしてみせた。たぶん、業界以外の人々にとっては、ささやかすぎる成果と見えよう。業界内にさえ、そのことの破格さが分からない人々はたくさんいる。だからこその閉鎖性である。

もちろん村上隆ほどではないとして、私たちも2007年以来、西洋哲学研究の国際的なネットワークの「ルールを学んで二枚舌で頑張る」ということを地道に積み重ねてきた。

基本的にきわめてヨーロッパ中心主義的な体制にどうやって制度的に風穴を開けるか。日本の研究の存在を知らしめ、その意義を実質的に(外交辞令でなく)認めさせるか。『ベルクソン年鑑』第6号の序文を見てもらえれば、彼らの現状認識がはっきりわかるはずだ。

と同時に、日本の西洋哲学研究のあまりに貧相な二者択一――海外組(流行りの思想家の薄っぺらい本を訳し、訳者解説を書いて名前を売り、のしあがっていくというキャリア)か、国内組(強固なギルド組織の中で、地道にこつこつ訓詁学を積み重ねていくか)――に入らない道をいかに切り開いていくか。外国語で哲学をする国際的な研究基盤を「制度」としていかにつくっていくか。私たちはそれを考え、実現しようとしてきた。

国際シンポで言えば、私たちは旧来の「大哲学者(ないし旬の流行哲学者)を呼んでお説拝聴」式ではなく、「仲間として議論できる研究者たちと共同作業をする」式を続けてきた。もちろん、日本に紹介して意味のある海外研究者を選び、海外に紹介して意味のある日本人研究者を、ベストのマッチングでセッションに組み込む。ほとんどの人にその組み合わせの妙が分からないとしても、それなりの精度でやってきた。

エラスムス・ムンドゥスは、ヨーロッパと日本の哲学教員が、東京で、フランス語で、世界中から選抜されてきた学生たち(および日本の意欲ある学生たち)に哲学の授業を行なうという制度である。私たちはもっと日本の学生たちがチャレンジ精神をもって臨んでくれることを期待している。そのための制度である。

国際シンポなどお祭り騒ぎでしかない。エラスムス・ムンドゥスなどヨーロッパの文化政策のお先棒担ぎでしかない。そういった冷ややかな見方がずっとあったし、今もあるだろう。だが、「彼ら」のように、自分たちは何も新しいチャレンジをせず、隙あらばケチをつけてやろうと、一言居士然として見せることにいったい何の意味があるのだろう。それは「反時代的」ではなく、単なる「反動」にすぎない。

プロジェクトの最終年、私たちは守りに入るのではなく、さらなる攻めに転じる。パリで日本人主体の国際シンポジウムを開くのである。数字的にはおそらく惨敗するだろう。一昨年、福岡で苦い経験をしたように…。けれど、それでもなお、私たちは前進し続けなければならない。

以下に並んでいるのは、「経済」や「資本主義」、とりわけ「制度」を非難し決別宣言して事が済むと思っている哲学者に聴かせたい言葉ばかりである。面白かったので、全文を元のサイトでぜひ。


村上隆(下)「クールジャパンはアホすぎる」

「未来国家・日本」が抱える大問題


日本はSFの管理社会そのまんま

――日本は「未来国家」だと指摘していますが、どういう意味でしょうか?
悪い意味でです。民主化を超えたスーパーフラットな監視社会が自然発生的にでき、そのストラクチャーは草の根ゆえに強固です。成功者を妬み、引きずり下ろし、失敗をあざけり笑い、楽をしたいと思い、だらだらと生きている者たちが心の平静を保つ。
国家債務が限界を超えても、その責任を取ろうとするコンセプト1つ出てこず、大衆は文句を言い続けながら怠惰な生活を留保し続けられると信じている。(…)
――世界で勝つためにも、まず戦勝国のルールを学ぶべきだと提唱しています。
え?そんなこと言ってないです。コンテンポラリーアート界を牽引しているのは、戦勝国のアメリカとイギリスです。だからそこを学べと言っているわけであって、曲解してしまうとダメですよ。
(…)今も欧米が経済のルールを作り、改変するダイナミズムを持っているので、マイノリティがいくら頑張っても、搾取はある程度行われてしまう。それをしょうがないと思ってあきらめるか、ルールを学んで二枚舌で頑張るかのどちらかしかないですね。
マイナーな国々でも、独自のルールに誇りを持ち続けています。その国にフィットさせるためには、言語を習得するといった技術面だけでは不十分です。「相手が何を望んでいるか」を集中して考えれば、ピピッとそのフュージョン(融合)の勘所がわかるではないかと思います。
上隆(むらかみ・たかし)
アーティスト。カイカイキキ代表

1962年、東京生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。世界のアートシーンに新しいコンセプトを提案したSUPERFLATプロジェクトは6年をかけてロサンゼルス、パリ、ニューヨークを回り、ラストとなった「LittleBoy」(NY ジャパンソサエティ/2005 年)はニューヨークの美術館開催の最優秀テーマ展覧会賞を受賞。08年、TIME マガジン<世界で最も影響力のある100人> に選出。主なコラヴォレーションにルイ・ヴィトンや六本木ヒルズ、カニエ・ウェストがある。代表的な展覧会はベルサイユ宮殿での個展「MURAKAMI VERSAILLES」(2010年)。実写映画『めめめのくらげ』シリーズやアニメ作品「6HP」など映像監督としての作品も公開されていく。

――ビジネス分野で、注目しているリーダーはいますか?

