Tuesday, May 31, 2005
彼らはその為すところを知らざればなり(Car ils ne savent ce qu'ils font.)
***
…抑圧された者、蹂躙された者、暴圧された者らが、無力なるがゆえの復讐に燃えた奸計からして、「われわれは悪人とは別なものに、つまり善人になろうではないか!そして善人というのは、およそ暴圧しない者、誰をも傷つけない者、攻撃しない者、報復しない者、復讐を神に任せる者、我々のように隠れて密かに生きる者、あらゆる悪から身を避け、総じて人生に求むるところ少ない者、そして我々と同じように忍耐強い者、謙虚な者、公正な者のことだ」と言って自らを慰めるが、――これは、冷静に先入見なしに聞いたにしても、もともと、「我々弱者は、どうせ弱いんだ。我々は自分の力の及ばないことは何一つしないのが、我々のよいところなんだ」というだけのことにすぎない。
それなのに、この苦々しい事態が、昆虫類(大きな危険に出会うと、「ですぎた」ことをしないようにと上手に死んだふりをする)でさえもっているきわめて低級なこの利口さが、無力からするあの贋金づくりと自己欺瞞のおかげで、諦めのうちにじっと待っているという美徳の装いを身につけてしまったのだ。
まるでそれは、弱者の弱さそのもの――言い換えれば弱者の本質、その働き、その唯一の避けがたく分解しがたい全的現実――が、一つの随意の所業、ある意欲され、選択されたもの、一つの行為、一つの功業であるといったようなありさまだ。
かかる類の人間は、あらゆる虚偽を神聖化することを習いとする自己保存、自己肯定の本能からして、あの選択の自由をもつ超然たる<主体>に対する信仰を必要とするのである。こうした主体(あるいは、もっと通俗的に言えば、霊魂)が、これまでこの地上において最上の信条であったというのも、おそらくはこれが死すべき人間の大多数に、あらゆる種類の弱者や被圧迫者に、弱さそのものを自由と解釈し、彼らの現にある様態を功業と解釈するあの崇高な自己瞞着を、可能ならしめたためであったろう。
ここからなら、その暗い工房の中が丸見えだ。見たところを言いたまえ。今度は私のほうが聞く番だ。
――「何も見えません、それだけによく聞こえます。隅々から用心深い、陰険な、ひそひそ話と囁きあいが聞こえます。嘘を言っているように思われます。どの声音にも、甘ったるい婉曲の味がねっとりついています。弱さをごまかして功業に変えようというのでしょう、きっとそれに違いありません。あなたの言われたとおりです。」
[風太君か(苦笑)。自分の姿を見るようなのだな、きっと。]それから!
――「報復しない無力は<善良さ>に、びくついた卑劣さは<謙虚>に変えられ、憎悪を抱く相手に対する屈従は<従順>(つまり彼らの曰くでは、この屈従を命ずる者に対する従順、――この者を彼らは神と呼んでいるのですが)に変えられます。
弱者の退嬰ぶり、弱者にたっぷり備わった怯懦そのもの、戸口でのその立ちん坊ぶり、その仕方なしの待ちぼうけぶり、それがここでは<忍耐>という美名で呼ばれます。それはまた徳そのものとも言われるらしいのです。
それに<復讐できない>が<復讐したくない>の意味に、おそらく宥恕という意味にすらなっています(「彼らはその為すところを知らざればなり――ひとりわれらのみ彼らの為すところを知るなり!)。それにまた、「敵に対する愛」についても話しています――しかも汗だくでやっています。」
もうよい!もう結構!(ニーチェ、『道徳の系譜』、第一論文、第13-14節)
Thursday, May 26, 2005
思想のマッチ(l'allumette de pensée)
Monday, May 23, 2005
Sunday, May 22, 2005
エリート教育の問題(補遺)
(ちなみに、エコール・ノルマルのサイトを見る限り、レベルの違いこそあれ、ソルボンヌ文明講座と同じ傾向の商売っ気があるような気がする。)
インタヴューは、通訳のフランス語がアジア人(日本人?)風のかなりきつい訛りで、聞き取りにくかったが、その中で、「日本ではかなり若い頃から厳しい練習を積なねばならず、また少年少女向けの多くのコンクールがあるようだが、それについてはどう思うか?」という少し皮肉交じりの質問に対して、関本さんはおおよそのところこんな風に答えていた。
「たしかに日本ではかなり早くから厳しい練習を始めますし、また子供向けのたくさんのコンクールがあります。もしコンクールで賞を取るといったことだけを目的として厳しい練習を積まねばならないとしたら、それは良いこととは言えないでしょう。でも、コンクールに向けていろいろな曲を練習してレパートリーを広げることができ、これまで知らなかった未知の作曲家、未知の奏法、ひいては未知の自分に出会える機会と捉えれば、コンクールはそれほど悪いものではないのではないでしょうか」。
哲学のエコール・ノルマルも「コンクール」の一つである(実際、フランス語では、入学試験にも「コンクール」という言葉を用いる)。ノルマルに入学するためには、高校卒業後、特別の準備クラス(カーニュ)に入って、専門の勉強を行なう。大学は通常の学生が行くところ、グラン・ゼコールは研究者ないし教育者予備軍のための教育機関である。
*
2003年12月に行われ、前述の関本さんも4位入賞した浜松国際ピアノコンクールの審査員チョウ・グォアンレン(中国)は、こんなことを言っている。
チョウ審査員は「浜松が世界レベルのコンクールに育ったことを確信しています。特に若いピアニストの演奏レベルが上がっているのには驚き。今日も、18歳のピアニストがいましたが、あの年であれだけの演奏をするのは素晴らしいことです。みんな指の動きがとても早くて驚いています」と述べた。
会見ではなぜ浜松国際ピアノコンクールが短期間の間に国際的に評価を受けるようになったのか、といった質問も飛んだが、チョウ審査員は「市制80周年の記念に、ピアノコンクールを創設という発想が浜松ならでは。市を上げてコンクールに取り組んでいることが大きい。中村審査委員長とのコンビネーションもよく、関係者が一丸となっているから」と発言。ステーン=ノックレベルグ審査員は「ウィーンやパリでオーディションを行っていることで、ヨーロッパの若い才能から逆に注目されるという効果を生んでいる」と、海外からの注目度が最近上がっていることを指摘した。
こういったことは、日本の高等教育機関も、「国際的な競争力」を云々したければ、徐々に検討していくべき課題であろう。こういった制度改革のことを考えるとき、昨年のプロ野球改革ほど典型的な事の成り行きを示したものはない。一年半ほど前に、各球団オーナーがご大層に言っていたことを一つ一つ思い出し、そして今日のプロ野球の姿を見てみればいい。
Friday, May 20, 2005
デーゲーム(上)
