Sunday, May 22, 2005

エリート教育の問題(補遺)

 今日、France Musiqueというクラシック中心のラジオを聴いていると、現在、École normale de musique (Paris)でピアノを勉強している日本人の若手ピアニスト関本昌平さん(1985-)の演奏が聞こえてきた。

 (ちなみに、エコール・ノルマルのサイトを見る限り、レベルの違いこそあれ、ソルボンヌ文明講座と同じ傾向の商売っ気があるような気がする。)

 インタヴューは、通訳のフランス語がアジア人(日本人?)風のかなりきつい訛りで、聞き取りにくかったが、その中で、「日本ではかなり若い頃から厳しい練習を積なねばならず、また少年少女向けの多くのコンクールがあるようだが、それについてはどう思うか?」という少し皮肉交じりの質問に対して、関本さんはおおよそのところこんな風に答えていた。

「たしかに日本ではかなり早くから厳しい練習を始めますし、また子供向けのたくさんのコンクールがあります。もしコンクールで賞を取るといったことだけを目的として厳しい練習を積まねばならないとしたら、それは良いこととは言えないでしょう。でも、コンクールに向けていろいろな曲を練習してレパートリーを広げることができ、これまで知らなかった未知の作曲家、未知の奏法、ひいては未知の自分に出会える機会と捉えれば、コンクールはそれほど悪いものではないのではないでしょうか」。

 哲学のエコール・ノルマルも「コンクール」の一つである(実際、フランス語では、入学試験にも「コンクール」という言葉を用いる)。ノルマルに入学するためには、高校卒業後、特別の準備クラス(カーニュ)に入って、専門の勉強を行なう。大学は通常の学生が行くところ、グラン・ゼコールは研究者ないし教育者予備軍のための教育機関である。



 2003年12月に行われ、前述の関本さんも4位入賞した浜松国際ピアノコンクールの審査員チョウ・グォアンレン(中国)は、こんなことを言っている。  
チョウ審査員は「浜松が世界レベルのコンクールに育ったことを確信しています。特に若いピアニストの演奏レベルが上がっているのには驚き。今日も、18歳のピアニストがいましたが、あの年であれだけの演奏をするのは素晴らしいことです。みんな指の動きがとても早くて驚いています」と述べた。
 会見ではなぜ浜松国際ピアノコンクールが短期間の間に国際的に評価を受けるようになったのか、といった質問も飛んだが、チョウ審査員は「市制80周年の記念に、ピアノコンクールを創設という発想が浜松ならでは。市を上げてコンクールに取り組んでいることが大きい。中村審査委員長とのコンビネーションもよく、関係者が一丸となっているから」と発言。ステーン=ノックレベルグ審査員は「ウィーンやパリでオーディションを行っていることで、ヨーロッパの若い才能から逆に注目されるという効果を生んでいる」と、海外からの注目度が最近上がっていることを指摘した。

こういったことは、日本の高等教育機関も、「国際的な競争力」を云々したければ、徐々に検討していくべき課題であろう。こういった制度改革のことを考えるとき、昨年のプロ野球改革ほど典型的な事の成り行きを示したものはない。一年半ほど前に、各球団オーナーがご大層に言っていたことを一つ一つ思い出し、そして今日のプロ野球の姿を見てみればいい。

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