Saturday, April 23, 2005

ベルゲン学会の報告(初日)

2005年4月22日から24日にかけて、ノルウェー第二の都市ベルゲンで行われた北欧現象学協会の第三回年次大会に参加してきた。私個人としては、4月23日のセクションIIa "Phenomenology, Medicine and Psychiatry"で、「Between Phainomena and Phantasmata: Bergson's 'Déjà-vu' and Merleau-Ponty's 'Phantom limb'」と題した発表を行なった。旅行にまつわる話などはpense-bêteに書くとして、ここでは大会の様子などを報告しておこう。

(ちなみに、海外の哲学事情に詳しくない人のために一言付け加えておくと、
①昨今の英語圏(北欧も含む)の哲学業界では、一般的な呼称としての「現象学」は「大陸哲学」というのとさほど違いはない。そういうわけで、今回のベルゲン学会でも「アレントと政治」といった、狭義の現象学とは無関係のセクションがあったり、あるいは一昨年・昨年と二年続けて私が参加したCollegium Phaenomenologicumでも、一昨年のテーマが「ベルクソン、レヴィナス、ドゥルーズ」、昨年のテーマが「カント、シェリング、ハイデガー」であったりしたわけである。「現象学」という語がより広範な意味を持ちうるという点に関して、もう少し理論的な説明がほしいという方は、ハイデガー『存在と時間』の第7節を読まれることをお薦めする。それから、

②「大陸系哲学と分析哲学の対立などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の哲学的伝統を持っているし、分析哲学はそもそも大陸哲学(ウィーン学派)から派生したものだ」という正論もあるが、これは「ヨーロッパとアメリカの文化的差異などというのは存在しない。ヨーロッパ各国は独自の文化的伝統を持っているし、そもそもアメリカ文化はヨーロッパ文化から派生したものだ」と言うのと同じで、原理論としては正しいが、世界の哲学界の現状を正確に捉えているとは言えない。アメリカ文化とヨーロッパ文化の間にきわめて具体的な差異が見られるように、グローバルに見れば、「分析系」と「大陸系」の対立は、諸大学の哲学部(ないし関連学部)のポストをめぐる争いというきわめてマテリアルな形で存在している。
 もちろん、この対立を乗り越えようとする試みもまた確かに存在する。私が今回の訪問で知り合ったデンマーク・コペンハーゲン大学教授で、北欧現象学会の創設者の一人であるDan Zahaviが所長を務めるDanish National Research Foundation: Center for Subjectivity Researchもそのような方向性で動いているようだ。)

2001年5月にデンマーク・コペンハーゲンで創設された「北欧現象学協会(Nordic Association of Phenomenology)」は、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドなどの現象学者が所属する団体である。年次大会は、第一回がデンマーク・コペンハーゲン、第二回がスウェーデン・ストックホルム、そして今回第三回がノルウェー・ベルゲンで行なわれた(来年はアイスランドで行なわれる予定である)。現在、会員数が全部あわせても60人程度、日本のさまざまな哲学関連の学会から見れば確かに規模は小さく見えるが、北欧諸国の人口規模や、いわゆる「大陸系哲学」を取り巻く厳しい状況を計算に入れれば、それほど悪い数字ではない。

では、内容を簡単に見ておこう。三日間、毎日、一つか二つの講演(一時間前後の発表と30分弱の質疑応答)と、三つか四つの一般発表(25分前後の発表と20分程度の質疑応答、コーヒーブレイクも含め、全部で三時間強)がある。一般発表はいくつかのセクションに分けて同時進行で行なわれ、発表者はドクター、ポスドクの学生を中心に、しかしながら哲学科教授、助教授や、心理学者・人類学者・医者など他学部からの参加者も含まれる。

初日(2005年4月22日)の午前は、フッサール・アルヒーフ所長のRudolf Bernet(ルーヴァン・カトリック大学)の講演"Bergson on a Present Folded Back on the Past"。ベルクソン『物質と記憶』の時間論の大筋をたどる、きわめて啓蒙的なレクチャー。ただし、Len(Leonard Lawlor、メンフィス大学)の指摘に窮したとおり、「持続」との関係がまったく触れられていないなど、ベルクソンの専門家でないことからくる「脇の甘さ」はあったかもしれない。

昼食は、大学のラウンジで、Jussi BackmanやJoona Taipale(共にヘルシンキ大学)と、片言のフィンランド語で冗談を言い合いながら、そそくさと済ませる。ランチタイムは一時間もない。たっぷり二時間はとり、ワインも飲むフランス流とはかなり趣が違う。

午後はまず「現象学と心理学」「現象学の方法論」「芸術と美学」「レヴィナスと倫理」の四つのセクションに分かれて一般発表が行なわれ(12.45-16.00)、Sara Heinämaa(ヘルシンキ大学)の人格と性差への現象学的アプローチに関する講演が行なわれたが(16.30-17.45)、私は翌日の準備のこともあったので、セクションIa「現象学と心理学」の最初の二つの発表しか聞いていない。

コペンハーゲン大学のPhD学生Rasmus Thybo-Jensenは、メルロ=ポンティにおける心理学と現象学の一体性(分離に対する批判)を強調した。大半の質疑応答は、哲学(現象学)と科学(心理学)の差異を超越論的なものと経験的なもの、アプリオリとアポステリオリの差異と同一視する態度に対する異議であった。

同じくコペンハーゲン大学のPhD学生Thor Grünbaumは、運動感覚的経験(kinaesthetic experience)の性質に関する哲学的・心理学的考察を展開した。質疑応答では、感覚と苦痛の差異を強調する発表者に対し、感覚の本質的な運動性と苦痛の被運動性との根源的な統一性の観点から、幾つかの問題提起がなされた。

18時から20時くらいまで大学のラウンジでレセプションがあり、私はもっぱらLenやLinda Fisher(中央ヨーロッパ大学、ハンガリー・ブダペシュト)との再会を喜び、地元ベルゲン出身だというGunnar Karlsen(ベルゲン大学)に北欧の哲学事情を聞いたりして過ごした。みんなはその後、地元のバーに移って二次会に突入したのだが、私は翌日の発表のため遠慮した。

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