重要なのは、制度改革と個人的な質の向上を区別することである。ここでは、個人としての学者のほうに話を移そう。ここでもまた、スポーツの比喩がヒントを与えてくれる。
スポーツ関連の記事で興味深いのは、技術や練習方法に関するちょっとした記述である。「汗と涙」とか「遺恨勃発」とか、スポーツ新聞の記者によって捏造された人間ドラマはどうでもいい。スポーツが提起する中心的な問題は身体技術の問題(そしてそれに関連する限りでの≪精神的な技術≫の問題)であって、感情は副次的な付随物にすぎない。
2005年5月18日の日ハムとの交流戦で通算449二塁打を打って、福本豊(阪急)のもつ二塁打の日本記録に並んだ中日・立浪は、「野球エリート」である、とある記事は言う。
エリート、18年目の勲章 抜群の野球センス
レギュラーを張り続けてきた証しがプロ野球記録として結実した。18歳でプロの世界に飛び込んでから18年。積み上げた二塁打の数は449本に到達した。「野球エリート」。立浪ほどこの言葉が似合う選手はいない。中学時代、大阪の高校野球関係者の関心事は「立浪はどこの高校に行くか」に絞られていたという。強豪、PL学園に進んで1987年には甲子園で春夏連覇を達成。素材の良さは際立っていた。
立浪を獲得した中田スカウト部長は当時を振り返り、「野球を見る目はもちろん、守備力がずばぬけていた。脱臼してコンバートされたが、15年はショートはいらないと思った」と話した。高校出ルーキーとしては22年ぶりに開幕の大洋(現横浜)戦に遊撃手で先発出場。6回には将来を予感させるかのように、初安打となる二塁打も放った。
新人王を獲得し、高校出ルーキーでは史上初のゴールデングラブ賞も同時に受賞。故障に泣いたこともあったが、常に中心選手としてチームを引っ張り、1年目など3度のリーグ優勝も経験した。輝ける野球人生。しかし、「今は誇れるものは何もない。終わってから、最高のプロ野球人生を送れた、と思えるように頑張りたい」と立浪は言い切る。“挑戦”はこれからも続く。(了)[ 共同通信社 2005年5月18日 22:18]http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050518-00000056-kyodo_sp-spo.html
なるほどそうなのだろうが、正直言って、つまらない平凡な記事だ。こちらのほうが面白い。
1メートル73、70キロ。決して体格に恵まれていない。試合前、“恋人”の平沼打撃投手を相手に緩い球でスイングの速さを確かめる。数分後、距離を約10メートルに縮めて速球を打ち込む。目を慣らすため。一歩間違えば大怪我ににつながるから相棒は1人。「練習でいい当たりはいらない」。プロで生き抜くための知恵の結晶が大記録につながった。(…)決して才能だけでは頂点には立てない。本塁打のように派手ではない。だが、だれにも踏み込めない聖域を作り上げてみせる。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050519&a=20050519-00000025-sanspo-spo
(ちなみに普段は笑わせる福本だが、この日のコメントは真面目。 「記録達成は彼の広角打法のたまもの。記録に並ばれて寂しいというより、二塁打記録が脚光を浴びてうれしい。今後もどんどん記録を伸ばしてほしい。」 [ 共同通信社 2005年5月18日 22:16 ] )
まったく偶然だが、同日の記事。こちらは、今のところ大記録とは縁がないが、阪神・桧山である。
出場機会が減った今季。外野の守備練習を終えた後、何度もショートの位置に立っていた。誰に指図を受けたわけではない。ひたすら、フリー打撃の打球を追っていた。「打球は速いし、これが目慣らしになるからね。回転とかも全部違ってくるし。バッティング練習だけだと分からないし、鈍らないようにね」。バッターボックスに生きる男が、そこに生きがいを見つけるため―。オフの自主トレ中には、携帯電話の動画で、自分のバッティングを撮影したこともあった。「小さいけど、肩の動きとか分かるから」。ひっそりと、それでも重い汗を流す。華やかな世界に身を置きながら、地道に踏みしめる一歩を忘れない。この信念が、マンモスを揺るがした。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/headlines/20050519-00000015-spnavi_ot-spo.html
練習時は試合のときより速い球で練習する。試合で完全なプレーをそつなくこなすためだ。
デーゲーム(下)
個人としての学者の話をするとき、「二軍」の話をしないわけにはいかない。
「悪循環のために、慎重は憶病に映り、強気は雑に映ってしまう。何をやってもすべてが裏目に出た。」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000005-dal-spo
救世主ブラウン 初先発初勝利
スポットライトへの強い渇望が、1人の助っ人を救世主へと変えた。窮地に追い込まれていた猛虎を救ったのは、5回1失点で初白星をつかんだ阪神・ブラウンの右腕。来日初先発のマウンドは、連敗ストップの歓喜のフィールドと化した。
「(お立ち台は)信じられないぐらい素晴らしい。これだけのファンに囲まれて自分でも何を言っていたか分からない。もう一度感じてみたい、いい気分だったよ」。五回につかまったものの、きっちりとゲームを作って打線の援護を導いた。勝因を振り返った時、そこには「さぼったりせずに練習できた」という鳴尾浜の日々がある。開幕直前に襲われた風邪の影響でまさかの2軍スタート。ただ、心の支えがあった。
海を渡る決意を固めたとき、1枚のDVDを手に取った。「好きな映画だからアメリカから持ってきたんだよ。日本に来てからも見てるんだ」。ケビン・コスナー主演の「BULL DURHAM(さよならゲーム)」という野球映画だ。
「3Aの選手の生き方を描いた映画なんだ。僕も長かったからね」。長いバス移動や人もまばらなスタンド。栄光の日を思いながら過ごす地味な生活。プロ入り7年でメジャーでの登板はわずか4試合、0勝に終わった。映画を眺めながら思い返した日々。ただ、あの時を忘れたくない。辛かったが、そこには夢があった。下積みの苦労を忘れない男だからこそ、この日が待っていた。
バッグにしまい込んだウイニングボール。“メジャー初勝利”の大切な証しだ。「宝物の一つになるよ。これからも勝っていきたいね」。いつか、こういう日が来ると信じていた。聖地を埋めた虎党のハートを射抜き、マンモスの揺れを肌で感じる。異国で用意されていた晴れ舞台。簡単に手放す気はない。[5月5日 11時0分 更新]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050505&a=20050505-00000005-dal-spo
