では、ハイデガーは本当にこの「現象学」の参照を必要としたのか?自分の晩年の思考を常に現象学的なものとして提示していたのか?ジャニコーによれば、この二つの問いへの答えはいずれも「否」である。むろん、いかにわずかなものではあっても、現象学的発想法との関係をなおも維持する必要をハイデガーは感じていたのではないかと問うことは適切ではあるが。
実際には、例えばツェーリンゲン・セミネールや「私の思考の道程と現象学」など、後期ハイデガーの現象学への言及が目立つ箇所は、彼の思考の軌跡の一貫性が問題になっている箇所だ、ということである。だからこそハイデガーのフッサールとの出会いから、周知のフッサールとの相違・対立に至るまで、フッサールの遺産との関係が必ずこれらの議論の中心を占めるのである。ハイデガーの思想の道程の一貫性・統一性を強調しようと思えば、常に彼とフッサールとの共同作業の根底にあった根本的な意見対立を認めざるをえない。例えば、フッサールのブレンターノとハイデガーのブレンターノは、同じブレンターノではない。フッサールが惹かれたのは『経験的な観点からする心理学』(Psychologie du point de vue empirique)のブレンターノであるのに対して、ハイデガーが「哲学を読むすべを教わった」のは『アリストテレスにおける存在者の多様な意味について』(Des significations multiples de l'étant chez Aristote)のブレンターノである。また彼ら相互の評価に関していえば、若きハイデガーは『論理学研究』第6部に惹かれていたが、フッサールはそれにはもはやほとんど意義を認めていなかった。しかしこういったことはすべて、『存在と時間』がフッサール現象学の方法と、とりわけその前提に加えることになる大変動に比べればまったく何でもない。
したがって確認しておくべきことは、一方で、現象学は、その名からしても着想からしても、誰に属するものでも(フッサールにすらも)ない以上、ハイデガーには現象学を自分のものとする十全な権利があるということ、他方で、しかしながらハイデガーが最終的に賞賛する「同語反復的思考」は、フッサールによる構成の試みとはもはや何の関係もないものだということである。なぜならこの後者は、存在者のさまざまな断面(現実存在の主観的な相関物の側まで含めて)のより根本的で、より真、より完璧な認識をきちんと提供しようとするものであったからである。
ジャン=フランソワ・クルティーヌが見事に示したように、後期ハイデガーが最終的に到達した「現れないものの現象学」から振り返ってみるならば、『存在と時間』の段階は、言ってみればはじめて現象の覆いを剥がす方向に進んだものと見ることができる。一種の賓辞の文法という、現象学の解釈学的深化として見なすことはまだ可能であった。しかしながら、『存在と時間』で提示されたハイデガーのプロジェクトの「同語反復的」ラディカル化は、クルティーヌによれば、ただ単にあいまいさに行き着くのみならず、現象の放棄というUnglück、災厄、カタストロフに行き着くことになるのではないか?
こうしてハイデガー思想の謎めいた展開をたどってくると、まさにここから神学的転回の問題のすべてが始まるのだということが分かる。ここにこそ、実証的な現象学プロジェクトと、その始原的なもののほうへの方向転換との間の断絶がある。一方を困惑させるものが他方を満足させる、和解の余地なき選択肢がある。「現れないものの現象学」は、沈黙に縁取られた言葉に耳を傾けるべく、現象の整然としたあらゆる提示を最終的に揺るがし、始原的なものへ、見えないものへ、密やかに佇むものへ向かう。実際、ハイデガーのヘルダーリン解釈を見る限り、彼の「転回」が聖なるものの探求によって条件づけられていることを否定するのは困難である。このハイデガーのKehreなしに、フランス現象学の神学的転回はありえなかった(Sans la Kehre de Heidegger, point de tournant théologique.)。
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