Monday, February 27, 2023

3/2 トークイベント「ベルクソン思想の現在地」@本のあるところajiro

ajiroで喋ったのが2022年6月~8月、刊行が12月。で、2023年3月にここ数か月の研究の進捗を振り返るという、、

まあ、自分にできることを頑張ります。詳細は下記。

https://note.com/kankanbou_e/n/n32efaaa35104

Saturday, February 25, 2023

2/26, 3/5 LOVE FMさんでベルクソンについて喋ってきました。

収録前に、幾つかの回をpodcastで拝聴しましたが、パーソナリティの佐藤さん、進行役の三好さんともに、本当に気持ちの良いトークを展開される方ですね。アートが大好きで、ゲストの方々の活動へのリスペクトが伝わってくる、とてもいい番組だと思います。そのお二人に乗せられて、気持ちよくおしゃべりさせていただきました。ただ、私がうまく話せているかは別問題ですが、、

LOVE FM『明治産業 presents「OUR CULTURE, OUR VIEW」』

福岡・九州からアートや映画、舞台に音楽など、さまざまな文化のシーンと楽しみ方を発信するカルチャー情報番組。#OCOV

2月26日と3月5日の2回に分けて放送していただけるそうです。よろしければ他の回もぜひ。

( #LOVE FM 毎週日曜 AM10:00〜11:00/(再)毎週木曜 PM11:00〜12:00 放送中 )
出演:佐藤ともやす(パーソナリティ)、三好剛平(三声舎)
制作協力:野村祥悟(BOAT)

フランスでは哲学者が割と普通にラジオで喋っていますが、日本ではスター哲学者でもないとなかなかないのではないでしょうか。日本のラジオで哲学について喋らせてもらえる幸せ。

Tuesday, February 21, 2023

2/22-23 国際シンポジウム:Les revies - de Rétif de la Bretonne : subjectivités, généalogies, morales

Colloque international franco-japonais
Les revies de Rétif de la Bretonne
— Subjectivités, généalogies, morales —

Institut de Recherches en Sciences humaines, Université de Kyoto
En présentiel 会場参加
3e étage, Grande salle de réunion
京都大学人文科学研究所4階大会議室
https://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/english/

En ligne オンライン参加
https://zoom.us/webinar/register/WN_STZGrBDiQ7a7Szm3Neao4g

Le 22 février 2023, 14:00 - 18:00
I. Identité(s) et fantasme autobiographique

ATSUO MORIMOTO
Naissance d’un écrivain — Le Paysan perverti et la tradition littéraire comme espace des possibles narratifs

FRANÇOISE LE BORGNE
Monsieur Nicolas ou l’« anatomie du moi humain »

KAI GOHARA
« Un livre vivant » et le fétichisme — Rétif chez Blanchot

Le 23 février 2023, 13:00 - 18:00
II. Morales : les limites de l’homme

HISASHI FUJITA
Déconstruire le mariage : Rétif entre Rousseau et Sade

YUKI ISHIDA
L’inquiétude, la morale et le bonheur dans Les Nuits de Paris

III. Généalogies en question

KEIKO TSUJIKAWA
Nerval et Rétif de La Bretonne : généalogie, théâtralité et matériau onirique

GISÈLE BERKMAN
Malaise dans la filiation, ou comment relire Rétif aujourd’hui

科学研究費補助⾦基盤研究C「⽇本・英⽶との⽐較から⾒たフランス現代哲学の主体・⼈格概念(愛・性・家族を軸に)」
Grant-in-Aid for Scientific Research (C) : The Concept of Subject and Personality in Contemporary French Philosophy in Comparison with Japan, the U.K., and the U.S. (with a focus on love, sexuality, and family)

Thursday, February 16, 2023

3/23 平芳幸浩編『現代の皮膚感覚をさぐる 言語、表象、身体』刊行

京都工芸繊維大学の平芳幸浩先生の2019-21年度・科研基盤B「ポスト身体社会」における芸術・文化経験の皮膚感覚についての横断的研究」(19H01207)に参加させていただいておりました。

このたびその研究成果として、平芳幸浩編『現代の皮膚感覚をさぐる 言語、表象、身体』(春風社、2023年3月23日)が刊行されます。どの論文も面白い話になっていると思いますので、是非お手に取ってご一読いただければ幸いです。

