では早速、第1章「転回の輪郭」から見ていくことにしよう。
1960年代から90年代までの30年間のフランスにおける現象学的研究は、60年代後半から70年代前半の構造主義全盛時には陰に隠れていたものの、ポール・リクールやミシェル・アンリによる真剣かつ執拗な取り組みや、エマニュエル・レヴィナスによるきわめて独創的な展開とその世界的な認知のおかげで、その後徐々に理論的な豊穣さを見せ始め、その成果や一貫性が80-90年代になって現れてきた。この理論的な豊穣さのすべてが「神学的転回」という名称で要約可能なわけではないし、戦後フランスの現象学運動を≪サルトルやメルロ=ポンティ、あるいはデュフレンヌの無神論的現象学から、リクールやアンリ、あるいはマリオンの「スピリチュアリスム」的現象学への移行≫として捉えるだけで満足するわけにもいかない。しかし少なくとも出発点として、賞賛的であれ侮蔑的であれいかなる価値判断も方法論的批判もなしに、次のことだけは確認できるであろう。すなわち、l'ouverture à l'invisible, à l'Autre, à une donation pure ou à une "archi-révélation"といった特徴が、60年代以前の現象学第一世代(フッサール・ハイデガー受容の第一段階)から60年代以後現在までの世代を隔て、rupture avec la phénoménologie immanenteを画するものなのだ、と。
この第一章の狙いは、以上の歴史的パースペクティヴの論拠を示し、理由を挙げることにある。神学的転回の理論的な可能性の条件を理解するために、まずはその少し前へと時間を遡って始めることにしよう。これは単なる方法論的な慎重さではなく、la spécificité et les de la première "percée" phénoménologique françaiseをより正確に捉えることで、後の世代との対比をより鮮明に捉えるためである。
フッサールという衝撃、サルトルという怒号
いかに半世紀を経た我々の眼から見てフランスにおけるフッサール受容の第一段階がsimplificatriceなものであるとはいえ、やはり新たな方法論への渇望にも似た関心と類稀なる才能の幸福な出会いが当時のフランス思想界にもたらした衝撃は見過ごしえない。この点で最も意義深いテクストは、1939年に執筆され、のち1947年に『シチュアシオンI』に収められた「フッサール現象学の根本的な一概念:志向性Une idée fondamentale de la phénoménologie de Husserl : l'intentionnalité」である。40-50年代の「現象学的存在論ontologie phénoménologique」の動きのいわばマニフェストの役割を演じたこのテクストの中で真っ先に目を引くのは、その反観念論(anti-idéaliste)的な性格である。精神の吸収・統合能力を分析し賞賛していたラランド、ブランシュヴィック、メイエルソンら、講壇哲学の主流を占めていたいわゆるphilosophie réflexiveの流れに抗して、サルトルは、"なにか堅固なものquelque chose de solide"を求めた。かといって、粗雑な感覚論(sensualisme)にも、客観主義(objectivisme)にも、あるいはベルクソン型(我々の知覚のactualitéと「イマージュ」のvirtuelな総体を区別する)のより繊細な実在論("un réalisme de type plus subtil, à la Bergson (distinguant entre l'actualité de notre perception et l'ensemble virtuel des images)" )にも回帰するわけにはいかない。まさにこのような状況下で、新たな、ほとんど奇跡的な解決策をもたらしてくれたのが、「志向性」の概念だったのである。これにより、観念論/実在論の二者択一、と同時に主観/客観の二項対立も、その手前で生じている相関関係、「いかなる物理的なイメージも与ええないこの還元不可能な事実」によって乗り越えられてしまったのである。
(少しだけ詳しく言えば、「志向性intentionnalité」とは、意識は常に何かのほうへ向かう意識としてしか存在しない、という意識の存在様態を指す語である。したがって何物にも向かわず自律的に自分だけで存在する純粋意識などというものは存在しないし、また客観的に存在する対象・客体といったものも、この志向性以前には主体に知られることはない。この意味で、主観・客観の二項対立は、両者を隔てると同時に結びつける相関関係によって先行されているのである。La célèbre formule : "Toute conscience est conscience de quelque chose." proclame que la pseudo-pureté du cogito est toujours prélevée sur une corrélation intentionnelle préalable.)
