Sunday, March 13, 2011

批判と支援

憂うべき甚大な被害の現状を見れば当然のことですが、すでにスポーツの試合やエンタメの公演が相次いで中止になっているとの情報がマスコミから流されています。私のほうには、学術的な講演の中止や、海外研究者の来日中止・延期(の検討)の情報が入ってきています(フランスやイタリアの大使館は旅行者に避難勧告を出しているようです)。

これは地震・津波や、原発関連の被害(被曝)などに対する複合的な漠然とした怖れなのでしょう。もちろん彼らの気持ち(自然発生的な恐怖・本能的かつ合理的な警戒感)は分かりますし、人命がかかった問題である以上、こちらとしても絶対に大丈夫などと簡単に安請け合いできるわけもありませんが、裏方として準備してきたという側面から見ると正直かなり残念な気持ちです。



ネット上で交わされている大量の言葉のやり取りの中に「天災か人災かの議論や政府批判は後回し。まずは救助・支援だ」という言葉が数多くありました。たしかに不毛な水掛け論をしている場合ではありません。しかし、「批判」か「支援」かは明らかに不毛な二者択一です。

原発問題がまだ終わっていない(それどころか深刻化している)以上、政府の一挙手一投足に注目することは当然のことですし、(別に日本に限らず)「大本営発表」というものに対するごく常識的な警戒感があれば、政府筋ではない複数の情報源からさまざまな情報を得て自分なりに判断し、場合によっては、彼ら政府の行動に対して、言論で「批判」し、方向修正を促そうとするのも当然のことです。

それを人に放棄させる権利は誰にもないでしょうし、自ら放棄することはカントの言う「敢えて賢かれ(自分の頭で考えよ)」の啓蒙精神を放棄していることになるでしょう。

政府の言動を注視するというのはごく健全な市民精神です。それを「監視」とネガティヴにのみとれば、あとは「黙従」しかなくなるでしょう。それは健全な「批判」を偏執狂的な「非難」と取り違えることです。

「批判」か「支援」かではなく、「支援」につながる「批判」、「批判」と緊密に結びついた「支援」が今大切であるように思います。

(ヤフーのサイトに「東北地方太平洋沖地震に関するチェーンメールなどへの注意について」というページがあり、「チェーンメール、電子掲示板、ミニブログなどで誤った情報が流れて」いるので、「報道や行政機関のWebサイトなどの信頼できる情報源で真偽を確かめ、これらのチェーンメールなどに惑わされないように」、また「チェーンメールを転送することはいたずらに不安感を煽ることにつなが」るので、「チェーンメールを受取った時は、速やかに削除して転送をやめ」るように勧告されています。これは総務省の勧告でもあり、妥当な勧告でもありますが、誤った情報であるかないかは一人一人が自分の責任において判断するほかはなく、事実そうやって判断しているのではないでしょうか。私たち一人一人の思考の力を基本的に信頼し、と同時に、互いに対する健全な批判精神を保ち続けることを奨励するのでなければなりません。)

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