私も第一章として「かゆみの哲学断章――哲学的触覚論のゆくえ」という論文を寄稿させていただきました。まったく未知数の私の冒険的試みに対して寛大にもチャンスを与えてくださった平芳先生をはじめ、チームの面々には感謝しかありません。

春風社の韓智仁さんには校正の過程で本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。

Saturday, January 28, 2023

「最先端の将棋を追いかけることで探究心をより持ち続けられる」という信念

【王将戦第3局】羽生、森内、佐藤康九段を育てた「島研」 最先端を走り続ける羽生九段の姿勢 島朗九段に聞く

***一部抜粋

この年代になってさらに若手の大きな壁になっていくというのは、本当に将棋への情熱を持ち続けないとできないですね。棋士は現役時代が長いので、やっぱり情熱を持ち続けることの大変さというのは棋士なら誰でも分かりますし。

羽生さんに関してはそんな杞憂はまったく無用で、ただ将棋への好奇心をただひたすら持ち続けていましたね。その証明として、常に最先端の将棋で若手と張り合ってきた。彼の中に「最先端の将棋を追いかけることで探究心をより持ち続けられる」という信念があるようで、だから衰えないということだと思いますね。

ただ佐藤康光さん、森内俊之さん、この二人の存在、また木村さん、丸山元名人をはじめ、同世代が集団で追いかけてきたというと何ですけれども、羽生さんを緩ませなかったというのもすごく大きいと思いますね。

羽生さんが50タイトルをとった時に、信じられないかもしれないですけど、森内さんまだ無冠、ゼロだったんですよね。いったん二十代で差がつくと、棋士の場合なかなか厳しいんですけど、そこから森内さんが三十代で追走して平成名人を先んじたり、この抜きつ抜かれつのストーリーが、若い時だけでなく今に至っても続いていて、自分の中ではこういうことを見られてすごく幸せだなあと思います。

佐藤康光会長も将棋がずいぶん変革されて、自由奔放な将棋を指されますけど、佐藤さん曰く「羽生さんと普通に本格的にやっても勝てないので、負けるほうが変えるよりしょうがない」って言うんですけど、ただ佐藤さん、それでも総合勝率が7割くらい勝ってるんですよね。それだけ勝っている方が、対羽生戦に闘志を燃やして自分の将棋を変えざるを得ないという、そういった棋士として円熟期を迎えてからの変革はつらいですけど、やっぱり羽生さんの存在が多くのライバルの何かを活性化した。


Tuesday, December 27, 2022

芸は砂の山

「芸は砂の山」

師円生の言葉で、一番印象に残った言葉がこれ!とにかく、今までいろんな噺家を見てきたが、一番稽古していたのがわが円生だった。車の中とか一人になるとすぐ、「ぶつぶつ…」と噺の稽古をする。ホントによく稽古する師匠だった。その師匠に訊いた。

「芸というのは砂の山。いつも少しずつ崩れている。私の芸はここまで上がったと思っても、何もしないとずるずる、ずるずると落ちてくる。そこで、砂が崩れる分だけ稽古をして、上がってやっと前と同じ芸なんだ。だから、もし芸を上げようと思ったら大変だ。砂が崩れる以上の努力で上っていけば、その分だけ少し芸が上がる。芸は砂の山だ。何もしないと芸は下がる。」

(三遊亭円丈『ろんだいえん 21世紀落語論』、244‐245頁)


私のような疲れきった中年研究者には耳の痛い話である。トボトボとでも歩き続けねば。

Sunday, August 28, 2022

2022年度後半の予定

8月

かゆみ論文を8月末にひとまず完成予定。


9月

①ベルクソンのコレージュ講義録第2弾『記憶理論の歴史』の翻訳チェックがようやく完了した。最後の仕上げをして、9月上旬に脱稿。解説・あとがきを書いて来年前半には刊行予定。

②9月8日に記憶シンポのタイトル出し。10月2日に国際シンポ。

③9月9日にベルクソン対談本をひとまずブラッシュアップ。

④9月末までにPBJシンポ原稿完成。11月9,10日にシンポ。


10月

①10月2日(日)に記憶の哲学国際シンポ。

Remembering: Analytic and Bergsonian Perspectives 2

カーケン・ミケリアン(Kourken Michaelian)、今回ミケリアンを招聘した芝浦工大の櫻木新さん、平井さん、英語で心理学の教科書を出版されたり精力的に活躍されている北大の宮園健吾さん、北大の原健一さん(昨年度のドニ・ペランとのデジャビュイベントにも参加してくれた気鋭の若手)とともに。