Thursday, May 19, 2005
Thursday, May 12, 2005
続・スシボンバーの憂鬱
1. 「ゆとり教育」に関して
子供が勉強に対する意欲をなくしているという。しかし、親がそもそも偏差値や学校のネームバリューや子供の「将来」(良い会 社に入ること?)にしか興味をもっていないのに、どうして子供が勉強の面白さに気づけようか。要するに、まずは親自身が再教育される必要があるのである。これは別項で 指摘したが(pratiques théoriquesの2005年2月21日の項参照)、教育問題を論じるときに見落とされがちな視点は、親があたかも完成された人間であるかのように 見なされているという点である。
2.海外で活躍する日本人選手と日本人研究者
木本大志さんの「イチローvs.松井秀を前に思う日本人メジャーリーガーの成熟」(2005年05月09日)という記事を読んでいて、改めてこの十年の日本人メジャーリーガーの成熟を思う。
海外のプロスポーツに挑戦するというのは、一つ一つ偏見を打破し、自分の能力を証明していくということである。
去年だったか、オランダ・リーグの韓国人サッカー選手が批判されていた。活躍していないから、というのではない。オランダ人並みにしか活躍していないから、というのである。オランダ人並みにしか活躍しないなら、わざわざ外国人を雇う必要はない、というわけだ。つまり外国人選手に求められているのは、並みの活躍ではない。ずば抜けた活躍なのである。その意味で、次の発言はまったく驚くに当たらない。
ハンセンもベイラーも、ともにこの10年を振り返ったとき、こう言った。「驚きは、日本人がここでプレーしていることじゃない。彼らにそのポテンシャルがあることは、ずっと前から感じていた。ただ、彼らがメジャーのトップ選手となり、レコードブックに名を残すような活躍を見せていること。それは、さすがに10年前には想像できなかった」
先発投手として先陣を切った野茂や、抑え投手として先陣を切った佐々木、外野手として先陣を切ったイチローのような存在が「レコードブックに名を残すような活躍」をしてきたからこそ、その後に続く選手たちに道が開かれたのである。
1995年、野茂が日本人大リーガー初の先発投手として登板。これまでは「ジャイアンツの村上」というわずか数試合に出場しただけの選手が伝説の名前として刻まれていたにすぎない。
し かし野茂が出てきて1995年に16勝し、1996年にノーヒットノーランをしてもなお、それは「日本人は先発投手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、「ハマの大魔神」こと佐々木が抑えとして活躍し、はじめて「抑え投手」としても能力があることが証明された。それでもなお「投手としては使えるが、野手としてはどうか」という疑念があった。
2001年にイチローが来て、いきなり首位打者、ゴールドグラブ、リーグMVPをとってもなお、それは「日本人は外野手としては使えるらしい」というだけのことにすぎなかった。その後、松井秀喜は勝ち組やSHINJOは負け組となったが、外野手はコンスタントに取られるようになった。
日本人選手は未だ内野手としては完全に能力を認められていない。二塁手として は井口、内野で最も難しいポジションと言われる遊撃手には松井(稼)や中村が挑戦しているが、完全に勝ち取ったと言えるようになるにはまだ時間がかかるだろう。現在の日本人選手の壁は、したがって内野手レベルである。
しかし、未だ挑戦すらされていないさらに困難なポジションがある。それは、キャッチャーである。なぜならキャッチャーはコミュニケーション能力が最も問われる、すなわち「言葉の壁」が最も高いポジションだからである。来年、ソフトバンクス(旧ダイエー)の城島健司が挑戦すると言われているが、はたしてどうなるか。
これらのことはすべて学問研究にも当てはまる。海外で研究に従事する研究者はいちいち能力を証明していかなければならない。ある分野はこなせても、他の分野がだめなら、トータルの力がないと言われてしまう。また、認められやすい分野とそうでない分野がある。語学の壁が相対的に低い自然科学分野にはすでに多くの優秀な学者がいて国際的に認められている。最も語学の壁が高いのは哲学・文学研究である。ここで認められるのはなかなか…。
3.「記録より記憶に残るプレーを」ではなく、「記録によって記憶に残るプレーを」
大リーグに行ったというだけなら、もはや珍しくもなんともない。SHINJOの「記録より記憶に残るプレーを」というのは確かに名言ではある。しかし、記録か記憶かという二者択一にこだわる必要はない。より望ましいのは、そしてもちろんより困難なのは、記憶に残るような記録を残すことである。
試合前の打撃練習。ケージに向かうイチローの背中を見ながら、ベイラーコーチは首を振った。「いったい何人の選手たちが、その記録に挑んできたと思うんだ?ロッド・カルーもできなかった。ジョージ・ブレットもできなかった。ピート・ローズだってできなかった。それを日本人が、さらっとやってのけてしまっ
た。教えるというより、こちらが学ぶことの方が多いよ」
ここまで言われるようになれば、大したものだ。先日、 フランスのテレビで、アインシュタインの特殊相対性理論百周年を祝う番組をやっていた。そう言えば、アインシュタイン本人も、自身の専門領域のみならず平和運動や公民権運動などにおいても、「海外で活躍した選手」の代表例である。物理学者のカク・ミチオが登場してコメントしていたけれど、堂々としたものだった。
Tuesday, May 10, 2005
教育の哲学、哲学の教育(2)エリート教育の問題
以下、どこまでプロスポーツの比喩を学問に適用することが可能か、その限界を常に意識しつつ、展開してみることにする。今回は、エリート教育の問題をこの比喩によって考えてみよう。
1.プロスポーツとしての学問 :エリート教育とは何か?
誤解を防ぐために最初から言っておくが、私がここで「エリート教育」と呼んでいるのは、早い時期からの徹底したスペシャリスト教育、プロフェッショナル教育のことである。「早い時期から」ということで念頭においている対象年齢は、18歳から22歳くらいまでであり、「徹底した」ということで想定しているのは、大学生に与えられる通常レベルの教育以上のハイレベルな教育ということである。
また、対象学問としてはとりわけ人文科学を念頭においている。なぜなら、エリート教育に対して最も拒否反応を示すのが人文系の学者だからである。自然科学ではエリート教育は半ば公然化してきていると言っていい。なぜ人文科学だけが悪しき平等主義、言葉の最も悪い意味での「衆愚政」の弊害を受けなければならないのか。真のエリート教育とは何か。いかなる先入見も排除して考えなければならない。
a.
