Thursday, July 19, 2007

頭痛のタネ、友情の種

もうメンバーも内容も会場も決まって、秋のシンポジウムは一段落した、と思われているかもしれないが、とんでもない。ここに来て急に問題が持ち上がっていた。

ここ数日、自分の研究をほっぽり出して(赤ん坊や家事は放置するわけにはいかないので)、純粋に不毛なやりくり算段に埋没していた。

問題を解決しようにも、フランス人は今まさにバカンスに出発する(した)時期である。なんでこんな時期に!

特に頭が痛いのは、近頃ユーロが強すぎるということ。どう処理すれば一番効率的なのか。こちらにもきちんと検討するゆとりが欲しかったが、緊急処置を要する問題でもあり、そういうわけにもいかない。

本当はある程度詳細を書いたほうが後進の人の参考になるだろうとは思うのだが、ちょっとデリケートすぎる。紆余曲折の末、事態はようやく今日になって、収束の方向に向かっている。

一言だけ言えば、誰が相手であれ、いかに耳の痛い真実であれ、言うべきは言う、そういう関係を世界の研究者とこれからも維持していきたいと思っている。

このconsternantな問題の中で唯一嬉しかったのは、アジア人の知的・財政的協力者がおとこ気を見せてくれたことだ。彼とはウマが合いそうな気がしている。長期的な視野に立って、より一層の連携を深めていきたい。


地下鉄初乗り1000円!=英ポンド、対円で高騰
7月18日6時1分配信 時事通信

 【ロンドン17日時事】ロンドン外国為替市場で17日、英ポンドの対円相場が上伸し、一時16年ぶりに1ポンド=250円を突破した。日英両国の金利差が、ポンド相場上昇の背景。ロンドンの地下鉄初乗り料金(4ポンド)は、円換算で1000円を超え、日本人観光客や円を基準に給料を受け取る駐在員からは、日本との価格差の広がりに、悲鳴も上がっている。

2007/07/13-11:44
円、対ユーロで最安値更新=一時、168円95銭

 13日午前の東京外国為替市場の円相場は、内外の金利差に着目した円売りが進み、対ユーロでは一時、1ユーロ=168円95銭を付け、169円台目前に迫るなど、9日に付けた史上最安値168円55銭を更新した。午前11時現在1ユーロ=168円78-79銭と前日比52銭の円安・ユーロ高。

 日銀の金融政策決定会合での政策金利据え置きを受け、改めて内外の金利差が意識され、金利の低い円で資金を調達しユーロなどの高金利通貨で運用する「円キャリー取引」が活発化。円は、英ポンドやオーストラリアドルに対しても売られる全面安の展開となった。

 円は対ドルでも続落。午前11時現在、1ドル=122円46-47銭と前日比41銭の円安・ドル高。ユーロ・ドル相場は、1ユーロ=1.3781-3782ドル(前日1.3785-3786ドル)。

Wednesday, July 18, 2007

現役復帰(学問における)

私自身、若い人だけでなく、少し年を取ってなんとなく元気がない、研究の動機を見失いかけている(ようにも思われる)人たちにも積極的に声をかけていくことで、もう一度奮い立ってもらえればと思っている。願っているだけでなく、実際そのために動いてもいる(そのうち明らかになるだろう)。

もちろん一度失いかけた情熱を取り戻し、その間に蓄積された情報量をキャッチアップすることは簡単なことではない。だが、また、不可能でもない。

また、もちろん一研究者としては、そういうプロモーター的な仕事でなく、自分自身の研究の中身が一番大事なわけだが、それだけに閉じこもりたくはない。どれほど忙しくても。


【HERO'S】船木誠勝「桜庭や田村の試合を見て現役復帰を決意した」
GBR 格闘技WEBマガジン - 2007/7/17 14:19

 7月17日(火)都内ホテルにて、TBS主催『OLYMPIA HERO'S 2007 ミドル級世界王者決定トーナメント開幕戦』の一夜明け記者会見が行われ、大晦日での現役復帰を発表した船木誠勝(ARMS)が心境を語った。

 会見はFEG谷川貞治代表による、復帰までの経緯説明から始まった。「船木さんはHERO'Sの旗揚げ戦から中継の解説の仕事をしてもらっていて、当時はパンクラスを離れてフリーとしてタレント活動されていました。格闘技から離れているということで、私から『また(格闘技を)やりたくないですか?』と軽くお願いしたことはありましたが、正式なオファーをしたことはありませんでした。

 ところが柴田選手の練習を見たり、試合を見ているうちに火が着いたんだと思いますが、半年ほど前に船木さんの方から『格闘技をもう一度やりたい』という話を受けました。そこで(現役復帰が)本気かどうかを確認して『明日の大会で発表してもいいですか?』と聞いたところ了承がありました。ですから前田さんに船木さんの復帰を話したのも大会前日でしたし、細かい話合いはこれからです。

 私も船木さんが練習されているという話を聞いて、ある現役の有名格闘家から『かなり強い』ということや、そういう選手たちも極めてしまうという話も聞きました。それだったら(現役復帰も)大丈夫だろうと。ただし7年間の空白がありますから、調整のためにも大晦日がいいということになりました。

 船木さん、桜庭選手、田村選手は、グレイシーと闘いながら、プロレスファンに夢を与えて、名勝負をやって、総合格闘技を日本でブレイクさせた世代です。そんな船木さんのために最高の舞台、場所や相手を一生懸命用意したいと思っています。

 船木さんたちの世代があり、それから宇野選手たちの世代につながっている。船木さんたちはメインイベンターとしての風格を持っていると思います。そして下の世代の人たちにもいい刺激になると思います。また選手としては大変だと思いますが、総合格闘技の現状に立ち向かって欲しいです

 谷川代表の言葉を受けて船木が挨拶。復帰を決意した理由を自らの口から語った。「桜庭選手がHERO'Sに参戦することになり、自分は解説席から見ていたのですが、選手としてはもう潮時だとうと思っていました。しかしそれでも桜庭選手は闘っていて、それを見て心が動きました。また今年の頭に柴田がデビューするということになって、柴田を通して現役の選手としてリングを見て、自分もやらきゃいけないと感じました。

 Dynamite!! USAで田村選手と会って、もし桜庭選手が欠場した場合にはホイスと闘うというオファーを受けていたと聞きました。同年代の選手たちが身を削ってやっているのに、それを解説席から批評するにはやりきれなかった。LAから帰ってきて、柴田と一緒に色んな選手たちとスパーリングをしても、まだ力が残っていると感じます。それで上がるリングがあるのであれば、もうやるしかないだろうと。それで現役復帰の話をしました。

 昨日もリングに上がって挨拶をしましたが、自分のことを知らない人もたくさんいると思います。でもリングの中は100%選手のものです。その選手の生活やすべてリングに出ます。ありのままの自分を出せば、損をさせない自信はあります。若い選手たちにも『何であんなヤツが』と思って、牙を向いてくれたらいい活性化にもなるでしょう。

 またアメリカにとられた日本の総合格闘技のいい部分を作り直したい。今は日本が作ったものを、アメリカでお金で持っていった。だったらもう1回自分たちで作り直せばいい。2,3年かかるかもしれませんが、不可能だとは思いません。これからは大晦日に向けて、100%選手としての生活に入りたいと思います」