サルトルのこの怒号にも似たマニフェストの魅力的な加速度は、実際には数々の理論的な問題点を覆い隠すのに役立っている。そのうちで最も重大な問題点は、「とりわけ情動の領域において具体的なものと出会い、それを与え返すことは、形相的記述という方法によって、いったいどうやって本質主義に再び落ち込むことなく可能になるのか comment la méthode de la description va-t-elle permettre de rencontrer et de restituer le concret, en particulier dans le domaine affectif, sans retomber dans l'essentialisme ? 」というものである。
(少しだけ詳しく言えば、情動生活というものは、決して一枚岩的なものではなく、多数多様の特異な強度からなるあるダイナミズムによって活気を与えられているもので、現われ・現象の「形相eidos」の描写を事とするとフッサール現象学の網の目にはきわめて引っかかりにくい。無論だからこそ、フッサールも執拗に意識のこの側面に取り組み(Phantasia, conscience d'image, souvenir, Millon, 2002)、後期フッサールは「生活世界」へ向かうわけであるが。)
では、プルーストがあれほど繊細に描き出した「intermittences du coeur」はあまりに内面的なものとして諦めねばならないのか。たしかにサルトルは『存在と無』序論において、多少この問題を取り上げてはいる。存在者がそれを顕現する一連の現象に還元されるとしても、志向性によって捉えられる現象の存在は物的なものではない(Si l'existant est réduit à une série des apparitions qui le manifestent, l'être du phénomène intentionnel n'est pas "chosique".)。したがってこのような存在の固有の超越性を、観念論に再び陥ることなく、守らねばならない。だが、フッサールの意識構成の試みは、フッサール自身認めているように、一種の超越論的観念論(idéalisme transcendantal)の復興に手を貸すものである以上、サルトルは譲歩を余儀なくされ、フッサールは結局カント主義を乗り越えることができなかったのだと認めることになる。当時サルトルの関心を占めていたもの、すなわち対自の直接的に見出される諸構造(自己意識の非定立的な諸様態)の記述(la description des structures immédiates du Pour-soi qui sont autant de modalités sui generis, non thétiques, de la conscience(de) soi)を手に入れるべく、フッサールのアポリアをひとまず棚上げにすることを可能にしてくれたのは、ハイデガーの前存在論的了解(compréhension préontologique)であった。
すでに、1936年に書かれた『自我の超越性』において、サルトルは、フッサール的なコギト(「toute légèreté, toute translucidité」)をデカルト的なコギトから切り離すと同時に、超越論的な自我の古典的なテーゼへのフッサールの回帰(とサルトルが考えたもの)を批判していた。つまり一方ではフッサールの「括弧入れépokhè」を保持しつつ、他方では、『論理学研究』の直観的なラディカルさから『イデーン』における新たな観念論へのフッサールの「悪しき」変化(すでに『論研』の内部においてすら見られる変化)を攻撃したわけである。サルトルは、あまつさえ自我を「世界の存在être du monde」と捉えさえし、我々の超越性と世界との前もっての相関関係にほかならない炸裂した志向性(une intentionnalité éclatée, corrélation préalable entre notre trasncendance et le monde)へと遡る。
こうしてその「変化」の理由を深く突き詰めることがなかったゆえにフッサールに関しては幾多の曖昧さを残しつつも、超越的な(自我的でないnon égotique)意識を「非人称的な自発性spontanéité impersonnelle」として展開することによって、サルトルは、史的唯物論と共犯関係を結びうるラディカルな現象学を構築しえたのであった。
(現象学者サルトルに関しては、ドゥルーズが早くから注目していた。非人称的自我に関する記述は、『哲学とは何か』は言うまでもなく、『差異と反復』『意味の論理学』において繰り返し現われているし、すでに1964年の小文「彼は私の師であった」において、les lacs de non-être, les viscosités de la matièreといった哲学素に注目し、人間の実存を世界における「穴」という非存在と見なすサルトルのハードで貫入的な実存主義を、襞と襞の折りたたみと見なすメルロ=ポンティと対比させている。En assimilant l'existence humaine au non-être d'un "trou" dans le monde, "petits lacs de néant" disait-il, Sartre devançait un existentialisme dur et perçant, tandis que Merleau-Ponty insiste plutôt sur des plis et des plissements pour s'engager de son côté dans la voie d'un existentialisme plus tendre, plus réservé. また、かなり最近になってからではあるが、再評価も徐々に進んでいる。たとえば、現象学系の雑誌Alterの特集号(Sartre phénoménologue)を参照のこと。)
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