プロスポーツの将来を真剣に考える者で、エリート教育を疑問視する者はいない(文末のニュースを参照のこと)。サッカーで小中学から訓練を積んでいない超一流のプロ選手などいない。Jリーグには下部組織として小中学生くらいからクラブがあり、衰えたとはいえ国民的スポーツであるプロ野球にはリトルリーグがある。幼い頃からの切磋琢磨によってごく一握りのプロ選手が磨かれていくが、その際、誰も「エリート主義」などと騒ぎ立てはしない。
クラシック音楽についても同じことが言える。たしかに芸術はすべての人に開かれている。しかし、そのことは、クラシック音楽の分野で一流の芸術家を育てあげようとする特別な機関までがすべての人々に開かれているという意味ではない。
(私が単に音楽と言わず、ポピュラー音楽を外してクラシック音楽を例に選んだ理由は、①今現在、ポピュラー音楽の「レベル」「基準」は限りなく資本の論理によって決定されている、②ジャズ、ポピュラー音楽、ロック、パンクは「我流」「無手勝流」とまでは言わないまでも、「反制度」を基本としており(例外はいくらでも挙げられるが、例外であることに違いはない)、学問におけるエリート教育制度のモデルにはなりえない。むろんこれらの理由は美的な価値基準に基づくものではなく、制度の必要の度合いに基づくものである。)
狭義の意味での学問はプロスポーツや職業としてのクラシック音楽に近い、プロフェッショナルな「職業 profession」である。「狭義の意味での学問」とは、ここでは、高等教育と研究者養成という二重の目的を兼ね備えた大学で行われる活動を指す。この狭義の意味での学問の未来を考えるなら、エリート教育ということを真剣に考えねばならない。エリートはどんな国、どんな時代でも評判が悪いものである。しかし狭義の学問の本質を考えるとき、我々は必ずエリート教育の問題にぶつかる。この問題を避けて通ることは、真実から目を逸らすことである。
b.
「私は子供にはエリート教育など与えたくない」という人も当然いるであろう。自然な、ごく普通の教育の信奉者である彼らには、彼らの望む教育を可能な限り、可能な範囲で青少年に与える権利が保障されている。しかし他方で、一流の音楽家になりたいと真剣に願う青少年の願いを圧殺する権利は彼らにはない。したがって一般の音楽教育とエリート音楽家教育を区別しなければならない。「エリート音楽教育が日本に存在することが必要だ」ということは、「すべての人々にそれが制度として押し付けられねばならない」ということではない。一流のクラシック音楽家だけがクラシック音楽を愛しているのでないことは言うまでもないし、一流の音楽家になることが音楽の唯一重要な目標だというのでもない。
しかし、一流のクラシック音楽家、一流のスポーツ選手になりたいのであれば、また国際的に活躍できる一流のクラシック音楽家・スポーツ選手が日本からどんどん輩出されるようになるのを望むのであれば、話は別である。むろんみんなが自由にのびやかに好き放題、無手勝流に練習を積んで一流の芸術家になれるのであれば、それに越したことはない。あらゆる機関などというものは、制約や拘束を課す以上、嫌がられ、嫌われる類のものである。しかしみんながみんな天才であるわけではない以上(この教育における天才主義の問題には後で戻る)、類まれな才能をごく幼い頃からの厳しい練習によってさらに磨きをかけて育て上げていくには、「コンセルヴァトワール」のような機関の存在が不可欠である。したがってエリート養成機関とは、ある種の芸術・スポーツにとって「必要悪」なのである。
同様に、たしかに「国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利がある」が、それは高等教育機関に誰でも入れるということを意味しはしない。
(ここで重要なことを一つ強調しておきたい。たしかに、哲学はすべての人に開かれている。哲学は専門の職業的な哲学者の占有物ではない。誰にでも何かを言う「権利」がある。しかし、このことは誰にでも哲学について何かを判断する「能力」があるということを意味しはしない。物理学や数学についてなら、このような混同は起こりえないのだが、哲学をはじめとして人文系諸科学に関してはほとんど常に起こりうる。現代物理学者は新たな数式や記号を提唱して当該分野の進歩に寄与すると敬意をもって眺められるが、現代哲学者が新たな造語や比喩を提唱しようとすると外野から野次が飛ぶ。「俺たちに分からない議論は、すべて非人間的で、似非知性主義的、エリート主義的、貴族主義的だ」と言わんばかりではないか。
大衆食堂で飯を食っているオヤジがうなる。「こら、キヨハラ、そんなボールもよう打たんのか!」。隣でこっそり飯を食っているプロ野球選手はこういった発言を耳にしても咎め立てはしないだろう。だが、この発言が卑しくもプロの端くれのものであるならば、「じゃあおまえ、打ってみろや」ということになるだろう。そして実際に打てなければ、自分の能力の欠如を恥じてそのような自分の能力を超えた発言は慎むべきである。素人と玄人の決定的な違いがここにある。
政治的な議論でも同じである。インターネット上で言論を展開する者は(私も含め)、あたかもその差異が消え去ったかのような妄想を持ちがちだが、能力の差は厳然としてある。)
もちろん、「一流の芸術家だけが芸術に関わる権利がある」とかいった誤まった「エリート主義」が問題になっているわけでないことは言うまでもない。 ここで、有害無意味な「エリート主義」と必要悪としての「エリート教育」とをはっきりと区別しておく必要がある。エリート主義とは、「エリートは素晴らしい」「エリートには一般人より多くの特権が認められるべきだ」といった単なるイデオロギーであり、エリート教育とは、学問において国際的な競争に勝つのに必要不可欠な国家からの支援を制度化する、単なる教育施策である。エリート主義は平等主義を否定するものであるが、エリート教育は平等主義を否定するものではなく、むしろそれを補完するものである。反エリート主義者の敵は、エリート主義であって、エリート教育ではない。敵を見間違えてはならない。
2.平等主義の陥穽、天才主義の弊害
教育においてこういったスペシャリスト養成を目的とする改革を実現しようとすると、途端に非難の声が上がる。平等主義者の声である。