 そして挨拶を終えた後は記者からの質疑応答に答え、今後の選手活動のビジョンを明かした船木。質疑応答の最後には前田日明HERO\'Sスーパーバイザーが船木の復帰についてコメントし、「色んな意味で期待している。思い入れのある選手なので、協力してやっていきたい」と激励している。

Sunday, July 01, 2007

謝罪

6月27日の本ブログで、「フッサール業界のある若手の人」のことを話した。ご本人から「訂正」を求めるコメントをいただいた(同日分コメント欄参照のこと)。要点は以下のとおりである。

・たしかに自分は「指導を受けたい人がいないので、行く必要は感じない」という趣旨のことを言ったが、続けて「しかし外国語で書いていく必要はある」と言おうとしたのである。

・実際、自分は英語で発表もし、書きつつもあるので、「外国語で書かない」大学院生と同一視されるのは不本意である。
 
おっしゃることは全面的にもっともです。

したがってここで明記しますが(また、同日分のブログに変更と分かる仕方で変更を加えますが)、

・「指導を受けたい人がいないので、行く必要は感じない」と言うことと、「世界に向けて発信する必要はない」「外国語で書く必要はない」と言うこととは必ずしも同じではないこと、

・今、真意を伺い、また英語で書こうと鋭意努力されていることを伺って、上記二項を同じだとしたのはあくまでも私の拙速な判断であったこと

を認め、私の認識・記述を訂正致します。また、せっかく努力されている矢先に、私の不用意な発言で精神的なご不快を被られたことに対しても、ここに深くお詫び申し上げます。

Friday, June 29, 2007

『創造的進化』百周年・日本篇詳細

「生の哲学の今―ベルクソン『創造的進化』刊行百周年記念国際シンポジウム」
(2007年10月16-20日)

ベルクソン『創造的進化』刊行百周年記念国際シンポジウム実行委員会主催,
在日フランス大使館・関西日仏学館・ベルクソン哲学研究会・法政大学・学習院大学後援

第1日:『創造的進化』の哲学
10月16日(火)学習院大学 創立百周年記念会館小講堂
開会式(10:00-10:30)
セッション1(10:30-12:10)
 フレデリック・ヴォルムス(リール第三大学)+杉山直樹(学習院大学)
セッション2(14:00-15:40)
 ジャン=クリストフ・ゴダール(ポワチエ大学)+藤田尚志(日本学術振興会)
セッション3(16:00-17:40)
 ピエール・モンテベロ(トゥールーズ第二大学)+平井靖史(福岡大学)
全体討議(17:40-18:30)

第2日:哲学史・科学史の中の『創造的進化』
10月17日(水)法政大学 スカイホール(ボアソナードタワー26F)
開会式(10:00-10:30)
セッション1(10:30-12:10)
 ジャン・ガイヨン(パリ第一大学)+安孫子信(法政大学)
セッション2(14:00-15:40)
 ポール=アントワーヌ・ミケル(ニース大学)+金森修(東京大学)
セッション3(16:00-17:40)
 アルノー・フランソワ(リール第三大学)+ミシェル・ダリシエ(パリ中国・日本・チベット文化研究所)
全体討議(17:40-18:30)

第3日:『創造的進化』と現代思想
10月20日(土)京都大学 文学部新館第3講義室
開会式(10:00-10:30)
セッション1(10:30-12:10)
 ジョン・マラーキー(英ダンディー大学)+檜垣立哉(大阪大学)
セッション2(14:00-15:40)
 マイケル・コルクマン&マイケル・ヴォーガン(英ウォーウィック大学)+合田正
人(明治大学)
セッション3(16:00-17:40)
 スザンヌ・ガーラック(米カリフォルニア大学バークレー校)+守永直幹(宇都宮
 大学)
全体討議(17:40-18:30)


■関連企画(東大グローバルCOE「死生学の展開と組織化との共催)
在日フランス大使館・ベルクソン哲学研究会後援
ワークショップ「生の哲学の彼方 ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』再読」
10月18日(木)東京大学 文学部教員談話室

開会式(10:00-10:30)
セッション1(10:30-12:10)
 岩田文昭(大阪教育大学)+杉村靖彦(京都大学)
 [レスポンス]フレデリック・ヴォルムス(リール第三大学)
セッション2(14:00-15:00)
瀧一郎(大阪教育大学)
 [レスポンス]アルノー・フランソワ(リール第三大学)
セッション3(15:20-17:00)
 鶴岡賀雄(東京大学)+中村弓子(お茶の水大学)
 [レスポンス]ジャン=クリストフ・ゴダール(ポワチエ大学)
全体討議(17:00-18:00)

Thursday, June 28, 2007

すしボールの憂鬱(それにもめげず)

何度でも繰り返し言わねばならないのは、それだけ病根が深いからでもある。

フッサール業界のある若手の人が「世界(ドイツ)に出ていく必要を感じない。ついて学びたい人も特にいない」と言っていた。こういう趣旨の発言は、ベルクソン業界でも、ついこの間まで聞かれた。

[以下に読まれることの中で、問題とされている「フッサール業界のある若手の人」に関する記述は、私が6月27日時点で下していた拙速な判断に基づいて書かれており、したがって事実認識の部分に誤りがあると判明した。必ず本項目コメント欄における氏の反論と、6月30日付の私の「謝罪」を併せ読んでいただきたい。重ねて氏にはお詫び申し上げる次第です。]

しかし、重要なのは、その人が世界のフッサール研究をいかに認識しているかではなく、その人を世界のフッサール研究がいかに認識しているか、なのだ[氏はすでに英語で発表され、英語論文も用意されているとのことである。]

いかに正確な世界のフッサール研究の見取り図を自分の頭の中に描くか、が問題なのではなく(それはそれでまずは素晴らしいことだが)、世界のフッサール研究がその人のことを知らなければ(評価していなければ)、そういう認識・発言はあまり意味を持たないということをもっと痛切に認識したほうがいいのではないか。[繰り返すが、氏はすでに英語で発表され、英語論文も用意されているとのことである。]

そういう評論家的態度は、これまでの日本の西洋哲学研究に相当程度染みついている(例外も、特にドイツ哲学研究には、多いけれど)。《世界水準は知っているがどうせ大したことはない》ので、《マーケットもどうでもいい》、ただ真理を追究できれば、と。そして、その「真理の探究」はもっぱら日本語で行われる。

だが、世界に向けて書くという姿勢が、哲学には根源的に要請されているのではないのか?そういった基本的な哲学的問いを自らに厳しく問いただすという姿勢が日本の平均的な哲学科大学院生には欠如しているように思われる。自分の語学能力の不足などという学問以前的な理由でその問いを回避し続ける。そのくせ、批評家的態度は保持する。自分に甘く、他人に厳しい。

世界ではまだまだ日本人の思想研究は知られていない。知られても最初のうちは、「色もの扱い」とは言わないまでも、好奇の目に晒されることは確実である。それほど、海外での日本人に対する愚かな(そう、愚かとしか言いようのない)先入観というのは抜きがたいものなのだ。海外で研究するということは、そういう偏見をはねのけながら戦うということも意味している。

一人や二人活躍したって全く不十分なので、野茂やイチローがあれだけ長期間、並みの大リーガー以上の活躍をし続けても、少し別のところで新たに活躍する選手が出てくれば、そいつは依然として「スシ」なのだ。