②10月16日(日)にフーリエシンポ。

セッション「フーリエ研究の現在」@社会思想史学会
日時 10月16日(日)10:00-12:00
場所 専修大学生田キャンパス(神奈川県川崎市)第3会場(スタジオ202)
福島知己さん、清水雄大さん、金山準さん、篠原洋治さん(世話人)とともに。


10月後半:ベルクソン対談本のゲラ校正


11月

11月3日(木) PBJ第一日

午後5時ー7時(JST)アレッサンドラ・カンポ&三宅岳史(司会:エマニュエル・ピカヴェ)

午後9時—11時(JST)アリア・アル=サジ&檜垣立哉(司会:合田正人)

11月4日(金) PBJ第二日

午後4時半ー7時(JST)安孫子信&シモン・エベルソルト&杉村靖彦(司会:藤田尚志)

午後9時-11時(JST)エマニュエル・ピカヴェ&藤田尚志(司会:村山達也)

11月10日(木) PBJ第三日

午後5時ー7時(JST)中原真由子&合田正人(司会:ソニア・デッペ)

午後9時-11時(JST)ソニア・デッペ&平井靖史(司会:バリー・デイントン)

11月11日(金) PBJ第四日

午後5時-7時(JST)天野恵美理&近藤和敬(司会:シモン・エベルソルト)

午後9時-11時(JST)バリー・デイントン&村山達也(司会:平井靖史)


11月末:かゆみ論文圧縮作業


12月

12月上旬:ベルクソン&ハイデガー論文ブラッシュアップ


12月:翻訳ゲラ校正+あとがき執筆

12月中旬に亜鶴さんイベント

12月末に米田さんイベント

12月末~1月上旬:フェヒナー準備

1月

1月7日にフェヒナーワークショップ。

1月16日(月)タノ・ポステラーロ来日

1月20・21日:タノのプライベートセミナー

1月24日(火)

Towards A New Bergsonian Philosophy of Life

SPEAKERS Gaetano Posteraro (Concordia University) Tsubasa Yoneda (Osaka University) DISCUSSANT Mathilde Tahar (Lille University) Organizrers Y. Hirai (Fukuoka University) H. Fujita (Kyushu Sangyo University) T. Higaki (Osaka University)

1月26‐29日:タノとの意見交換


2月

2月1日(水)14h-16h30(CET)=22h-24h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第1回:『物質と記憶』の新地平(天野・原)

2月


2月:レチフ・シンポ準備

2月22・23日にレチフ国際シンポ

3月

①3月6・7日にPBJ合評会

②3月にパリで連続ワークショップ

3月28日(火)14h-16h30(CETサマータイム)=21h-23h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第2回:ベルクソンと分析哲学(モラヴェック、ブルディエ)

4月

4月12日(火)14h-16h30(CETサマータイム)=21h-23h30(JST)

 アトリエ・ベルクソン2023 第3回:ベルクソンと教育(ヴェイル、オルッソン)

5月

5月24日(水)13h-15h30(CETサマータイム)=20h-22h30(JST)他と違うので注意!

 アトリエ・ベルクソン2023 第4回:ベルクソンとソレル(ジョルダーニ、藤田)

8月

8月1~4日:東大・比較で集中講義(予定)

秋

グルノーブルで記憶の哲学WS

Tuesday, August 16, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その3(杉村靖彦先生)

2022年6月17日に京都大学の杉村靖彦先生からいただいた私信で、拙著後半の論点を鋭く指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、杉村先生のお許しを得て、ここに掲載させていただきます。

(…)第Ⅲ部と第Ⅳ部を拝読しただけですが、数々の刺激的なアイディアを提示しながら前へ前へと進んでいく藤田さんの筆致に強く動かされ、こちらも色々な思考を喚起されました。ある意味でベルクソン的な「呼びかけ」にも通ずる、「呼びかける」論考として受けとめました。考えてみれば、これは、PBJのような活動を立ち上げ展開させてきた藤田さんの学術活動上の志にも通ずる姿勢なのかもしれません。