(ちなみに重要なことなので強調しておくが、教育の哲学が戦うべき相手は二つある。一つは、冷めた目で教育政策を政争の道具としか見ていない教育行政担当者(文科相・文科省官僚)であり、もう一つは、熱い心をもち高い志を掲げてはいるが残念ながら教育の本質を見誤った教育論者である。エリート教育は、むろん異なる観点からではあるが、両者から評判が悪い。
「エリート教育機関の創設などと言えば、世論から反発を食らうに決まっている」という単純な理由から、教育行政担当者は、意識的なポピュリズム戦略に徹している。これに対して、教育熱血漢は、エリート教育の弊害をむしろ指摘するであろう。エリート教育で育てられた野球選手、体操選手、音楽家などなどの性格の「歪み」など指摘するものは誰もいないが、事が学問教育になると、このような議論が出てくることは容易に想像がつく。しかし、これは物事の本質を捉えそこなった無意識的なポピュリズムである。普通の教育を受けても性格の歪んだ人間はいくらでもいるという単純な事実をこの手の議論は忘れている。)
民主主義や機会均等は確かに重要であり、通常の国民教育制度が維持・改善されねばならないことは言うまでもない。しかし、それと同時並行的に高等教育や研究者養成制度がもっとはっきりと確立されるのでなければ、学問研究は天才頼み、「神頼み」の状況になってしまう。平等主義の陥穽は、天才主義の弊害と表裏一体の関係にある。
たしかに、叩き上げのジャズピアニストには、「気取った」(これもまた偏見にすぎないが)クラシック音楽の演奏家にはない魅力があるかもしれない。が、それは二つのまったく異質なものを混同しておいて、無い物ねだりをしているのである。また、茶道や華道の場合に顕著に見られるように、硬直してしまってむしろ弊害のほうが多い制度も確かにある。しかし、完全な制度というものは存在しないからといって、制度自体が存在しなくてもいいということにはならないし、制度の改善を諦めねばならないということにもならない。
モーツァルトはコンセルヴァトワール出ではないとか、田中角栄は小学校しか出ていないのに総理大臣になったとかいう人がいる。しかし、教育を論じるとき一番やってはいけないのは、天才について語ることである。 天才とは自ら規則の体系を作り出す人のことだとカントは言ったが、まさに教育のモデルとして考えるべきなのは、ごく普通の凡人である。一例を挙げよう。大検制度「改革」に関する、『東奥日報』の2003年8月10日付「社説」(!)の一節である。
未来の棟方志功のために大検制度「改革」を心配するよりも、現在の『東奥日報』論説委員の選抜制度を心配したほうがいいのではないかとこちらが要らぬ心配をしてしまいそうな文章だが、平等主義と天才主義はどのような形で結びつくのか、ポピュリズムの論理を典型的な形で示してくれている。国民には等しく学問、研究と自由に取り組む基本的権利があり、学問には広く国境を越えて接すべき根源的性格がある。管理、運営する立場のみからこの問題を偏狭に考えると、後世に甚大な後遺症を残すことになりかねない。
ちなみに、今年は本県の生んだ世界的板画家棟方志功の生誕百年。ここで少し頭をひねって考えてみよう。好奇心旺盛な彼が今、仮にどこかの大学を受けようとしても、現状では大検に合格しない限り、大学の受験資格さえ得られないのだ。あれほどの人間だ。明らかに変な制度ではないか。
大検は専門に大検の受験勉強をしなければ合格は難しいという。これでは板画や油絵をライフワークにしながら、大学にも通って研究を深めたい人の学問の自由は、はく奪されたも同然だ。
逆に言えば、一芸に秀でた学生の入学を促進し、学内の活性化を図ることは、そうした学生の門前払いをせざるを得ない現行制度では、不可能ではないか。これでは大学、学生双方にとって、はなはだ不幸で不都合なことと言わなければならない。
そもそも棟方志功のような版画の天才が大学に入る必要はどこにもない。そして入って学びたいのであれば、そこで要求される条件を満たすべきである。『東奥日報』論説委員は、小泉首相が政治手腕において「あれほどの人間だ」から(どういう意味なのか明確にされていないところが味噌である)、専門の訓練を必要とする入団テストのせいでメジャーリーグに入れてもらえないのは「はなはだ不幸で不都合」だとでも言うつもりだろうか?
異なる能力を混同してはいけない。人間は確かに平等だが、それは個々人が現在持っているあらゆる能力において平等なのではなく、異なる能力を発展させうる潜在的な可能性において平等なのである。こういう事を言うとすぐに、差別だの傲岸不遜だのと言い出す人がいる。しかし、物事の本質を見極めず、理性分別を欠いた意見を押しつけることほど、差別的で傲岸不遜な行為はない。
大学は高等教育の中枢である。「好奇心旺盛」でさえあれば、そして金と暇さえあれば、「専門に受験勉強」をしなくても誰でも入れるカルチャーセンターではない。この論説委員は、大学とカルチャーセンターを勘違いしており、能力の論理と資本の論理を混同している。
(ちなみに、大学における悪しき平等主義の最たるものは、国立大学の授業料の値上げである。国立大学の最大の利点は、金のない人間でも、能力さえあれば、最高の教育を受けられるという点にあった。日本政府および文科省は、「私立大学との格差をなくすため」(!)この政策を徐々に放棄した。現在、国立大学の授業料は年間50万円近くに達している(ちなみに、フランスの国立大学の年間授業料は5万円にも達しない)。さらにあろうことか、小泉政権は、大学法人と称して、大学の「経済的」な効率化を求めている。将来的なさらなる授業料値上げは目に見えているではないか。
ところが、小泉政権に対する異議申し立てが盛んにならないところを見ると、日本人の大半は、この政策の致命的な帰結を気に留めていないらしい。もしかすると「自分たちには関係ない。国立大学の授業料値上げ?そりゃけっこう。みんな苦しいんだから、あいつらだけが優遇されるのは我慢ならない」と思っているのかもしれないが、それによって割を食うのは、金持ちのボンボンや教授の子女ではなく、苦学生たちであるということを日本人は本当に分かっているのだろうか?