私がしばしば取り上げるスポーツの譬えがよく分からないという人に日本で研究している人が多く、いちいちよく分かるという人に海外で研究している人が多いというのは、示唆的である。日本で研究している人は、自分がどのような制度にどれほど守られて(規定されて)生きているのか、おそらくあまり意識したことがないのではないか。


米紙が桑田を特集 カーブは「すしボール」
2007年6月27日 (水) 9:51 共同通信社

 米大リーグ、パイレーツの地元紙、ピッツバーグ・ポスト・ガゼット(電子版)が26日付のスポーツ面のトップで桑田真澄投手の活躍を取り上げた。

 記事では、桑田のカーブを「SUSHI-BALL(すしボール)」と命名。のり巻きの具としてボールが挟まっているイラストも掲載された。のりに巻かれ、中身が分からないすしのように、打者に対して予測が不可能なカーブを投げると説明している。

 桑田のボールを一番多く受けているブルペン捕手のアンドラデさんは「ボールの動きはすごいよ」と驚き、同僚のラローシュ内野手も「僕にはチェンジアップのように見える」と話した。

 これまで6試合に登板し6奪三振。日米通算2000奪三振にもあと「14」と迫っている。中継ぎとして良い結果を残している桑田の存在感は地元でも高まっているようだ。(マイアミ共同)

Tuesday, June 26, 2007

Il naquit, travailla et mourut. 宇井純のために

23日土曜日は、午前中「実存思想協会」の発表を聴きに行き、午後「フランス哲学研究セミナー」に出席した。

そういうわけで、出られなかったのだが、東大安田講堂で、昨年十一月に亡くなられた環境学者の宇井純さんを偲ぶ催しが行われた。以下は、「日本環境会議」のHPから一部抜粋。

≪宇井純さんは、公害と環境の研究と運動において、常に「気になる人」だった。宇井さんの言葉と仕事は、ポジティブに、また人によってはネガティブにも、強いインパクトがあった。宇井さんはよく歩き、多くの人と語り、そして仕事をした。昨年11月に宇井さんは亡くなったが、彼のインパクトは多くの人たちの中に生きている。

「公害に第三者はいない」という科学の客観性と公平性に関わる問題提起、「分からなくなったら現場に出ろ」という現場主義、「矛盾している情報を掘り下げてゆくとそこに真実がある」という論理的思考と実証的データの重視、「複数の研究分野をもて」という学際的研究の実践、「どんな立場にいてもやることはある」という連帯への指向など、宇井さんの遺した言葉を、私たちは自分なりに咀嚼し、あるいは批判して、今後に活かす必要がある。そこで私たちは、学問や大学に対する批判も含めて、宇井さんの言葉と仕事が自分にとってどんな意味を持つのかを、宇井さんを直接知らない若い世代とともに考えるための場を企画した。≫

よく歩き、多くの人と語り、そして仕事をする。歩くといっても営業ではないし、語るといっても自己顕示ではないし、仕事といっても業績づくりではない。理念をもった現実主義者。

Friday, June 22, 2007

無様なautomatisme

これも何度も言っているのだが、日本の新聞のスポーツ欄、スポーツ新聞の記事は一般的に――例外もあることは言うまでもないし、これまでにも積極的に取り上げてきた――きわめてレベルが低い。勝った負けたと一喜一憂し、次のスターを仕立て上げることに血眼、まさに「朝三暮四」を地で行っている感がある。

フリーランスで書いている人のもののほうがはるかに世界を知っていて視野が広く、長期的な展望に立ち、技術論にも精通している(スポーツナビのコラム)。そんな高いレベルの話ではないが、一例だけ挙げよう。今回、相手チームの質・モチベーションに言及した記事が一般紙にどれくらいあっただろうか?毎回素晴しい記事を書いておられる宇都宮徹壱さんの記事はこんな感じである。

 昨今、日本で行われる親善試合(キリンカップを含めて)では、あまりにもモチベーションの低い、それこそ「試合後の秋葉原」が楽しみで仕方がないような、およそ「代表」とは名ばかりのチームも決して珍しくない。そんな中、このモンテネグロ代表は、久々に出会った、実にすがすがしく健全な(言葉は変だが)正真正銘の「代表」であった。

[…] ファイナルスコア「2-0」は、順当な結果だったと思う。かつてはサビチェビッチ、ミヤトビッチといったジェニオ(天才)を輩出してきたモンテネグロだが、少なくとも現時点では、モチベーションばかりが先行する新生国家でしかなかった。(宇都宮徹壱、「当てが外れたモンテネグロ戦」)

試合を客観的に「報道」するに際して、日本代表の他の試合、他の対戦チームと比較し、あるいはそのチームの過去のパフォーマンスと比較するのは「イロハ」である。それがなされない。あらゆる点で事前の勉強が不足している。だから、オシムは「どこまで貪欲に上を目指すのか」だの、高原は「さすがエース」だの、いかに感情的な「色」を付けるかに腐心することになる。

特に即座にやめてもらいたいのが次の三つ。
・精神論:「気合いで勝つ」「意地でも」「なんとしても乗り越える」
・スター主義:「神」「神様」「聖地に降臨」
・非合理的な断定:「~が~すれば~という不敗神話は継続中」

こういう無様なautomatismeを読んでいると、彼らは結局、他に書くことがなくて仕方なくマスを埋めているのだということが分かってくる。なぜなら広い視野も、長期的な展望も、解説するのに必要な技術論も持ち合わせていないからだ。

一般読者のレベルに合わせている?読者の知性を馬鹿にしている。こんなものを数十年読まされ続ければ、誰だってスポーツの鑑賞眼が落ちる。

ところが、mutatis mutandis、案外、こういったautomatismeは、私たちの業界とも無関係ではないのだ。

オシムの言葉(6.1会見抜粋)

■悪かった点を話す方が将来のためになる

勝った試合ではあるが、良かったことより悪かったことについて言葉を費やすことが明日のためになると思う。例えばパスミス、スキルの低さ、パスのタイミングが悪いこと、手間を掛けすぎること、ボールが私物であるかのように長い間キープしようとすること、などなど……。それらを直さないと、もっと良いチームにはならない。「今日は勝った、おめでとう」というのはお世辞にしか聞こえない。

■スター選手だけでは、サッカーは前進しない

――個人プレーということだが、個人でドリブルで勝負するときは、そうすべきだと思うか?