(…)先日、ある成功者の新刊本を読みました。ある章で、僕の大好きなホリエモン(堀江貴文)を批判していました。(…)日本がダメになった理由は、ああいった特異点の登場を、嫉妬の対象に仕立て上げ、経済の仕組みの欺瞞を暴くところまで到達出来なかったことだと思うので、なんか日本の経済人は、自分がよけりゃ、仕組みの歪みにまで着手するガッツがないんだなぁ~と、けっこうあきれています。で、成功譚と批判とは、おそまつです。構造改革を行う者こそ、真のリーダーであるんです。
(…)スティーブ・ジョブズの評価点は、資本主義というものを<ものづくり>に引きずりこんだことです。
日本は、<ものづくり>はすばらしいのに、資本主義に負けてしまっているわけです。だから、経済、資本主義が何かということを、もっと学校が徹底して教えるべきですよ。結局、商いをもっとリスペクトするような社会構造を作り、「商いは文化だ」という認識を浸透させないと、日本の文化は成長しません。

欲求のレベルがすごく幼稚

日本では、お金持ちになった人が、バカみたいに外車や改造バイク、複雑な時計を買ったり、芸能人と結婚したりしてしまう。それは、ブランドだからという理由において、決定している。自分の人生哲学はないわけです。他人の目を気にし続けている。欲求のレベルがすごく幼稚なわけです。
だから、儲けたおカネをどう使うかを、学校で教えたほうがいいと思う。経済的に成功したロールモデルのような人がたくさんいて、その人たちの生き方を学校で勉強するようになるといいのではないでしょうか。(…)
――最近は、政府による「クールジャパン」の政策を批判しています。
アホですよ。アホすぎて話にならない。今や、官僚になっていく人材も地盤沈下を起こし、憐れなグダグダな失態を世間に晒しています。ネットに上がっていた「クールジャパン」のビジネスストラクチャーのマトリックス図は、大学生のレポート以下でした。そんな複雑で可能性の低い事業に税金が使われていく様は、数十年前の原発村の起源発生を見るようで、虫酸が走ります。
そんな複雑なことはしないで、集英社、小学館、講談社のビック3をまとめあげ、東京に世界に冠たる、漫画博物館を造るべきです。ビック3をまとめあげるというまとめ方に、特別免税制を敷いて、美術館制作を民間に一時任せる。「ロード・オブ・ザ・リング」を造ったときのニュージーランドのとった政策にアイデアをもらっています。つまり、ハリウッドからの資金には課税せず、すべてを製作費に回したという離れ業。そのために、ニュージーランドへの観光旅行は増え、かつ、今やニュージーランドはハリウッドを超えるクリエーティブなスタジオを保有するにまで激変しました。そういう離れ業を行えるのが官ではないかと。今回の「クールジャパン」のファンドの旗振りはナンセンスです。

百歩下がって、アイデアを出すとすれば、コミコン(米カリフォルニア州で開かれる漫画など大衆文化のコンベンション)などで、国際的な漫画、アニメの賞で日本人が受賞するよう、ロビー活動をすべきです。海外で「やっぱり日本人のやっていたことは正しかったんだ」と認められるような、上手なコミュニケーションを促進する縁の下の力持ちを造り上げることです。
政府は、「AKBをシンガポールに持っていった」とか「われわれは漫画の味方ですよ」といったアピールをしていますが、正直、国内でも海外からでも、そうした行動に賞賛は皆無であるという事実に着目するべきです。
日本には、高松宮殿下記念世界文化賞などいろいろな賞があって、外国人に賞を上げています。それは国際交流としてはいいことです。ただ逆に、国際社会の中で、日本人が評価されるという舞台もあるはずです。そういう国際的な賞を、たとえば、任天堂のゼルダを創った宮本茂さんが受賞するといった例を作らないとまずい。日本人が日本人を表彰する自画自賛では駄目です。
とにかく無責任な日本人をゆとり教育が大量発生させてしまった後始末を、多くの気概ある日本人がアタックせねばならない。それを言いたかったとも言えるのです。
(撮影:尾形文繁)

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