最も守られるべき機会の均等が守られず、ポピュリズムに受けのいい偽の平等主義がまかり通る。偽の平等主義がはびこる国で勝つのは、きまって強者である。そして自分を強者と心情的に同一視したがる「弱者」――とにかく暇ならあるとばかりネット上に罵詈雑言を撒き散らしている人々が「精神的弱者」でなくて一体なんであろうか――が、意志的隷従の拡大再生産に邁進する。日本人はニーチェをかつて一度たりとも読んだことがないに違いない。)
ところで、「学生や両親を顧客と考えて弛まぬサーヴィス改善に努めねばならない」とはよく言われることで確かに一理あるが、学問は「職業profession」ではあっても「商売commerce」ではない。これが、大学と予備校の本質的な違いである。大学教育は本質的に資本の論理とは相容れないものなのである。
イチローをモデルにプロ野球の下部組織としてのリトルリーグ改革を考えても仕方がない。天才はおそらく彼(彼女)独自のメソッドを持っているであろうが、その方法論は必ずしも万人向けのものではない。制度とは、それがたとえエリートのためのものであっても、天才をモデルに作ってはいけない。教育制度は、あくまでも「凡人」のためのものであり、高等教育や研究者養成は「プロフェッショナル」のためのものであって、決して「天才」のためのものではない。
また、一芸入学制度はあくまで副次的な制度にとどまるべきであって、これを中心に大学を考えるのは本末転倒である。大学は知名度のある女優を入学させることによって学生の関心を集め、学生数を確保することで「学内の活性化」はできるかもしれないが、そのことによって「学問の活性化」ができているかは大いに疑問だからである。
3.大学院では遅すぎる:プロフェッショナルとしての学問研究の未来を真剣に憂慮するなら、若手エリート養成機関が必要不可欠である
事実を事実として率直に受け止めることから出発するのでなければ、客観的で説得的な論理など創出できるはずもない。
日本の大学にとっての事実とは何か?それは、「大部分の大学生にとって、大学は就職のためのパスポート、証明書にすぎない」ということである。彼らが法学部に入るのは大抵の場合、文系学部で最も偏差値が高いからであって、法学という学問の研究を志してのことではない。経済学部や商学部に入るのは、就職後何らかの役に立つのではないかと思っているからであって、学問としての経済学を学びたいからではない。
究極的に言えば、彼らにとって、無事卒業さえできれば、大学で何を学ぶかはどうでもいいことである。大学は受験戦争という厳しい資格試験を勝ち抜いた褒美としての、これからまたしばらく(退職まで)資本の論理に完膚なきまでに従属する前の「四年間の休暇」である。これは「一流大学」と呼ばれる大学の学生であろうと同じことである。
繰り返すが、これは嫌味でも何でもなく、単なる事実の確認である。理想主義的に、あるいはポピュリズムから否定してみても始まらない。むしろこの単純だが厳然たる事実から出発せねばならない。大学が社会人になるための一般教養なりある程度特化した知識をつけるための機関であることを日本人の多数が望むのであれば、大学人がこれに反対する理由はない。大学をそのように捉える結果、大学がどのような性質のものになろうとも、それは国民が望んだことであり、その責任は国民自身が負うだけのことである。
したがって、日本の高等教育機関たる大学はエリート教育機関ではないし、今後もそうなることはないであろう。東大や京大をエリート大学だと言う人が(東大生や京大生の中にも少なからず)いるが、彼らが間違っているのはこの意味においてである。
ここまで私の論を追ってきた人は、「大学院はまさにそのために、研究者を育成するためにあるのではないか」と言うであろう。それは間違ってはいないが、重要なポイントを一つ見落としている。ここで、スポーツの比喩が再び重要になる。
なぜ大学院では不十分なのか、理由は簡単である。それは、大学院では遅すぎるからである。
スポーツにおいて、18歳から22歳といえば最も重要な成長の時期であるが、研究者においても事情は変わらない。日本の教育行政は、この時期に将来研究者になるべく専門的な努力をすべき若手の研究者に、一般の大学生と同様の教育しか与えないことによって彼らの成長を妨げている。
したがって大学とは異なる(大学内にでも構わないが)新たな機関を創設することが急務の課題である。フランスで言うところのGrands Ecolesのような存在を構想することである。
未来の日本代表を育成 「JFAアカデミー」を発表 日本サッカー界に“超エリート選手”誕生だ!
27日、2006年度から福島県の「Jヴィレッジ」(楢葉町、広野町)で開始される中高一貫のサッカーエリート教育プログラム「JFAアカデミー福島」の概要が発表された。会見に出席した日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長は「4人に1人はJリーガーにし、(初年度の)男子は2014年と2018年のワールドカップを、女子は2008年の北京五輪を目指す」と高らかに宣言した。
日本サッカー界の未来を背負って立つ最初の「金の卵」となるのは、男子が中学1年の15人程度、女子は中学1年から3年生15人程度、高校1年生8人程度という少数精鋭。8月下旬から11月上旬にかけて3度の選考試験を実施して選抜される。求められる人材について、田嶋委員長は「特色のあるプレーヤー」と語り、特にポジションにはこだわらず「全員がFWでもいい」と未知なる選手たちの才能に期待を寄せた。
3泊4日の合宿形式など、過酷な選抜テストをくぐり抜けることができた選手たちは、優秀な指導者と専用の寮・練習場など充実した施設の中で、長期的かつ集中的なエリート教育を受ける。またサッカーのみならず、勉強面についても「Jヴィレッジ」の地元となる福島県、富岡町、広野町、楢葉町の公立中学、高校と連携。「真の国際人として社会をリードする人材」の育成を目指した教育を中高一貫で受けることができる。
この教育プログラムは、フランス代表のアンリ、アネルカらを輩出したフランスのナショナルフットボール学院(INF/クレールフォンテーヌ)がモデル。同学院の元校長であるクロード・デュソー氏も来日し、アドバイザーとして指導にあたる予定である。活動拠点となる「Jヴィレッジ」のある福島県も40億円を投じ、万全のバックアップ体制で未来の日本代表選手の輩出を目指す。[4月27日 19時14分 更新 ] http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000018-spnavi-spo
<JFA>エリート教育でフランス協会との提携模索
日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎会長は27日、選手のエリート教育についてフランス協会との提携を模索する考えを明らかにした。中高一貫で選手のエリート教育を目指すJFAアカデミー福島が28日から来年度の募集要項を配布し、本格始動する。川淵会長は「この試みを日本全体に普及させるためにも、フランスのノウハウを吸収したい」と話した。
