慶應義塾大学商学部准教授の原大地(はら・たいち)さんは、私の大学院時代の同級生であり、つまりは長きにわたる戦友である。彼の潔癖な性格をよく表すエピソードに次のようなものがある。
あるとき、売れっ子仏文学者のK先生が集中講義に訪れた。けっこう大きな教室、学生の入りはかなり良かったと記憶している。先生は例のごとくトークショーを始められた。
何やら現代思想を説明するのに現代音楽の例を引き合いに出していたと思うのだが、そこで憤然として手を挙げたのが若かりし氏であった。彼はそのアナロジーの正当性、音楽についてのいい加減な理解を厳しく糾弾した。
私はあとでこう諌めたものだ。「原君、君は間違ってる。歌舞伎町の女王を気取る歌手に、ソルフェージュをみっちりやっていないなどというのは、お門違いだよ。人には向き不向きがあるんだから、それはそれでいいじゃないか。どうして皆がクラシックの名演奏家にならなきゃいけないんだ」と。
そのように潔癖症の塊のようだった彼が、学部生向けの入門書を書くというので驚いた。
原大地『牧神の午後――マラルメを読もう』、慶應義塾大学教養研究センター選書、2011年5月。
入門書など絶対に書かない、そのように決意している人々がいる。新書やら薄っぺらい本を書きまくることが研究業績として評価され、読者からも望まれる時代にあって、そのような決意は実に貴重だ。
そのような人々が決意を翻して、入門書に手を染めたとき、はたしてどのような結果になるのか。転向者の論理と倫理はなかなか興味深い。かくいう私も、フランス哲学入門を書こうとしているが…(笑)。
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