 そうしてもいいのだが、タイミング、時間帯、そして目的がよくなかったのだ。タイミングが選手のプライベートな要因で決められたことがあった。チームとして前進している時間帯に、チームのためでなく個人のためにボールを使う。例えばシュートして得点する、あるいはナイスパスを出す、あるいは競技場の大画面に自分がアップで映りたいとか、あるいは試合後に自分のユニホームを振り回しながら競技場を一周するとか――。それもサッカーの一部ではあるのだが、そういうことはチームのためにならないと選手には伝えてきた。日本はスター選手、個人で目立つ選手が人気を集める国だ。しかし、それではサッカーは前進しない。

■水野の才能が、潜在的な才能で終わってはいけない

――水野を入れたときに、相当長い指示をしていた。どういう指示をしたのか

私は水野だけでなく、交代選手にはかなり細かい指示を与えている。思うに、日本代表のフルメンバーとしては、まだ彼は子供だ。才能には恵まれているし、アイデアも溢れるほどある。ただし、そのアイデアに自分がとらわれてしまう。例えば、ここに牛がいるとしよう。ミルクが100リットル必要だ。そこで乳搾りをすればいいのに、牛にボールをぶつけてしまう。つまり、そんなことをしてもミルクが得られるわけがない。牛を見つける仕事までして、そこで成果を台無しにしてしまう。

彼には、効果的なプレーをしろと言いたい。サッカーのプレーをしているというよりも、ボール遊びが好きな選手だから。そういう選手がプロとして、職業としてサッカーをしている選手と混じって出場するわけだ。何に気をつけるべきか、指示したことについては、これ以上話すことはないだろう。彼の才能を、チームのために使わないのはもったいない。それくらいの才能を持っている。ただしその才能が、潜在的な才能で終わってはいけないと思う。

***

これは私たちの業界では何を意味しうるのだろうか。それを探すことが、私の言う「研究外在的な努力」の一つである。

≪欧州での経験が生きた。1メートル90前後のDFを常に相手にするドイツでプレーする中で、大型選手をいかに攻略するかで頭を悩ませた。そして得た答えが「縦への対応ではかなわないが、横の揺さぶりには弱い」だった。モンテネグロの先発DFラインの平均身長は1メートル85・5センチ。得点シーンは一度、相手DFの死角に入り、ファーからニアに流れる“横の動き”でマークを外したものだった。今季はリーグ30試合で11得点を記録し、欧州での日本人シーズン最多得点記録を樹立。ファン選定のチームMVPに選ばれた実力を発揮した。≫(『スポニチ』6月2日付記事より)

Tuesday, June 19, 2007

石板と踏切板(レヴィナスとベルクソン)

≪自由が現実に食い入ることが可能であるとすれば、それは制度によってだけである。自由は、さまざまな法が書き記された石板に刻み込まれる。自由が現実に存在するのは、制度的存在にはめこまれることによってなのである。自由は書かれたテクストに由来する。

テクストはたしかに破壊されうる。だがテクストは、他方では持続しうるのであって、そこで人間のための自由が人間の外で維持される。暴力と死とに曝された人間の自由が、ベルクソン的な飛躍によって一挙にその目標に到達することはない。人間的自由は、自分自身を裏切って諸制度のうちに逃げ込む。

歴史は一個の終末論ではない。道具をつくる動物が自らの動物的条件から解放されるのは、その飛躍が中断され、断ち切られるかに見える地点においてである。つまり、蹂躙されることのない意志として自ら目標に向かう代わりに、道具を製作し、自分の将来の行動の可能性を受け渡し、受け取ることができるもののうちで固定する場合なのである。

このようにして、政治的・技術的な現実存在によって、意志にその真理が保証される。≫(レヴィナス、『全体性と無限』



≪生命の跳躍は、生命に背く構造に到達する。自由は自由自体が見る影もなく変わり果てるある決定的な選択に到達する。なんと人を食った矛盾であることか。生命は自分自身を余すところなく実現するために知性に頼るのに、知性は生命の期待を裏切るのである。

私たちが「器官-障害の弁証法 dialectique de l'organe-obstacle」と呼んでいたものは、すでに受肉の必要性をしっかりと打ちたてている。物質が足かせであるばかりではなく、生命の不可欠な協力者でもあるということを理解する機会は繰り返し私たちに与えられている。

物質は、生命がそれに対抗して自分を主張しなければならない抵抗を毎瞬間表しているばかりではなく、その起源からして、次第に枝分かれしていく進化の道の上に生命的飛躍を自らたわむことによって放り出した踏み切り台でもある。これは、飛躍ないし飛翔のイメージそのものが表現していることである。

おそらくは、たとえ物質が存在しなくともなお生命は存在するであろうが、生命的飛躍は存在しないであろう。物質が存在しなければ、本来の意味での進化は、自由の価値的優越性を増大させるという自らの存在理由を失うことになろう。≫(ジャンケレヴィッチ、『アンリ・ベルクソン』

Thursday, June 14, 2007

デジャヴ

別に何王子の話でも構わない。似たことはどの業界でも起こっているのかもしれない。世界を知らずに、日本でしか通用しない言動を繰り返す。その場限りの空虚な「フィーバー」をつくりだそうと躍起になって。

長期的な展望に立った、実のある、持続的な業界の活性化には、そのような喧噪とうまく距離をとることが求められる。

雑誌の特集になると決定することが重要なのではない。どれくらい良質の特集にできるかが重要なのだ。しかし、今の私にはそこまでの実力はない。せいぜい自分の寄与が少しでも見苦しくないものになるよう努力するくらいのことしかできない。


ウッズに「ハニカミ王子知ってる?」

 男子ゴルフの全米オープン選手権を前にした記者会見が12日、米ペンシルベニア州オークモントCCで開かれたが、日本のテレビ局がタイガー・ウッズ、フィル・ミケルソン(ともに米国)に対し、「ハニカミ王子」こと石川遼(東京・杉並学院高)について質問。メジャー大会には全く場違いな問いに、世界中から集まった報道陣のひんしゅくを買った。 ウッズには「彼について知っているか」と聞き、ミケルソンに対しては「石川君にメッセージを」などと発言。大勢の記者であふれ返った会見場のあちこちで失笑が漏れ、質問者には冷たい視線が集まった。 (共同) [ 2007年06月13日 09:27 速報記事 ]


遼クン盗聴工作TBS不誠実に主催者激怒
日刊スポーツ - 2007/6/7 9:51

4番ホール第2打の前にはしゃがみ込み元気のない表情(撮影・小沢裕)

 TBSの不誠実な対応に、アマゴルファーとゴルフ団体が6日、怒りをあらわにした。同局の情報番組「ピンポン!」が、15歳ゴルファー石川遼のラウンド中の盗聴を試みようとした問題などで、同局は非を認めながらも井上弘社長(67)はギャグを交えて謝罪。4、5日と関東アマチュアゴルフ選手権で石川と同組で、TBSの非常識な依頼を断った広田文雄氏(43)に対しては、その名誉を棄損しかねない行為を働いていた。同大会を主催する関東ゴルフ連盟(KGA)は、同局に対する法的手段の検討を始めた。 TBSは表面的に謝罪しながらも、その内容はあいまいなものだった。

 午前8時ごろ、「ピンポン!」を管理する制作局情報センター情報一部長の藤原康延氏と番組チーフディレクターが、関東アマ開催会場の千葉CC梅郷Cを訪れた。同30分からKGA加藤重正事務局長らと話し合った。加藤氏によると、2人は広田氏を通じて石川の盗聴を仕掛けようとした行為については謝罪した。だが、番組ディレクターが広田氏に対して謝礼提供を口にしたことには「本人は『言っていない』と言っている。確認できていない」と主張した。

 ほぼ同時刻、番組プロデューサーは、長野県須坂市在住の広田氏の自宅に電話をかけていた。 広田氏 午前8時30分ごろに、プロデューサーと電話で話しました。最初に謝罪の言葉はありましたが、『本当にディレクターはそんなことを言ったんですか』という感じで、とても誠意ある対応とは思えませんでした。このままでは私がウソを言っていることになる。

