Thursday, March 12, 2009

時間の延び縮み(圓生の凄さ)

授業をするときでも、発表をするときでも、理想は、自分の語りたいことを制限時間にあわせて伸縮自在に操れることであろう。



六代目三遊亭圓生。昭和の大名人の一人である。持ちネタの数は有に三百を超えていたというが、弟子で新作落語の雄、圓丈によれば、その記憶力の凄さは数だけの問題ではなかった。

「50分の噺を30分で演るときには、ふつうは途中で切ってしまう。噺を再構成して、いったん短く縮めてしまうと、もう元には戻せない。でも、噺をばらばらにして、好きに取り出せたのが圓生です。あれは通常の記憶力ではない。さらに何段階も上の、次元の異なる記憶です」。

圓生自身は自伝『寄席育ち』のなかで、事もなげにこう言っている。「抜こうと思えば抜ける、入れようと思えば入れられるし、言い方を変えてみることも出来る。それが当たり前のことで、時間の延び縮みが自由に出来なければ商売人じゃァありません」。

この尋常ならざる噺の再構成の自在さは、いかにして培われたのか。圓丈は語る。

「圓生の凄さは、その稽古量です。歳をとれば、どんどん噺を忘れてゆくものですが、圓生は三百を超える持ちネタを片っ端からエンドレスで稽古し続けていた。少しでも時間があれば、稽古が始まる。ごちゃごちゃ口が動き始めるんです。僕らは努力して稽古をしますが、無意識で自然のうちに稽古できるようになるまで努力をしたのが圓生です」。

高座が終わって帰りの車に乗り込む。そのドアが閉まった瞬間に、圓生の噺の稽古、独り語りが始まるのが常だったという。

以上の話は、前述の『落語 昭和の名人決定版』第4巻に収録されている。

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