昨年来、西山雄二さんを始め、友人・知人たちと続けてきたプロジェクトが、いよいよ未来社から、『哲学と大学』というタイトルの論集として刊行されることになった。論集全体は、近代の哲学的大学論を総覧する第一部と、人文学の制度的矛盾を考察する第二部という構成をとっている。
昨年四月に行なった発表を基にした私の論文「条件付きの大学」は、第二部に属しつつ、第一部的な面も含んでいる。フランス人哲学者たちによる大学論不在の原因をフランスの高等教育・研究制度の特殊性に求めつつ、彼らの「沈黙」の意味を問う前半部と、ほぼ唯一例外的に大学論に取り組んでいるデリダの『条件なき大学』を取り上げて批判的に読解して見せる後半部からなるからだ。
デリダを読まずに「批判」する人々――彼らはえてして純粋な哲学研究を自称する――と、きちんと読まずに盲信する人々(ないしは自論の権威づけに利用する人々)――彼らはえてして活動家を自負しており、理論的な内心の不安を抱えている――の両方を同時に叩く戦略を展開してみた。
「哲学はすべての人に開かれてあるべきだ」、高らかにそう宣言する人々は、純哲系にも現代思想系にも多い。一般の人々からも賛同を得やすいこの手の発言は、しかし、哲学の唯物論的な基礎――日本の場合には大学――に目をやることなしになされる場合、ポピュリズム以上の意味を持たない。
哲学はすべての人に開かれてあるべきだとして、まずはそう論じる少なからぬ人々が拠点としている大学において哲学はどう開かれてあるべきなのか、そのことが論じられねばならない。
哲学は偏在する、それはそのとおりである。しかし、至る所に同じ仕方で在るのではない。要するに、心安らかに哲学の偏在性を唱える人々(往々にして大学人)には、論じる「自分」、自分が思索を展開するために拠って立つ「場」に対する感覚というものが抜けているのである。
大学における哲学教育を考えるうえでも、哲学者の大学論の系譜を辿る教科書としても最適な本書、店頭配本は23日の週になるとのことですので、ぜひお買い求めください(価格は2400円)。
No comments:
Post a Comment