 夜になって、広田氏は同プロデューサーからアポなしの訪問を受けた。約1時間話し合ったが「ディレクター本人の記憶があいまいで、事実関係を調査中です」と繰り返されたという。謝礼提供の件など広田氏の指摘を、潔く認める姿勢は感じられず、怒りは静まるはずはなかった。

 午後3時からの定例社長会見では、井上社長はこの問題についての感想を「まあ、一言で言えば、ばっかじゃないのかです。まあ大沢親分風でいえば、喝どころじゃない。喝、喝、喝、喝。それ以前のことですな。非常に腹立たしく、不愉快です」。石川に対しては「そりゃもう、ご迷惑を掛けたの一言です」と笑いながら話した。

 一方でTBSは、番組ディレクターが広田氏以外の同伴競技者2人にも接触を図ろうとしていたことを明かした。しかし、謝礼と石川への質問を用意したことは「今後調査します」と認めなかった。また、同局はゴルフ取材としては前代未聞のヘリコプターによるコース上空の取材を敢行し、石川ら選手に騒音被害をもたらした。その映像を使用した報道番組「イブニング5」は、この日夜までにKGA側に何の謝罪もしなかったという。

 これら一連の対応にKGAの加藤重正事務局長は激怒した。「正直、このままでは広田さんの名誉が棄損される」と、騒動に巻き込まれたアマゴルファーを心配した。そして「ヘリコプターの件も、TBSがこちらに許可を得たことは断じてない。8日の広報委員会であらためて抗議文を書きますが、場合によっては、はっきりするためにTBSに法的手段を取ることもある」と強い口調で話した。


福澤キャスター半泣き!遼ちゃんに謝罪…TBS「ピンポン!」盗聴未遂
スポーツ報知 - 2007/6/7 8:00

 男子プロゴルフで15歳8か月の史上最年少優勝を果たした石川遼選手が出場する関東アマチュアゴルフ選手権で、TBSの情報番組「ピンポン!」が、石川選手の同伴競技者に小型マイクの装着を依頼していたことが6日、明らかになった。同伴者に断られラウンド中の遼ちゃんの「生声」が放送されることはなかったが「非常識な取材」として、この日の番組で司会の福澤朗キャスター(43)が目に涙をためながら謝罪した。写真はコチラ

 いつもはハイテンションの福澤キャスターの目が、みるみるうちに赤くなった。「石川遼選手、同伴者の広田(文雄)選手、あまたいる関係者の皆様、心から、心からおわび申し上げます」。番組による競技そのものをないがしろにした“盗聴未遂”騒動。冒頭から神妙な顔つきで登場し、声を詰まらせながら謝罪した。

 「明らかにルールを逸脱しています。あまりにも非常識。当番組の暴挙」と全面的に非を認める。各メディアがこぞって取り上げる“ハニカミ・フィーバー”。盗聴未遂が発覚する前日の5日の同番組でも、冒頭から遼ちゃんの活躍を大々的に取り上げ、同時にファンのマナーの悪さも声高に指摘していた。

 「あれほどゴルフ場にいらっしゃるキャディーの皆様のマナーを訴えておきながら、このざまです。恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ありません。一番信頼していた友人に裏切られた気持ち」と福澤キャスターも立つ瀬がない。「ギャラリー」を「キャディー」と間違えてしまうほどのろうばいぶりだった。

 この日、定例会見を行ったTBSの井上弘社長(67)も「一言でいえば、バカじゃないか。なんでそんなバカなこと考えるのか。大沢親分の『喝(かつ)』なら『喝、喝、喝、喝』ぐらい。腹立たしいし、不愉快です」と激怒。「石川選手には、ご迷惑をおかけしたの一言。足を引っ張っちゃって申し訳ない」と平謝りだった。

 福澤キャスターは「総合司会者は総合責任者。番組としての責任、今後の身の振りようを考えております」と沈痛な表情。最後は「石川遼君は日本ゴルフ界の宝です。皆さんで守らなければいけません。重ね重ね申し訳ありません」としめくくった。

 番組降板を示唆したかのような福澤キャスターの発言についてTBS側は「スタッフへの叱咤(しった)激励ととらえている」と進退や番組の存続については言及しなかったが、度重なるTBSの番組での騒動に、批判の声が上がるのは避けられないところだ。

Saturday, June 02, 2007

近況

今日ようやく『ベルクソン年鑑』第三巻が手元に届いた。カッシーラーの翻訳はすでに三年も前に始めたものだし、序論自体も二年前に書き終わったもので、なんだか遠い過去の出来事のような気さえする。一時期はカッシーラーばかり読んでいたっけ。その後刊行された本がà paraîtreのままになっていたり、時間さえあればもう少し手を入れたい表現も幾つかあるが、まあ出てしまったものは仕方がない。ああ、なんか疲れた。。

今年のpublication(掲載決定済みのもののみ)としては、

1)ベルクソンの人格性概念についての論文(3月既刊)

2)檄文的(笑)エッセイ(5月既刊)

3)上記のカッシーラー翻訳および序論(5月既刊)

4)論文「ベルクソンと目的論の問題」(ロングバージョン、仏語)、トゥールーズでの発表、サイト上で見られます。(5月既刊)

5)同内容の論文(ショートバージョン、日本語)、日仏哲学会誌次号(夏?)。

6)論文「唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム)」(ショートバージョン、日本語)、仏文学会誌次号(夏?)。

7)論文「ベルクソンの手」(英語バージョン)、米の思想雑誌SubStance(冬?)。


今年の発表を含むアカデミックな活動としては、

1)トゥールーズでの日欧シンポジウムの主催、およびそこでの発表。

2)仏文学会での発表(5月20日)は、ハプニングというかサプライズもあったが(来てた人には分かる(笑))、いつもどおり。内容的にも自分の力の平均くらいは出せたのではないかと思う。

3)『創造的進化』百周年日本篇の主催、およびそこでの発表。

4)百周年コレージュ・ド・フランス篇での発表。

5)ハクロン…。

最近の地道な活動。

1)二三日中に『物質と記憶』についてこれまで書いてきたものをまとめ上げる中心的な考えをひとまず完成させたい(ハクロン第2部)。というわけで、ここしばらく関連文献を読み漁っている。いろいろと関連づけはできつつあると思うのだが、なかなか最後のピースがはまらない。

2)その後、6月20日締め切りの紀要論文執筆。三部構成の第二部。前回は「声の射程。呼びかけと人格性」だったが、今回は「火の領分。情動と共同体」。7月上旬にとあるゼミで発表させてもらう予定。

3)ゴーシェの翻訳。というわけで、申し訳ないけれど、今はあまり力を割くことはできそうにありません。

Wednesday, May 30, 2007

恥知らずの天国(池田浩士を讃えて)

私は一度もお会いしたことはないのだが、池田浩士さんに対しては何となく親近感と尊敬の念を抱いている。フランス思想に野沢協先生ありとすれば、ドイツ思想に池田先生あり、という感じである。

池田先生の書かれている文章の若々しさには、故・野村修氏に通じるk大教養ドイツ系の最良の雰囲気(と私には思われるもの)がある。学生と真摯に、できるかぎり対等に向き合おうとするその姿勢。

「京都大学は日本でいちばん汚い大学である。なかでも群を抜いて汚いのが総合人間学部のキャンパスで、これは世界一の汚さを誇っている」という一文で始まる、彼の「恥知らずの天国」という一文を見つけた(『総合人間学部広報』No.33, 2003年2月)。

