Sunday, March 16, 2008

救いの島(母語を離れる)

《ジッドは言った。「だが、今日のうちにあなたに、ドイツ語に対する私の関係について、いくらか話しておきたいのだ。

私は長いあいだ、ひたすらドイツ語と集中的に取り組んだのだが[…]、その後、十年間、ドイツ語に関する諸々をうっちゃっておいた。英語が私のすべての注意力を奪っていた。

さて、去年コンゴで、ようやくまたドイツ語の本を開いてみた。それは『親和力』だった。そのとき私は奇妙な発見をした。この十年間の休みの後で、読む力は衰えるどころか、かえって進歩していた。その際に」――ここでジッドは強調の意をこめて言った――

「私を助けてくれたのは、ドイツ語と英語の親近性ではない。そうではなく、私が母語から遠ざかっていたという、まさにこのことが私に、外国語をものにするための弾みをつけてくれたのだ。

言葉を学ぶ際に一番重要なのは、どの言葉を学ぶかではない。自分の母語を離れること、これが決定的だ。また、実はそのときはじめて、母語を理解することになる」。

ジッドは航海家ブーガンヴィルの旅行記のなかの一文を引用した。「島を離れるとき、われわれはそれに〈救いの島〉という名を与えた」。

これにジッドは次のような素晴らしい文を付け加えた。「あるものに別れを告げるときにはじめて、われわれはそれに名を与える」》(ベンヤミン、「アンドレ・ジッドとの対話」)

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