Friday, September 14, 2012

大学の時間(2)単位の歴史

つらいことがあっても、前を向いていかないといけない。つらいことを忘れるためにではなく、かつて行なったさまざまな人々とのさまざまな「約束」を記憶しつづけるために。たとえ何があっても。ニーチェは決して「健忘」だけを強調したわけではない。彼は「約束」を単にネガティヴに捉えたわけではない。ルサンチマンの感情=感性としての記憶だけでなく、未来へ向かう意志としての記憶がある。忘れない。恨みとしてではなく、後悔としてでもなく、記憶を保てるか。災厄のために、私たちの過ちのためにもう届かない住所(アドレス)に、それでも手紙(メール)を書く。ルサンチマンからではなく、祈りから。




日本の単位制度小史(1)大学基準  日本の大学の単位制度は、第二次大戦後の194778日、大学基準協会が占領軍総司令部(GHQ)民間情報教育局(CI&E)の影響を受けて制定した「大学基準」にさかのぼる[8]。戦前の日本の大学にも単位制度は存在したが、そこでは単位数が授業時間から算定されていた。これに対して新制度では、学習が教室内でなされるか否かにかかわらず、一科目あたり学生に対して期待される学習時間の総体から算定されている。具体的には、単位数の基準として、1時間の講義に対し、教室外における2時間の準備学習を必要とすること、毎週1時間15週の講義を1単位とすることなどが規定された(「7.授業科目及びその単位数決定」)。この1単位の規定の仕方は、19世紀の終わりからアメリカの大学において徐々に形成されてきたものであり、前述の「科目の自由選択を通した学生の自主性の醸成」という理念と連動したものであった。この新たな単位制には、旧制大学の詰め込み主義を基礎とする監督教育・受動的学習から解放して、自学自修を奨励することで積極的・自発的な勉学活動へと誘う狙いがあった。結果はどうなったのか。
大学基準から大学設置基準へ  戦後教育改革史の専門家であり比較・国際教育学者でもある土持法一(つちもち・ほういち、1945-)によれば、文部省および新制大学の改革を審議した教育刷新委員会の指導者が、学生の自学自習の奨励という単位制の「理念」についての認識を欠いていたため、あるいは、大学改革の中心を明らかに旧制高等学校の再生に置いていたため、単位制は、すでに新制大学のスタート時点から形骸化の兆しがあった[9]。例えば、1科目に対して伝統的な1コマ2時間の連続講義ではなく、1時間の講義を週に何回か行なうことが、教育的配慮の強い(歴史的経緯から強くならざるを得なかった)アメリカ式の単位制では決定的に重要であったが、この「細部」は移入されなかった。依然として社会的・文化的エリート集団であり、旧制高校的「求道」のエートス(それは必ずしも習慣ではない)を身につけた当時の日本の大学人たちにとって、このような教育的配慮およびそのための授業の数量化・細分化は小手先の技術的改善と映ったことであろう。town and gownという言葉があるが、タウンとは截然と区別されたガウンの世界としての「学問の府」ないし「象牙の塔」では、単位数や授業時間などに拘泥することは、学問の蘊奥を究めることに比べれば些事であった。19561022日、大学の自主団体である大学基準協会が入会資格判定基準として示した「大学基準」とは異なり、きわめて基準性の強い省令として、「大学設置基準」(文部省令第28号)が新たに制定される。この省令は、単位算出基準を明確にし、1単位の履修時間を「教室内及び教室外を合わせて45時間」(第26条)という原則規定を初めて明示したが、同時に、「但し」書きを加え、授業に重点を置くことを可能にした。「仏作って魂入れず」あるいはPloughing the field and forgetting the seeds(畑を耕して種を忘れる)というべきか、いずれにしても土持によれば、こうした基本的原則の「例外」措置は、単位制度の特長である「自学自修」の精神を否定し、旧来の授業重視の形態に逆戻りしたもので、単位制度の空洞化の要因となった。
日本の大学における単位をめぐる諸問題  では、戦後はや六十数年を過ぎ、狭義の知的エリート層などとうの昔に消滅し、ガウンがタウンに凌駕されて久しい今日、単位の問題はどうなったのか。当初アメリカ側から(CI&E教育課のウィグルスワースの講演などを通じて)提示された「理念」においては、1科目につき毎週3時間という勉学活動の時間配分はまったく画一的ではなく、大学側は、科目の性格や授業形態に応じて柔軟に対応することが期待されていた。講義科目は授業1時間に対して家庭や図書館で2時間の予習・復習、実験を伴う科目は授業2時間に対して1時間のノートの整理、製図などは3時間の授業といった具合である。だが、学生側が週2時間の準備を必要とするものとして構想された講義が、日本でどれほど行なわれたであろうか。学生にとっては、講義より演習のほうが、演習より実験・実習のほうが準備にはより多くの時間を割いているというのが実情ではないだろうか。また、授業形態は同じでも(例えば、同じ講義科目であっても)、いわゆる「楽勝科目」と、そうでない科目で、「一票の重み」ならぬ「一単位の重み」は異なる。(現在はなくなりつつあるが)休講の多いクラスとそうでないクラスの単位、あるいは少人数クラスと多人数クラスの単位は同じ「価値」を持つのだろうか。学部や学科によって卒業に必要な単位数が大きく違っている場合も(少なくとも大綱化までは)少なくなかった。その一方で、単位制度は科目選択の自由と結びついているにもかかわらず、大学によってはその選択の機会が限られ、ほとんどの学生が同じようなカリキュラムを消化している場合もある。つまり、単位制度史の専門家である清水一彦(1952-)が指摘する通り、同じ1単位の学習の量は、実際には授業形態をはじめとする、さまざまな要因によって著しく異なっており、上に垣間見たさまざまな不公正・不公平の現実は、とりもなおさず一定の学習量を前提とした単位の等価値性の原理がすでに崩壊していることを示すものである[10]

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