(き)さんは昔からなかなか落ち着いていた。今でも印象に残っているのが、カンフーの一件である。
私たちが共に数年を過ごした街では、時に嫌な思いをすることもあって(ブタ呼ばわりされたこともあれば、通りで足をひっかけられたこともあれば、喫茶店でからまれたこともあれば、などなど…)、冗談とはいえ、外国人差別的な言動には(少なくとも私は)相当敏感になっていた。ある日、向こうからやってきた二人の青年たちが(き)さんに向かって、からかうように「あちょー」とやり始めたという。
精神的な余裕のない当時の私なら、ムッとして無視してやり過ごそうとするか、あまりにしつこければ叱り飛ばすところである。ところが、(き)さんは違った。彼らに向かって「あちょー」とやり返したのである。彼らは毒気を抜かれて、向こうへ行ってしまったそうだ。
ずっと日本にいる日本人には、このユーモアの精神を外国暮らしに疲れた精神状況で保つのがいかに困難なことかが分からないかもしれないが、心が本当に強く寛くないと、こういったとっさの反応はできない。
差別的な言動がいかに人に不快な思いをさせるか、彼らに懇々と言葉で説き続けても、彼らは自分たちが何をしているのかを本当に理解することはないだろう。だから、無知と(無)邪気と憎悪で凝固した彼らの心に叡智と無垢とユーモアをもって接するのだ。それは、「宥和」といったこととはまったく関係のない、開かれた心である。
すでに数年前にこのような境地を体得しておられた(き)さんは、しかし、最近本当に辛い試練を経られて、さらに私など及びもつかない境地に到達しようとしておられるようである。その彼に信じがたいほど悲しい無知と(無)邪気と憎悪を投げ続ける愚か者がいる――もちろん、知識がないことが問題なのではなく(それも問題だが)、ドグマを振りかざす場所についての決定的に誤った状況判断が問題なのである。カンフーの青年たちは少なくとも現前していたが、匿名性と仮想空間に身を隠しながら攻撃し続けるそのあまりの下劣さ!そんな「いと低き者」に対してさえ、ユーモアも交えて返してみたりもする(き)さんである。
《今のあなたのやっていることは、世界征服を目指しながら郵便配達の邪魔をする戦隊モノの悪役くらい非効率的ですよ。》
私は(き)さんほど度量が大きくないので、ブログへのコメントは選んで掲載し、応答したほうが精神衛生上いいと思っているのだが、しかし彼の姿勢には感服する。
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