フランス協会は72年に、今回の福島のモデルの一つとなったナショナルフットボール学院(INF)を設立。13~15歳の選手が寄宿生活を送り、トレーニングを積んでいる。フランス代表・アンリ(イングランド・アーセナル)もINF出身。この世代の育成システムの確立がフランス代表を支えている。日本代表の世界トップ10入りを目指す日本協会も、エリート教育の範とする。
渡欧していた田嶋幸三技術委員長がフランス代表のジャケ元監督と会談し、手応えをつかんでいるという。今秋以降、具体的な調整に入る。【小坂大】[4月27日 20時7分 更新 ]http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050427&a=20050427-00000121-mai-spo
Sunday, May 08, 2005
大学は出たけれど2005
博士号は得たけれど「ポスドク」激増で就職難
博士号を取得したものの、定職に就けない「ポストドクター」(ポスドク)が、2004年度に1万2500人に達したことが、文部科学省が初めて実施した実態調査で明らかになった。
2003年度は約1万200人で、1年間で約2300人も増えている。
年齢別では約8%が40歳以上で“高齢化”が進んでいる。大学助手など正規の就職先が見つからず、空席待ちが長引いていると見られる。さらに、社会保険の加入状況から推定すると、常勤研究者並みの待遇のポスドクは半数程度しかいないと見られ、経済的に苦しい状態も裏付けられた。
政府はこれまで、国内の研究者層を厚くするため、大学院の定員拡大などポスドク量産を推進してきた。しかし、研究職はさほど増えておらず、その弊害が出た形だ。多くは研究職志望で進路が少なく、企業も「視野が狭い」などと採用に消極的で、不安定な身分が問題化している場合が多い。
◆ポストドクター=博士号(ドクター)を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学などに籍を置いて研究を続ける若手研究者。公募型の研究費を得たり任期付きで給与をもらったりして生活している例が多い。(読売新聞)
- 5月2日18時59分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050502-00000306-yom-soci
大学は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。
「銃後」「御真影」知らず 大学生、沖縄戦の日も
「銃後(じゅうご)」「御真影(ごしんえい)」といった言葉を知っている学生が減り、近代史に関する日付として6月23日を「沖縄戦終結」、9月18日を「柳条湖事件」、12月8日を「太平洋戦争勃発」と正しく記憶している割合も低下していることが、教育史研究者の岩本努さんの調査で分かった。特に加害の歴史については理解不足が目立った。岩本さんは「中高校で近代史を十分教えず、マスメディアもあまり取り上げない。中国、韓国で反日運動が高まる中、歴史を正しく知らなければ、本当の意味の友好関係を築くことはできない」と話している。岩本さんの講義を受けている中央大の44人、法政大の79人を対象に4月に調べた。(共同通信) - 5月4日16時41分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000084-kyodo-soci
学校は出たけれど、そこでいったい何を学んだのか。これは運転士たち個人の問題ではなく、日本人の間で急速に消滅してしまった連帯心の問題である。連帯心の消滅に至る歴史をひもとくことが火急の課題かもしれない。
「仕事気になった」=救助せず出勤の運転士-「指示なかった」と批判・JR西労組
JR福知山線の脱線した快速電車に乗り合わせたJR西日本の運転士2人が、救助活動せずに出勤していた問題で、27歳の運転士が労働組合の聞き取りに、「現場にいようと思ったが、仕事が気になり、警察の邪魔になるとも思ったので、出勤した」と話していることが4日、分かった。 運転士2人が所属する西日本旅客鉄道労働組合が記者会見し、明らかにした。 同労組は「2人が指弾されても弁解の余地はない」とする一方、「事故現場に残ることを指示しなかった」と同社を批判した。 (時事通信)- 5月4日16時1分更新http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000817-jij-soci
Wednesday, May 04, 2005
『神学的転回』(7)後期ハイデガー(下)
実際には、例えばツェーリンゲン・セミネールや「私の思考の道程と現象学」など、後期ハイデガーの現象学への言及が目立つ箇所は、彼の思考の軌跡の一貫性が問題になっている箇所だ、ということである。だからこそハイデガーのフッサールとの出会いから、周知のフッサールとの相違・対立に至るまで、フッサールの遺産との関係が必ずこれらの議論の中心を占めるのである。ハイデガーの思想の道程の一貫性・統一性を強調しようと思えば、常に彼とフッサールとの共同作業の根底にあった根本的な意見対立を認めざるをえない。例えば、フッサールのブレンターノとハイデガーのブレンターノは、同じブレンターノではない。フッサールが惹かれたのは『経験的な観点からする心理学』(Psychologie du point de vue empirique)のブレンターノであるのに対して、ハイデガーが「哲学を読むすべを教わった」のは『アリストテレスにおける存在者の多様な意味について』(Des significations multiples de l'étant chez Aristote)のブレンターノである。また彼ら相互の評価に関していえば、若きハイデガーは『論理学研究』第6部に惹かれていたが、フッサールはそれにはもはやほとんど意義を認めていなかった。しかしこういったことはすべて、『存在と時間』がフッサール現象学の方法と、とりわけその前提に加えることになる大変動に比べればまったく何でもない。
したがって確認しておくべきことは、一方で、現象学は、その名からしても着想からしても、誰に属するものでも(フッサールにすらも)ない以上、ハイデガーには現象学を自分のものとする十全な権利があるということ、他方で、しかしながらハイデガーが最終的に賞賛する「同語反復的思考」は、フッサールによる構成の試みとはもはや何の関係もないものだということである。なぜならこの後者は、存在者のさまざまな断面(現実存在の主観的な相関物の側まで含めて)のより根本的で、より真、より完璧な認識をきちんと提供しようとするものであったからである。
ジャン=フランソワ・クルティーヌが見事に示したように、後期ハイデガーが最終的に到達した「現れないものの現象学」から振り返ってみるならば、『存在と時間』の段階は、言ってみればはじめて現象の覆いを剥がす方向に進んだものと見ることができる。一種の賓辞の文法という、現象学の解釈学的深化として見なすことはまだ可能であった。しかしながら、『存在と時間』で提示されたハイデガーのプロジェクトの「同語反復的」ラディカル化は、クルティーヌによれば、ただ単にあいまいさに行き着くのみならず、現象の放棄というUnglück、災厄、カタストロフに行き着くことになるのではないか?