彼はこの汚さを排除すべきものとも(昨今の大学行政の推進する清潔ファシズム)、賛美すべきもの(単なる懐古趣味の大正教養主義的反動)とも考えない。

「このキャンパスが汚いのは、そこが生きているからだ。汗や糞やニキビや抜け毛や爪の垢やカサブタやフケや絶えざるナマ傷などが、すべて生命の証しであるように、立看板やビラや貼紙や落書や騒音や鍵の破壊は、この世界一のキャンパスが生きている証左である。」

だが、汚さを汚さと自覚し、一抹の恥や慎ましさ、良心の呵責を覚えることが急速になくなりつつある。それは、幼児化した学生社会が、ますます恥知らずになりつつある日本社会――慌ててホリエモンをバッシングし、「ナントカ」還元水を批判し、農相の自殺に驚いてみせたところで、自分たちの「会社=市場経済=資本主義」至上主義を覆い隠せるはずもない――の縮小再生産に他ならないからである。

≪廊下でビラ貼りをしている数人の人物に、「せめてそんなに糊を付けないで貼ってほしい」という感想を述べたところ、「ビラ剥がしをする小母さんたちに仕事を作ってやってるんだ!」という答えが返ってきたのだそうだ。

[…]カール・マルクスは、すべてを商品と化すことによって存立する資本主義の社会がいかに人間を恥知らずにするかを、くりかえし指摘した。ここでいう恥とは、いわゆる世間体を気にする感覚のことではない。人間が自省と自己批判を失うこと、対自的な視線を喪失し、したがって対他的な視線のリアリティを獲得しえないこと、それをマルクスは恥の意識の欠落として批判したのである。

恥知らずというものをマルクスが、すべてを商品と化してしまう社会構造との関連でとらえたことに、注目せざるをえない。商品は、それが自分に買えるものであるかぎり、自分の所有物であり、自分はそれの主人である。

だから、高い授業料を自分の親が支払っており、その親は将来できるだけ高く売るべき商品として自分に投資しているのである以上、商品たる自分も、自分の予定価格にふさわしいアルバイトの収入なり親からの送金なりで、たとえばビラを作るための紙を、どれだけ買い込もうが、どれだけ使おうが、自分の勝手なのだ。自転車整頓の老人たちも清掃の女性たちも、自分が払った授業料で大学が雇ってやっているのだ。

こうして、近ごろは、汚いキャンパスに新種のカサブタがごく普通のものとなった。同一サークルのまったく同一のビラが、同じ壁面のすべてを埋め尽くして、ズラーッと張り巡らされるのである。もちろん、別のビラが貼られる余地はまったくなくなる。エコロジストなら、地球資源をどうしてくれるのだ、と言うところだろう。

[…]わたしのこのたった一枚の表現こそが人びとの心をとらえるのだ、という誇りなど、この恥知らずな大量商品には、カケラもない。あるのは、ビラを見るものの感性にたいする限りない侮蔑であり、紙を大量に買ってやらなければ熱帯雨林だけしか売るものがない某国の人間は生きられないだろう、という恥知らずな驕りでしかない。

世界一汚いキャンパスは、死んではならない。だからこそ、生きかたを考えなければならない。≫

こんな文章を書ける人間がどんどん死滅しつつある。「軽妙」で「洒脱」なエッセイを売れ筋のジャーナリズムに書きまくること、あるいは学内のことにできるかぎり我関せずを決め込んでアカデミックな業績づくりに邁進することが「大人」の学者のスタイルなのだろう。それを悪いとは言わない。私だってそうするかもしれない。ただ、私はこんな痛快な文章を書ける人を敬慕し続ける。

Tuesday, May 29, 2007

製作の地政学

監督するのも大変だけど、製作するのも大事な仕事。ソクーロフの『太陽』の製作には日本の会社が一つも入っていなかった(はず)。製作の地政学というものがあり、その中で戦っているのだ。

我々の業界も同じ。外国人思想家・研究者を招いたシンポジウムや講演会を聴くとき、中身もさることながら、どんな風に「製作」されてるのかといったことにも注目する必要があるのかもしれない。

≪河瀬監督は「これまでカンヌで育てられて、フランスから世界配給してもらっていたから、最初から一緒にフランスと手を組んで映画を作ってみたかった。それで昨年、脚本を持って直談判。そこから、フランスで半分、私が日本で半分資金集めをする、という具合に話が進みました」と、製作の苦労を語ってくれたわ。多々超えてきた苦労が実を結んで、今夜の公式上映。感無量よね~。≫(Masamichi Yoshihiro, 【カンヌ映画祭レポートvol.37】『殯の森』河瀬監督の記者会見で感無量)

ちなみに、「制作」と「製作」の違いについて。演劇畑アニメ畑から一例ずつ。

Saturday, May 26, 2007

がんばる地方の国立大…しかし基準は金しかないのか

経済の論理に対抗するのに経済の論理をもってせねばならない時代風潮。


<地方国立大>経済効果は400億~700億円 文科省調査
5月24日8時56分配信 毎日新聞

 地方国立大学が地元に及ぼす経済効果は400億~700億円に上ることが文部科学省の調査で分かった。プロ野球・楽天イーグルス(97億円)よりも4~7倍の波及効果があり、同省は「地方国立大は、教育だけでなく、経済的にも地域に貢献している」と指摘している。

 調査は今年3月、地方国立大の役割を経済的な観点から実証するため、財団法人・日本経済研究所に委託して初めて実施した。

 当該県への経済効果は
▽山口大667億円(雇用創出数9007人)
▽群馬大597億円(同9114人)
▽三重大428億円(同6895人)
▽弘前大406億円(同6774人)。

鹿児島県での九州新幹線の部分開業(166億円)や九州地方のJ1チーム(24億円)よりも経済効果があるとしている。

 国立大をめぐっては、収入の約45%を占める運営費交付金の配分ルール見直しが検討され、研究実績に基づき配分した場合、全国87大学のうち74大学で交付金が減少するという財務省試算がある。文科省や国立大は地方国立大の統廃合につながると危機感を募らせており、経済効果をアピールしたとみられる。【高山純二】

がんばる地方の国立大 経済効果670億円 楽天の7倍にも
5月25日8時0分配信 産経新聞

 山口大や弘前大など地方の中堅国立大学が地元経済に与える経済効果は年間400億~700億円に上ることが、文部科学省の試算で分かった。プロ野球楽天イーグルスがもたらす経済効果をはるかにしのぐ数字といい、文科省は「国立大が地方経済に及ぼす影響は極めて大きい」と強調。交付金配分方法の見直しを進める財務省の方針に反発している。

 試算は、生産誘発や雇用創出などについて地方の国立大が地元の県経済に及ぼす影響を検証するもので、文科省が日本経済研究所に委託し、学生数が7000~1万人の弘前大(青森)、群馬大、三重大、山口大の4大学について分析した。

 山口大の県経済への経済効果は年間で総額667億円。内訳は学生らの地元スーパー利用など商業分野が115億円、賃貸アパート契約など不動産分野が90億円など。群馬大は597億円、三重大は428億円、弘前大も406億円の経済効果があった。

