Tuesday, March 17, 2009

鷲田、カント、フィロネンコ、ブノワ

久しぶりにフランス語に関する頁を更新。フランス語を勉強し(直し)たい人はどうぞ。

複数の目的のために幾つもの本を並行して読む。哲学概論や哲学史の授業では「聴く」ということを一つのテーマにしたいと考えており、そのため鷲田清一『「聴く」ことの力――臨床哲学試論』(TBSブリタニカ、1999年)を読んでいる。

すると、ふと反論というか、疑問が浮かんできて、それが今度、日本哲学会で行なう発表の一つの軸になるかもしれないと思い、なぜか(私には直線的な連関なのだが)カントと関連書を読み耽る。

カント「思考の方向を定めるとはどういうことか」(1786)

Emmanuel Kant, Qu'est-ce que s'orienter dans la pensée?, préface de Ferdinand Alquié, introduction, traduction et annotation par Alexis Philonenko, Vrin, 1re éd. 1959; repris dans la coll. "Textes et Commentaires", 2001.

Jocelyn Benoist, Kant et les limites de la synthèse. Le sujet sensible, PUF, coll. "Epiméthée", 1996.

フィロネンコの注釈は出来がいい。初版から実に42年(!)を経て、なお再刊される価値がある。

彼は1932年の生まれらしいから、初版の時には27歳。1968年生まれのブノワのこの博論も1994年に書きあげられ、1996年、つまり28歳の時に刊行されている。

一つの軸は見つけた、というか博論で書いていたのを思い出したが、これでは博論からほとんど進んでいない。さらに読書を続けてみる。…すると、授業準備が進まないことに気づく(笑)。

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