こうしてハイデガー思想の謎めいた展開をたどってくると、まさにここから神学的転回の問題のすべてが始まるのだということが分かる。ここにこそ、実証的な現象学プロジェクトと、その始原的なもののほうへの方向転換との間の断絶がある。一方を困惑させるものが他方を満足させる、和解の余地なき選択肢がある。「現れないものの現象学」は、沈黙に縁取られた言葉に耳を傾けるべく、現象の整然としたあらゆる提示を最終的に揺るがし、始原的なものへ、見えないものへ、密やかに佇むものへ向かう。実際、ハイデガーのヘルダーリン解釈を見る限り、彼の「転回」が聖なるものの探求によって条件づけられていることを否定するのは困難である。このハイデガーのKehreなしに、フランス現象学の神学的転回はありえなかった(Sans la Kehre de Heidegger, point de tournant théologique.)。
Tuesday, May 03, 2005
『神学的転回』(6)後期ハイデガー(上)
1961年に現れた二つの著作――レヴィナスの『全体性と無限』と、後期メルロ=ポンティの『見えるものと見えないもの』――は、ただ単に完全に同時に現れたというのみならず、まったく同じ問題に取り組み、それぞれなりの仕方で解決を与えようとしている。すなわちフッサール現象学における「志向性」の限界、志向的地平をいかに乗り越えるか、という問題である。どちらも、フッサール以上に現象学の「精神」に忠実たることによってこの難題を解決しようと試みていたのであった。
ところでこの戦略を最初に開始したのは、ハイデガーである。ハイデガー自身はやがて晩年に至って――したがってレヴィナスやメルロ=ポンティの後に――、「現れないものの現象学」という主題のうちにその最良の解決策を見出したと考えた。デリダやミシェル・アンリがその遺志を継いで、やはりそれぞれなりの仕方で、引き続きこの道を切り開いていくことになる。とりわけ本書の中心的な課題として問題になってくる「神学的転回」を担う哲学者たちがこの後期ハイデガーの思想を「開発=活用=搾取exploiter」「収用・占有ex-s'aproprier」ないし「簒奪usurper」しているように思われる以上、ここでその後期ハイデガーの思想の本質を簡潔に把握しておくことはきわめて重要である。
「現れないものの現象学 phénoménologie de l'inapparent」という表現は、ハイデガーの晩年になってようやく現れてきたものである。初出は1973年、ツェーリンゲンのセミネールにおけるもので、最初フランス語で発表された(Questions IV, Gallimard, 1976; tr. Vier Seminare, Klostermann, 1977. プロトコルは、ハイデガー自身によってフランス語で執筆されたことを想起しておこう)。
さて、逆説的にも思えるが、この表現の中でハイデガーの思想にとって本質的な問題を提起するのは、「現れないもの」というテーマの出現ではなく、「現象学」というフッサール的語彙の維持である。
たしかに、「現れないものl'inapparent」という言い回しは両義的ambiguである。一方では、逃れ去るもの、眼差しにはっきりとは現れないものという意味でもありうるが、他方では、(現実存在とは区別される)単なる見かけ(仮象apparence)に還元されないものをも意味しうる。しかしもちろんハイデガーは、俗流プラトン主義的なイデア概念につながりかねない後者の意味を斥ける。
ツェーリンゲン・セミネールは、まさに「いかなる意味で、フッサールには存在の問いがないと言えるのか」(ボーフレ)という問いに答えようとするものである。フッサールは『論研』第六研究を除けば、なおも存在を客観的な与件と見なしているが、ハイデガーは存在の「真理」を「現前の非覆蔵désabritement de la présence」のうちに見て取ろうとしている。
だとすれば、すべてが意識の志向性から説明されるのではなく、むしろ意識こそより根源的に「現-存在の脱自のうちにdans l'ek-statique du Da-sein」位置づけられねばならない。形而上学にも、常識の目にも現れない、この現前の出現が取り集められる瞬間をこそ捉えねばならない。ハイデガーはこのより原初的な思考を「同語反復的思考pensée tautologique」と呼ぶ。
こうして見てくると、「現れないもの」の方へのハイデガーの「転回」の方向性はよく分かる。どこまでも形而上学的な、意識の(志向性の)思考からの(その外への)救出の諸条件を探ること。では、しかしながら、なぜ依然として「現象学」にこだわるのか?ほとんど破壊せんばかりに根本的な変形を加えてまで、なぜ「現象学」を維持する必要があるのか?捨て去ってしまった方が簡単ではないのか?
[ハイデガーが1927年夏学期にマールブルク大学で行った講義『現象学の根本問題』に関して、木田元はその著書『ハイデガー『存在と時間』の構築』(2000)で、こんなことを言っている。
この講義の表題について一言しておきたい。『現象学の根本問題』――文字通りには「根本的諸問題」と複数形――と聴くと、誰しもハイデガーが先生のフッサールの現象学を祖述してみせる、あるいはそれを継承展開してみせようとするのだと思ってしまうであろうが、この講義の内容はフッサールの現象学とはほとんど関わりがない。ハイデガーは『存在と時間』でも「序論」の第七節で「現象学」に言及し、「存在論は、ただ現象学としてのみ可能である」とか、「事象的内容から見れば、現象学とは存在者の存在の学――存在論である」とか、それどころか、「以下に続く考究は、エドムント・フッサールが築いた地盤の上で、はじめて可能になったものである」とか、いかにもフッサールの現象学を忠実に受け継ぎますと言わんばかりの言い方をしてみせている。だが、ハイデガーには、フッサールの現象学をそのまま継承しようなどという気はまったくない。それは、この第七節での「現象学」という概念の解明を見ても分かる。フッサールが読んだら怒り出すにちがいないような解明の仕方である。どうも悪意で見ると、一年後のフッサールの退職後、その後任としてフライブルク大学に推薦してもらうお礼に、<現象学>に義理立てしたと思えないでもない持ち出し方である。
といって、ハイデガーが<現象学>をまったくどうでもよいと考えていたということではない。むしろ彼は、数学から転向してあまり哲学史的素養のない[!]先生のフッサールに代わって、その現象学に哲学史のなかでの位置を指定してやろうという気があったのである。[…]ハイデガーの<現象学>観については、拙著『現象学』(岩波新書)の第IV章をご参看願いたい。(81-82頁)
木田氏一流の軽妙な言い回しだが、要するに――マルクスは「ラディカルであるとは、物事を根本からつかむことである」と言っている――、ハイデガーは現象学をラディカルに、つまり根本から捉え直そうとしているのである。]