Friday, February 13, 2009

チャレンジ―教養教育の

先に見た「Globe」の特集の中には、私がこれまで強調してきたエリート教育の問題について、イタリアのスクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレや教養教育に関するレポートもあったが(「イタリア、ピサ。ディエゴ・スカラベッリの1日。」「これだけ勉強すると、自分が本当に何を学びたいか、はっきりわかる」)、
今日は別の記事に注目したい(「時間管理からカードの使い方まで 「大学生になる」ための教育」)。

《初年次教育が始まったのは、学生運動の嵐が吹き荒れた後の72年。大学の大衆化が急速に進み、様々な背景を持つ学生が入学し始めた。どうやって学習意欲の高くない学生を定着させるか、全体のレベルをどう底上げするか、大学が競うように知恵を絞り始めた時期だった。今の日本と、状況は似ている。》

前にも言ったが、この段階から卒論レベルまで、それぞれの段階で、いかに知的なショックをうまく与えていけるか、自分を試そうと思っている。「学部教育の4年間、再構築のとき」という記事で描かれている「高度教養教育」――「教養的な知識よりも専門知識が重視される社会になったが、むしろ専門が見えてきた後でこそ、社会にとって必要なことを学ぶべきだ」(阪大教授・小林傳司)――、すなわち一定の専門的知識を身につけ、社会にまもなく出て行く学生(全学部の後期~大学院前期の学生)に対して、専門教育以外に必要とされる知識や能力を与える教育の試みに注目していきたい。

《旧制高校の解体、戦後一般教育の形骸(けいがい)化と崩壊。教養教育の土壌の希薄さ。そして、学部教育そのものの不透明な行方――。日本の教養教育はどこへ向かうのか。早稲田大教授(教育社会学)の吉田文は「今は、4年間のプログラムをどうつくるかという段階。1年次の学生にとって大学での学習に必要なことを学ぶ初年次教育などの比重が高くなっている。学生の多様化への対応が認識されるようになり、準備教育的な教養教育が高まっている。さらに、環境や情報技術など、現代的な課題に対する共通の認識や理解が必要で、それが新たな教養教育になる可能性がある」と展望している。》

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