「テクストの骨組みを抽出してアーギュメントの束に分解し、そこに潜む概念作用を顕在化させるという操作だけが読みの解像度を上げる手段ではない。〔…〕そのような概念化から零れ落ちるものにも目を留めねばならない。隠喩や類比、イメージは哲学にとって、とりわけベルクソン哲学にとってむしろ本質的な契機である」(447-448頁)。これがご著書を貫く藤田さんの基本的な視点であるといえるでしょうが、こうした視点からの論述を、印象的なイメージの羅列に終わらせずに、本書のように力強い思索表現へと仕立て上げるには、論じられる対象である隠喩やイメージの強度に拮抗しうるような、論じる者自身の論じ方とそのスタイルへの鋭い意識が不可欠であるように思います。藤田さんの論は、フランス語でも日本語でも、いつもそのような意味でのスタイルへの鋭い意識に統御されており、(…)今回のご著書で、あらためてその点を再確認いたしました。

内容的には、やはりベルクソンの「(非)有機的生気論」という構図がきわめて喚起的で、その中で特別な指標となりうる「手」のモチーフには、大いに興味を掻き立てられました。後期西田の「歴史的身体」論でも、ベルクソンをも参照点のひとつとする「手」のモチーフが重要な位置を占めており、私自身、デリダの論などを踏まえながら、その可能性を考えてきました。「(非)有機的」というのは、それを掘り下げていくための指標となりうる視点であるように思います。(…)

また、この「(非)有機的生気論」という構図とも深く連動するものとして、『二源泉』の「corps minime/corps immense」のもつ射程にも、改めて目を開かされました。

Monday, August 15, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その2(檜垣立哉先生)

大阪大学の檜垣立哉先生からツイッター連投で、拙著前半の論点を鋭く指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、檜垣先生のお許しを得てここに掲載させていただきます。

あまりに長大かつ詳細な文献で、思わず個々の細かな注釈に読みふけってしまうのでスピードをつけて読むことは出来ず、創造的進化以降はさーっとながしたがやむを得ない。杉山さんのようにテクストにあくまでも聴診するようにひたひたと探る読解でもなく、不肖私のように、ぱーっと現代思想にあたりをつけて、回路を設定していく読みでもない。ある意味では地道にベルクソンを読みつつ(百科事典的に当時のアカデミックの流儀を明示する数々、個々の術語の訳書に於ける差異とその検討は本当に勉強になった。どこかで書評書かせてくれないものかとおもうがZoomでやればよいのか。

藤田さんの『ベルクソン 反時代的考察』とりあえず(…)のメモ。
→測定できないものの測定/場所なきものの場所/方向づけられないものの方向/呼びかけ得ぬものへの呼びかけというベルクソンの四著作をある意味でオーソドックスにまとめる手さばきは鮮やか。

繰り返し、個々の論述の細部は大変に光るものがある。(…)2,3挙げておきたい 。

1)一貫して藤田本のベルクソンは、カントとの対比のなかにある。その意味でこれはポストモダンをすでに経由してしまったあとで、きわめてオーソドックスなベルクソンをどう書くかという勝負をしているようにもみえる。

2)ここに絡むのだが『試論』の部分で、持続について、メロディではなく「リズムなんだ」ということ、これがリズム=測定とからみながら測定し得ないものの測定として一貫しているが、これもまたカントと絡む。

3)というのも藤田本の骨はベルクソンVSカントでありつつ、重要なのはそこでの感性論と構想力論のあつかいだからである。これは例のハイデガーのカント書や、また判断力批判をめぐるロゴザンスキーや、たくさんでてくるのだが、結局は超越論的構想力の図式性を、「超越論的」でなく「内在的」に描こうとするのがポイントであるようにおもえる。

そして2)のリズムの話は個々にかかる。内在的構想力はリズムの内的展開の話である。ここに藤田はいわばベルクソンの柱を見ている。私もこれは正しいとおもう。自分自身も田辺や三木の日本京都学派がハイデガーのカント書を評価しない、という方向はある意味でハイデガーのベルクソン無視(存在と時間のある注でのほんの一部触れるだけというあり方)を考えるとハイデガーのベルクソン無理解はきわまるし、ある意味ではそれが逆に藤田ベルクソンを引き立ててもいる。

4)hantologie/ontologieという亡霊的なものの比喩(抜かしたが、藤田本は冒頭は言語と比喩の話である)がどこまできいているか、過去の実在という『物質と記憶』の大テーマである過去を敢えて亡霊的ととらえることに、デリダの『マルクスの亡霊』そのほかのあり方をみていながらも、個々は今ひとつ成功したのかどうかわかりません。もっと一言、デリダ的な気持ち悪さの方向がベルクソンは明らかに違う点を書くべきでは。