 文科省によれば、こうした経済効果は「楽天イーグルスが宮城県に及ぼす97億円の4~7倍、サッカーJ1大分トリニータが大分県に及ぼす24億円の17~28倍に達する計算」という。

Friday, May 25, 2007

信頼関係と完ぺき主義

海外の研究者と「交流」という名の表層的で儀式的、結局のところ非生産的なつきあいをしたくなければ、どうすればいいのか。「信頼関係構築に必要なのは?」(奥田秀樹、「野茂とは違う松坂の目指す道」、2007年5月21日)

≪バリテック自身は、捕手としての豊富な経験から、信頼関係は一朝一夕ではできないと分かっていて、キャンプ終了時点でこう言っていた。「大輔との信頼関係はできたのか?」 と質問したのだが、

「信頼関係は意味のある試合(公式戦)で初めてつくられるもの。キャンプの期間は一緒にいる時間が長いから、互いのことを知り合うチャンスだし、投手について学ぶ貴重な機会だ。でも、キャンプで信頼関係を構築することはできない」

 関係構築のプロセスについてはこう説明した。 「大切なのはAGREE TO DISAGREE(互いに意見が違うことを認め合うこと)なんだ。重要な試合で、どうやって打ち取るかで意見が食い違ったとき、互いの考えを説明し合うことで、より相手を理解できる」

 その上で、メジャーではバッテリーの主導権を握るのは投手だという。 「投手と捕手は違う角度から野球を見ている。意見が食い違うのは当然。私の役割は投手が打者を打ち取る手助けをすること。最終的に何を投げるか決めるのは投手なんだ」≫

「公式戦」とは何に当たるのか、なぜ私は執拗に英・独・仏語でpublicationすることを薦めるのか。

レセプションなどで有名な学者の周りでとにかく気の利いたことを喋ろうとする人がいる。有名人のHPやブログやら何やらに気の利いたことを書き込もうとする人がいる。感激にのぼせてしまった若手ならまだしも。そういったものは「オープン戦」「練習試合」ですらない。キャンプで信頼関係を構築することは出来ない。ましてや、見ず知らずのプロとうまいキャッチボール(会話とは言葉のキャッチボール)をしたからといって、何がどうなるというものでもない。

逆に、いたずらに有名人に噛み付く人がいる。自分の信じるところを述べるのはもちろん構わない。けれど、噛み付くために「信じるところ」を急造・乱造してしまう本末転倒の人も見かける。大切なのは、「重要な試合」で「勝負」に勝つことだ。この場合、勝敗が論戦相手に議論で「勝つ」ことを意味しないのは明らかである。勝つというのは、論戦相手と「AGREE TO DISAGREE」しつつ、議論の本質において共に前進することにほかならない。



完璧主義とは、完璧なものが書けるようになるまで発表をしないということではない。その都度、自分の置かれた状況の中で、前回よりもさらに高いパフォーマンスを発揮できるように絶えず工夫する姿勢のことを言うのである。教授や助教授になっても、同じことである。

≪松坂大輔が突如制球を乱し3連続四球などで自滅を繰り返していたとき、レッドソックスの監督、コーチ、捕手などは、「大輔は完ぺき主義過ぎるところがある、ボールに力があるんだから、自信を持ってストライクゾーンに投げ込めばいい」 と言っていた。正直、筆者もそう感じた。

 松坂はちょっと困ったように「別に自分のボールに自信を持てなくなっているわけではないんですけど」と話したものだった。

 そんな中で一人だけ違うことを言う人がいた、エースのカート・シリングである。完ぺき主義者であることがピッチングの妨げになっていないかと尋ねると、こう言い切ったのだ。

「徹底的に完ぺきを求めていくことで、偉大な選手と、普通の選手の違いが出てくる。偉大な選手は完ぺきにできないことにいら立つが、そういう考え方だからこそ、偉大な選手になれる。(松坂は)きょうは悔しくて眠れないだろうけど、次の登板にきっちり合わせてくると思う」≫

Thursday, May 24, 2007

脱構築とは制度の脱構築である

脱構築とは常にすでに制度の脱構築である、と以前述べた。デリダが以下の言葉を一言も語っていなかったとしても、やはり脱構築の本質は、枠組みの、パレルゴンの、限界=極限の脱構築にあるわけだが、ディディモと呼ばれるトマスは世に多くいるので。。

≪そのモデルも、概念も、問題も、空から降ってきたわけではなく、それらは、諸々の様態に従って、ある限定された瞬間に形成されたものである。

哲学の教授資格試験でさえも、一つの歴史と体系を形成している。

幾つかの特定的な中継地点、例えば、フランスにおけるいわゆる哲学教育の中継点、哲学のプログラムの、哲学の試験やコンクールの形態の、哲学の舞台や哲学のレトリックの制度の中における中継点を考慮に入れる必要がある。

ヴィクトル・クザンは、フランスにおける大学と、その哲学に関する制度、そして今も我々がその住人となっている教育の全構築物の構築にあたり、決定的な役割を果たし、少なくともそれを代表する人物となった。私は、ここでは諸々の導きの糸の一本としての固有名詞(クザン)によって、一つの脱構築の必然性を命名するにとどめる。

その脱構築の論理の帰結に従えば、それは、哲学素の、意味論的であると同時に形式的な、内在的構築のみならず、哲学に対し誤ってその外的な住居として割り当てられるであろうもの、哲学の訓練の外在的な諸条件をも攻撃するのである。つまり、哲学の教育の歴史的形態、この教育制度の社会的、経済的、あるいは政治的構造をもである。

脱構築が一つの分析や一個の「批判」と常に区別されるのは、それが言説やシニフィアン表象だけでなく、堅固な構築物、「物質的」な制度に関わるからである。そして、関与的であるために、それは、哲学的なるもののいわゆる「内的」な配列が、教育の制度的形態と条件と、(内的にして、しかも外的な)必然性によって、連接するその場所において、可能な限り厳密な仕方で、作用するのである。

制度の概念そのものが、同じ脱構築的な処理を蒙るところまで。≫(デリダ、『絵画における真理』)

Tuesday, May 15, 2007

熱視線

たぶん日本代表のサッカーを少しでも見ている人なら賛成してくれると思うのだが、監督がジーコからオシムにかわって最大の違いは、いわゆる「国内組」への熱視線だろう。

ジーコは国内組がいくら健闘しようが、海外組の調子が悪かろうが、後者に全幅の信頼を置き、その序列を頑として変えなかった。オシムは、積極的に国内視察を行ない、就任一年目の去年から今年にかけて、長らく一度も海外組を召集せず、国内組のみで代表戦を戦った(今は混合)。

これで、Jリーグ内での代表選抜への競争意識が活性化したことは疑い得ない。頑張れば自分にもチャンスが回ってくるかもしれない。名前ではなくプレーを見ているという基準が明確化すれば、選手の目の色も変わってくる。

研究者も同じである。頑張っている若手にチャンスを与えるとは、「鍛えてやる」というだけではなく、生き残りのために業績作りのチャンスを与えるということである。大学の紀要に書かせるという以上のチャンスを、である。それを見つけてくるのもまた、一定以上の年齢の研究者の任務なのだろう。

例えば、昨年のブランショ国際コロックは、優秀な若手研究者に、海外の研究者の前での発表の機会を与えていた。いずれ(今年はまだ無理だが)、我々の領域でもこういった機会を少しずつ増やしていければと思う。