5)ベルクソンに残存する身体という問題系。これはきわめて重要であるはずだろう。藤田はとりわけ手、しかもこれをメルロ=ポンティ的な二つの手(の差異)、おそらくはデリダのゲシュレヒトの手。ルロワグーランを引くスティグレールの手・技術・補綴につなぐ。また最終的にベルクソン的な身体像をどこかで探りだそうとする。これは非常に腑に落ちる話であると思う。
単純に超越論的でない「内在的」構想力の感性的な「身体を含む」組織化、ここに藤田はもっていきたいということは大変よくわかる。

Sunday, August 14, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』にいただいたご講評その1(兼本浩祐先生、三宅陽一郎先生)

2022年6月17日に愛知医科大学精神科学講座の兼本浩祐先生からいただいた私信で、拙著第Ⅰ部の論点を指摘していただき、感謝に堪えません。読解のよすがになることを願い、兼本先生のお許しを得て、ここに掲載させていただきます。

まだ、試論の辺りまでしか読んでいないのですが、むちゃくちゃおもしろいです。
ベルクソンの問題は本当に自分の問題なのだということが目からうろこのように感得されて、ともかく途中経過の感想を書きたくなりました。

精神医学は、数えることと、数えられてできあがった数との間で揺れる学問だと思います。今は、圧倒的にできあがった数の方に重心が置かれ、数を数える方へのまなざしは「反時代的」なのですが、人間というものが、数を数えなければ人の形を保てないものであることは間違いないことだとしても、数が生まれてくるその現場への関心がなくなってしまうことは少なくとも精神医学にとっては致命的なのだと改めて思いました。


ゲームAI研究者・開発者の三宅陽一郎先生にご講評を賜りました。

 https://miyayou.com/?p=2421




Saturday, August 13, 2022

『ベルクソン 反時代的哲学』の装丁の話(山崎敦さん)

仲良くしていただいている中京大学の山崎敦先生は、2022年6月7日の私信にて、
普段から発揮されている鋭い観察眼を拙著の装丁に向けてくださいました。
山崎さんのお許しを得て、軽妙な筆致の文章を一部引用させていただきます。

中からでてきた本を手に持ってみて、
まず、そのズシリとした量感にはっとしました。
そして薄暗いなか、酔眼をこすりながら、
その壮麗かつキュートな装画にため息がもれました。
思わず帯を外しましたよ。
帯を外してまで眺めるに値するような装画など、
めったにありませんから、藤田さん、これは好運でしたね。
で、その帯の「止まって」の「て」上あたりに描かれた、
一瞬、ナメクジのように見えなくもない、
舌(影?)の出た球体は、装画本体から
飛び出てきた跳ねるガラス玉なのでしょうか。
もしそうなら、いや、そうでなくても、
そんな細かいところにまで神経のいきとどいた造作に、
ただもう感嘆するばかりです。

拙著の装丁は、装丁者の伴野亜希子さん(平井靖史さんのムサビ時代からの旧友)
と何度も話し合って完成に至ったものなので、お褒めいただけて本当にうれしい限りです。

伴野さんと編集者の関戸詳子さんのご許可をいただき、
ここに完成に至る幾つかの試作バージョンを公開いたします。
何がどう変わっているのかをお楽しみいただければ。

カバーver.1(2021年12月16日)



カバーver.2(2021年01月04日)



カバーver.3(2022年01月17日)



カバーver.4(2022年01月20日)3タイプ提示





カバーver.5(2022年02月21日)



カバーver.6(2022年03月16日)



カバーver.7(2022年04月01日)




カバーver.8&9、帯&別ver.、扉ver.1(2022年04月11日)







カバーver.10⇒完成!、表紙別案1(カバー白黒)、表紙ver.1、扉ver.2(2022年04月18日)






表紙別案2・3、ver.2(2022年04月18日)





扉ver.2(2022年04月19日)⇒完成!




表紙別案4(2022年04月20日)



表紙ver.3(2022年04月21日)



表紙ver.4(2022年04月22日)⇒完成!


Tuesday, June 14, 2022

6/19 「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」第一夜 藤田尚志×米田翼「生きるとは?――『創造的進化』の未来」

 

「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」第一夜 藤田尚志×米田翼「生きるとは?――『創造的進化』の未来」

フランスの哲学者ベルクソンの名を世界に知らしめた『創造的進化』。

そのなかでうごめく繊細なイメージ群を丹念に解きほぐしながら、この著作を「方向/彷徨」概念の脱構築の書と読み解く藤田尚志の『ベルクソン 反時代的哲学』(勁草書房)。

ベルクソンと同時代の生物学を徹底的に突き合わせながら、既存の生命観に対するオルタナティブを模索する米田翼の『生ける物質 アンリ・ベルクソンと生命個体化の思想』(青土社)。

奇しくもまったく同じ日に初の単著を刊行することになった師弟が、ベルクソン的な生の行方をめぐって語り尽くします。

6~8月にかけて全4回でお送りする連続トーク企画「ベルクソン思想の現在 21世紀に炸裂する20世紀の生の思考」の第一夜です。

2022年6月19日(日)

休館日:月・火
開催時間

13:00 〜 15:00

開催場所

本のあるところ ajiro

〒8100001 福岡県福岡市中央区天神3丁目6-8天神ミツヤマビル1B
料金
1000円 
参加条件
要申し込み URLから申し込みを
URL
https://note.com/kankanbou_e/n/n76eb684b6972
主催者
本のあるところ ajiro
問合せ

本のあるところ ajiro

080(7346)8139

ajirobooks@gmail.com

Thursday, June 09, 2022

イベントやります!

遠隔参加もできますが、ご来場いただくとよいことがあるかも。

 https://note.com/kankanbou_e/n/n50223e07ff8c


師弟対決と言われていますが、杉本昌隆八段の気持ちかもしれません。

とりあえず自分にできることを、できる範囲で頑張ります。

本が高いので買えないという方は、ぜひお近くの図書館に購入希望をお願い致します。


Saturday, May 28, 2022

カバー、帯、表紙、扉。

 まずは刺身で食べ、お茶を少しかけて食べ、最後にお茶漬けとして食べる。複数の食べ方で楽しめる。

まずはそのまま手に取る。次に帯を取って、帯が付いていた時と何が違うのかをよく見てみる。最後にカバーを取って本体の表紙を見てみる。意味なども考えてみると面白いかもしれない。



Sunday, May 15, 2022

或る授業の記録

 第1回

 4/12 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(1)ジャック・デリダ、ジョン・D・カプート編『デリダとの対話 脱構築入門』(法政大学出版局、2004年)を読む①
 4/14 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(1)斎藤環『「ひきこもり」救出マニュアル 理論編』(ちくま文庫、2014年)を読む①

第2回
 4/19 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(2)『デリダ入門』を読む②
 4/21 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(2)斎藤環『ひきこもり 理論編』を読む②

第3回
 4/26 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(3)『デリダとの対話』を読む③
 4/28 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(3)斎藤環『ひきこもり 理論編』を読む③

第4回
 5/10 国際文化研究演習Ⅰ:「脱構築」を理解する(4)『デリダとの対話』を読む④
 5/12 欧米思想研究(フランス思想):「ひきこもり」研究(4)ぼそっと池井多『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社、2020年)を読む


Thursday, May 05, 2022

ようやく出ます、、『ベルクソン 反時代的哲学』

6月1日刊行だそうです。

関係者の方々には本当にご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ありませんでした。

カバーは一連のベルクソン本でお願いしている平井さんの旧友・伴野亜希子さんにお願いしました。

Monday, April 04, 2022

2021-2022年度の業績

例年同様、本年度の研究も、1)ベルクソンを中心とする近現代フランス哲学研究を軸に、2)哲学と大学、3)愛・性・家族の形而上学とその脱構築について進められた。

論文が4つ(単著・日本語が2つ、単著・英語が1つ、共著・日本語が1つ)、口頭発表が5つ(すべて単独。日本語が2つ、英語が3つ)。


出版物:著作・論文・翻訳

01. 平井靖史・青山拓央・岡嶋隆佑・藤田尚志・森田邦久「ベルクソンと現代時間哲学(上)」(共著論文)

 『人文論叢』(福岡大学人文学部)第53巻第2号、2021年9月、495-528頁。

02. 「リズムの哲学がベルクソンに負うもの」

 『フランス哲学・思想研究』第26号、2021年10月、61-72頁。

03. 「「大いなる生の息吹…」ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』における呼びかけ・情動・二重狂乱(下)道の途中:二重狂乱と政治」

  『仏語仏文学研究』(東京大学仏語仏文学研究会)、2022年3月、第55号、229-246頁。

04. 「Diremption and Intersection: The Violence of Language in Bergson and Sorel」

 Parrhesia: A Journal of Critical Philosophy 2022年春に公開予定。

05. 『ベルクソン 反時代的哲学』

 勁草書房より2022年春に刊行予定。

06. 平井靖史・天野恵美里・岡嶋隆佑・木山裕登との共訳『1903‐1904年度コレージュ・ド・フランス講義 記憶理論の歴史』

 書肆心水より夏ごろ刊行予定?