ただ、「フランス語を勉強しろ」とお題目のように唱えても、駄目なのだ。実際に目の前で示して見せないと。海外リーグの試合が日本で見られるようになったこと、海外の選手と対等に渡り合う日本人選手の姿を見ることが、国内で頑張る若手選手の意識にどれほどの顕在的・潜在的な影響を与えたことか。

業績作りはたしかに目的化、「お仕事」化してはいけない。札束で頬をひっぱたくがごとき、悪弊の師弟関係も復活させるべきではない。だが、綺麗ごとで人は動かないというのもまた厳然たる事実だ。魅力あるチャンス・メイキングと連動させてこそ、「鍛錬系」は真に駆動しうるのではないか。

***

<サッカー日本代表>オシム監督、裾野拡大で近藤らに視線毎日新聞 - 2007/5/14 21:56

 サッカー日本代表候補の合宿が14日夜、千葉県習志野市内で始まった。4月に続き、強化目的の3日間の短期キャンプで、最終日には大学生チームとの練習試合も組まれている。オシム監督は裾野拡大をテーマに挙げ、23歳のDF近藤(柏)、左サイドのスペシャリストである村井(磐田)らに注意深い視線を注いだ。

Monday, May 14, 2007

昨日

昨日の第2回「フランス哲学セミナー」では、十年ぶりにdaさんとお会いすることが出来て、懐かしくも嬉しかった。ちょっとからかいすぎたかも。ごめんなさいね。

内容以外に良かった点。なるべく読み上げでなく、話し言葉でまとめるという方針の採用。私も以前述べた「聴診」ということの重要性が強調されたことはよかった。

8月の第4回、ハクロンの中間発表で手を挙げた。かなり逡巡したのだが、やれるだけのことをやって叩かれたほうがいい、と覚悟を決めた。なんとはなしに漂っている期待が幻想であったと判明するなら、それはそれで仕方がない。今の自分の実力を厳しく冷静に見つめ続けること。

私的な理由のほかに、博士課程以上の人、先生方も発表することが望ましい、といった組織上の理由もある。つまり、叩く人、叩かれる人の役割分担をフレキシブルにしておかないと、すぐに学会・研究会的なヒエラルキーが出来上がってしまうおそれがあるので。。



檄文、ちょっと顔をしかめる人もいれば、もっとやれと言ってくれる人もいたり。まあ、バランスに気をつけつつ、でも言うべきことは言う、という今までどおりのスタンスで続けていきたいと思っています。

蓄積疲労に苦しみつつも、来週の学会発表に向けて鋭意努力。

Wednesday, May 09, 2007

反響

このあいだのトゥールーズ篇の反響。きわめて好意的。でも問題点も鋭く指摘してくれてる。そうなんだよね、だから散々フランス側の主催者に言ったんだけど。「日本側が議論に少しでも積極的に参加できるよう、取り計らってくれ」って。何度かは聞いてくれて、フランス人研究者の原稿をコピーしてくれたけれど、そもそも完成原稿を持ってきてない人たちもいたし、こちらも皆多かれ少なかれよそ者としての気兼ねがあったり、長旅で疲れていたりと(トゥールーズは遠かった…)、積極的な攻めは出来なかった。この反省を次回、日本篇では少しでも活かしたい。

Tuesday, May 01, 2007

抵抗の核

近況。

1)MLに檄文的なことを書くのは控えなさい、と少し年上の方にたしなめられる。書き方に気をつけないといけないのは確かなのだが、他方で、不言実行の人と有言実行の人がいるのも事実なので。。私が苛立ち、打破したいと願っている停滞状況自体によって規定されている「抵抗の核」が問題なのであってみれば、私の言動に苛立つ人がいるのはむしろ当然ではないか、という気もするのだが。。

2)日仏哲学会用の論文、およびトゥールーズ篇の発表原稿、それぞれひとまずの完成稿を送る。トゥールーズ篇参加者の論文は随時掲載されているので、興味のある方はどうぞ。

3)あと三週間をきった仏文学会だが、隠喩論文、まだ何も書いていない。一応、骨子は頭にあるので、これを書いていけばいいのだが、早くやらないと。書いているうちにさらにいいアイデアが浮かぶのだが、残念ながら時間切れというのがいつもの悪いパターンなので、改善していかないと。

4)十月・日本篇の準備、着々と進んでいる。海外から9人(10人)、日本から9人のガチンコ対決。お客さんお呼びし、お話を謹聴して「フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキ」(スター扱いで接待)はもういいよ。やりたいのは真剣勝負。

5)十一月にコレージュ・ド・フランス主催で行なわれる『創造的進化』シンポジウムのワークショップCFPが出た。関心のある方は、私まで。

6)ハクロンは??これが私にとって一番の「抵抗の核」なのだ。。

Friday, April 27, 2007

「ものすごく真っ当」な方策

トゥールーズにちなんで、というわけでもないが、興味深い記事。スポーツの例は多くを教えてくれる。

出村謙知(でむら・けんじ)さんの「ラグビーの街トゥールーズから起こった旋風」(4月26日)から一部抜粋。

しかも、トゥールーズFCはボー監督を迎えるにあたって、単にトップチームの指揮官に指名するだけではなく、年齢カテゴリー別に4個あるジュニアチームも含めたトゥールーズFC全体のコーチングスタッフを取り仕切るGMとして契約を結んでいる。

 つまり、ボー監督の立場は単純に現在のトップチームの成績を上げればいいというだけではなく、ジュニア強化を含め、長期的視野に立ってクラブを健全に発展させていく責任も負ってもいるのだ。

まずは選手それぞれの特徴をコーチが受け入れること。こちらから、こういうプレーをしろと押し付けることは指導者の仕事とは対極に位置するものだ。常に各選手の優れている点に着眼しながら、それが集積された時に全体として一番強くなりそうな部分を強調したチーム作りを進める必要がある

 そんなコーチ哲学を持つボー監督が、就任1年目にして早くもしっかりしたチーム作りに成功しているのは、前述してきた成績が示す通りだ。

「このチームの若い選手は素晴らしいポテンシャルを持っていて、その上しっかり組織プレーが植え付けられている。ただ、2位になるなんて考えもしなかったこと。今でも、まずは今季当初からの目標である20チーム中10位以内を確保することの方が優先であることに変わりはない」

 あくまでも控え目な態度を崩さないポー監督への若い選手たちからの信頼は抜群だ。「ボー監督は、若い自分たちが持っている可能性を最大限に引き出してくれている。彼の存在がなければ、今のチームの成功はなかった」(MFアシル・エマナ)

 現在のトゥールーズFCにチーム一丸となっている一体感があるのは、今季スタジアムに行ったことがあるファンなら間違いなく感じていることだろう。よそ者として、一度だけトゥールーズFCの試合を現地取材した者にも、それは十分に感じられた。

 圧倒的な存在であるメジャースポーツ、ラグビーに常に圧倒され、一時は経営破綻から3部落ちまで経験したトゥールーズFC。そんな苦境を脱するために取られた方策は、ものすごく真っ当なものだった。すなわち、ジュニア強化に力を注ぎ、自分たちに最もふさわしい実績ある指導者を招いてトップチームの指揮を執らせる一方で、ジュニアも含めたクラブ全体のコーチングシステムを整えるということだ。