発表

01. 表現的自我:分析的アプローチとベルクソン的アプローチの接合 

PBJ-DI分析系分科会(2021年6月27日(月)14:00-18:30 @オンライン開催(zoom))(口頭発表①、2021-2022年度)

02. On Personality: Analytic and Bergsonian Approaches  

International Workshop "Time, Freedom, Creativity: Bergsonian Perspectives" organized by PBJ and Barry Dainton(2021 年 7 月 30 日(金)17:00-19:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表②、2021-2022年度)

03. 講義の時間――ベルクソンのコレージュ・ド・フランス講義を読む

日仏哲学会秋季大会シンポジウム「哲学者の講義録を読む」(西山雄二さん(東京都立大学)、酒井麻依子さん(筑波大学)、八幡恵一さん(関東学院大学)、西川耕平さん(文京学院大学)とともに)(2021年09月11日(土)15:00-18:30 @ハイフレックス開催(東京都立大学+ZOOM))(口頭発表③、2021-2022年度)

04. Bergson and Heidegger on Schematism

Fukuoka Meeting of the Global Bergsonism Research Project (online webinar) – 12, 18, 19 November 2021 – Fukuoka University, Japan(2021年11月12日(金)21:30-23:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表④、2021-2022年度)

05. 崇高と走馬灯――ベルクソン、カント、ハイデガーをめぐる超越論的図式機能のゆくえ

第49回ベルクソン哲学研究会:特定質問者・峰尾公也氏とともに(2022年3月23日(日)16:00-17:00 @オンライン開催(zoom))(口頭発表⑤、2021-2022年度)

Wednesday, September 08, 2021

9/11 日仏哲学会秋季大会シンポジウム「哲学者の講義録を読む」@東京都立大学+ZOOM

学会員でなくても、どなたでもご参加いただけるとのことですので、ご関心のある方はぜひお越しください。

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日仏哲学会秋季大会シンポジウム

2021/9/11 15時~18時半。 東京都立大学+ZOOM(要事前登録)
https://zoom.us/meeting/register/tJEkcOyorT4sH92faZfagL3xH0W5mLC2Of5f

「哲学者の講義録を読む」 

近年、哲学者の講義録が続々と刊行されており、日本でも翻訳が出揃っている。現代の哲学者は教育者でもあった。彼らは公刊された著作とは異なる、いかなる教育実践をおこなっていたのだろうか。教育と研究の相違、話すことと聴くことの教育法、教育的語りのリズムや調性、ソクラテス的産婆術を範とする真理の教示法、研究教育制度への哲学的な問い・・・・・・。本シンポジウムでは、ベルクソン、メルロ=ポンティ、フーコー、ドゥルーズ、デリダの講義録をもとに、教育の現場に立つ哲学者の姿に着目し、互いに比較・考察をおこなってみたい。

発表者:藤田尚志(ベルクソン)、酒井麻依子(メルロ=ポンティ)、八幡恵一(フーコー)、西川耕平(ドゥルーズ)、西山雄二(デリダ)

企画責任者:西山雄二

いただきもの(2021年4月‐6月)

伊達聖伸さんより2021年4月5日にいただきました。

ラファエル・リオジエ『男性性の探究』(伊達聖伸訳)、講談社、2021年3月29日。

伊達さんの逡巡は、私も含め、「無関心ではいられないはずなのに、
傍目には無関心な人間と大きく異なるところのない時間を過ごしてきてしまった」、
多くの「ジェンダーやフェミニズムが専門とは言えない日本の男性研究者」(145頁)
の強い共感を得るものだと思います。

私が、宮野真生子さんと共に行なった試みも、
https://keisobiblio.com/2020/01/08/gendertalk09/
まさにオリジエの眼差しと重なる問題関心から始めたものでした。

理論的な関心としては、伊達さんの言う「地獄くだり」――
「男性研究者として行なうことは、
自分の痛い経験を振り返ることにもなるし、ときに吐き気を催す男性性を
男性として目撃することになる辛い作業」(152頁)――
とは、少し違う「地獄」へ私も降りねばならないと考えています。

それは、リオジエが「問題の核心」と考える
「女性を客体化し、ものとして所有すること、資本として蓄積すること」(150頁)です。
これについては、以前にお送りした岩野卓司先生編『共にあることの哲学と現実』所収の
拙論(特に60‐64頁)をご笑覧いただければ幸いです。


村上靖彦さんより2021年4月23日にいただきました。
村上靖彦『子どもたちがつくる町――大阪・西成の子育て支援』、世界思想社、2021年5月5日。

『母親の孤独から回復する』を数年前にゼミ生たちと一緒に読みましたが、今回はその続編とも言うべきものでしょうか。また、学生たちと一緒に「哲学すること」を学ばせていただければと思います。

村上靖彦さんより2021年6月21日にいただきました。
村上靖彦『ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと』、中公新書、2021年6月25日。

村上靖彦さんより2021年6月28日にいただきました。
村上靖彦『交わらないリズム――出会いとすれ違いの現象学』、青土社、2021年6月30日。

リズム本は、私にとっても大事なテーマです。昨年、日仏哲学会のシンポ「リズムの哲学」で私もベルクソンのリズム論で発表しました。「交わらないリズム」と「ポリリズム」の違いを考えつつ、村上さんのリズム論にも言及しています)。

ケア本は、今までの村上さんの軌跡の集大成のように感じつつ、ゆっくり読み進めております。また学生と読みたい本が増えました。うれしい悩みです。

Wednesday, September 01, 2021

いただきもの(2021年4月)森本淳生「イマージュ・アニマルーー哲学的動物論と環世界」

森本淳生さんより2021年4月23日にいただきました。

石井美保ほか編『環世界の人文学』、人文書院、2021年3月20日。
森本淳生「イマージュ・アニマル――哲学的動物論と環世界」、61‐80頁。

森本さんのご論考「イマージュ・アニマルーー哲学的動物論と環世界」(61‐80頁)は、哲学者たちの厳密な読解としての「正否を問うよりは、彼らの思索を自由に組み合わせて展開し、そこから哲学的動物論に対する有益な示唆を引き出す」(71頁)という仕方で、「動物論の困難、あるいは、混乱」(62頁)を解きほぐす試みとして、大変興味深く拝読しました。

とりわけ、『物質と記憶』第一章のイマージュ論を、「私たちの方が動物に近づく努力」という意味での「動物への生成変化」(68頁)として読み解くというのはとても面白い発想ですね。

個人的な興味関心としては、『創造的進化』を入れて考えるとどうなるのかが気になるところです。というのも、そこでベルクソンは、人間・動物そして「植物」を区別して論じているからです。今回のご論考の核心的な問題として気になったのはまさにその点、つまり「生物(イマージュ・アニマル)」(72頁)という表現に端的に表れるように、「生物=動物」と見なされているのではないかという点です。

もちろん、「大地や山、あるいは、川、海であっても、無生物ではあるが、イマージュ・アニマルとして現れる」という一節はありますが、「不動」や「ごく規則的な動き」に「潜在的運動イマージュ」を見出す際にも、「動物らしからぬ」(以上73頁)という形容が付されています。

つまり、「人間的秩序を理由としてイマージュ・アニマルを無視することは、人間中心主義的な視野狭窄を引き起こすことにもなる」(76頁)というのはその通りだとして、同じことは、「イマージュ・アニマルを論じる際に
植物を無視することは、動物中心主義的な視野狭窄を引き起こすことにならないか」という風にも言えるのではないでしょうか?

ですので、人間同様の「権利」を動物に認めようとして「人間中心主義をひそかに再導入する」(77頁)動物権利論とは異なる道行きとして、イマージュ・アニマルが倫理的な〈他者〉であるかもしれないという「虚像」「混線」として、「人間中心主義の限界=境界をはっきり見定める」(78頁)際に、

「大地や山、川、海などが神と認められてきたことを迷信と言ってすますことはできない」(73頁)という言葉と共に、論考冒頭でなされた「告白」(62頁)に登場する「猫へのささやかな生成変化」(63頁)のみならず、「ささやかな菜園」の「種や苗」も考慮に入れるならば、

「イマージュ・アニミスト」ないし「image vivante」という表現のもとに、擬人主義(anthropomorphisme)からの逃れがたさを強調すべきなのではないかと考えた次第です。